第3話 偽りの翼

 不良騎士達に絡まれていた母子に、配給チケットを返却して。

 必要以上に、ありがとうございます、ありがとうございますと、感謝されまくった後で。


「先ほどは、どうもありがとうございました」


 背中に黒い翼を生やした少女が、私に話しかけてくる。


「私、カノンと言います。聖堂教会のシスターです」


「ただのイヴよ」


「イヴ様……ですか? 重ね重ね助けていただき、本当にありがとうございます。

 これもきっと主の思し召しですね」


 満足そうにニコニコ微笑んで、黒い翼の少女――カノンは眼前で十字を切り、祈りの形に手を組み、目を閉じた。


「主の恩寵に、そして、イヴ様の徳に心から感謝します。

 主は真に慈しみ深き御方、その恵みがとこしえまで貴女にあらんことを……」


(アカン。この子、性根が根本的に光属性タイプだわ。

 私みたいな闇属性が相対したらアカン。……溶ける)


 純粋に私のことを想って祈ってくれる少女に、辟易するしかなかった。


「それよりも、貴女に聞きたいことがあるわ」


「なんですか?」


「貴女……さっき、どうして抵抗しなかったの?」


「!」


 はっと目を見開くカノンへ、私はさらに続ける。


「あのまま、あの連中に連れて行かれたら、今頃、どんな目に遭わされていたか……想像できない年齢でもないでしょうに」


「それは……私のような無力なシスターには、騎士様達に抗う力なんて……」


「噓よ」


 途端に目を泳がせ、顔を背けるカノンへ、私は断じた。


。少なくとも、あの程度の雑魚共など相手にならないくらいには」


「そ、そんなこと……っ!!」


偽翼天使ファルシユ・エンジェル。……貴女はそうでしょう? 違う?」


 私の指摘に、カノンは今度こそ押し黙った。


 偽翼天使ファルシユ・エンジェル

 それは、聖エリサレス教会の秘儀。人造天使兵器だ。


 偽翼と呼ばれる外付けの法力増幅器を、心霊手術によって、その霊魂へ霊的移植された者達のことで、常人とは一線を画す身体能力と法力を獲得する。

 偽翼を得た時点で寿命が半減するが、人を超えた凄まじい戦闘能力を発揮できるようになるのだ(本当に狂信者どもの発想はロクでもねえな)。


偽翼天使ファルシユ・エンジェルのスペックは知っているわ。貴女が、偽翼天使ファルシユ・エンジェルなら――」


 すると、カノンは哀しそうに頭を振った。


「いいえ。私は……失敗作なんです」


「…………」


「ご覧ください。私の翼……黒いでしょう?

 本来ならば、穢れなき純白の翼のはずなんです。

 それゆえか、私の翼は本来の力の半分も発揮できません……」


 カノンは許しを乞うように手を組み、空を仰ぐ。


「私は罪を犯し、神の怒りに触れた存在であるため、この翼は黒く染まったんです。

 これは私に課せられた罰。だから……」


「馬鹿馬鹿しい。半分もあればね、並の人間なんか一捻りなのよ、貴女達は」


 私は、カノンの言葉を冷たく切って捨てた。

 偽翼などという最悪な十字架を背負わされたというのに、なお自分を責めているカノンへ無性に苛立ちを覚えたからだ。


「大体、罪も罰も神の怒りも関係ないわ。

 偽翼は、神の奇跡でも恩寵でもなんでもない。ただの”魔術”……人の産物よ」


「なっ……」


「貴女の翼が黒く染まった失敗作だというなら、それは霊的移植を行った魔術師の技量の低さか、もしくは偽翼そのものに問題があっただけだわ。だとしたら……」


「そ、そんなことはありませんっ!」


 私の言葉を、カノンは激しく否定してくる。


「イヴ様は知らないんです!

 かつて私が一体、どんな罪を犯したか! 私は――……」


「知らないし、興味も無いわよ」


 頑ななカノンにますます苛立ってきた私は、カノンの言葉を突っぱねる。


「私が言いたいのはね、って言ってるの。

 私はわりと人の心がない人間だけどね。

 それでも貴女のような子が、クソ共に踏み躙られるのはムカつくのよ」


 すると、カノンはしばらくの間、押し黙り、やがて絞り出すように呟いた。


「……イヴ様はお優しいのですね。私のような者を気にかけてくれるなんて。

 ですが、大丈夫です。必要ありません」


「…………」


「先ほども申し上げたとおり……私はとても罪深い人間なんです。

 きっと、今も神は私のことをお怒りになっているはずです。

 イヴ様は否定しますが、私のこの黒い翼は、私の罪深さの証で間違いないんです」


「…………」


「それでも、天にまします大いなる主は、そのまこと深き慈愛と意思をもって、この世界にあまねく全ての者達を見守られているはずです。

 そして、きっと私に贖罪の機会を与えくださっているはずです」


「…………」


「神は真実です。神は私達に耐えられない試練を与えません。

 私の身に降りかかる苦難には、全て意味があるんです。

 だから、私は耐えてみせます。耐えればいつか、きっと、報われると信じて。

 神が、この罪深い私を、真にお許しになるその日まで……」


 そう心から満足そうに言って。

 カノンは手を組み、瞑想し、祈りを捧げている。


 そんなカノンへ、私はつまらなそうに言った。


「なるほど。要するにアレね。リストカット的な自傷行為だったのね。アホくさ」


「っ!? ち、違っ……私は、そんな……」


「ねぇ、カノン。本来、私、説教臭いこと嫌いだけど、これだけは言っておくわ。

 


 カノンが目を見開き、私を睨んでくる。

 その瞳に、たちまち激しい怒りが滾っていく。


 だが、私は退けない。伝えないといけない。

 私は真っ直ぐカノンの目を見つめ、淡々と言葉を続ける。


「もちろん、信仰宗教上としての神の存在は否定しないわ。

 ”神は自らを助くる者を助く”。

 ”自らの内なる良心の声に耳を傾けよ。それが神の導きである”。

 人の心の支えとしての神は、人の心の中に概念として確かに存在する。

 でもね。

 貴女の言うような、全知全能の神は……ただ信じていれば救ってくれるような、人を超えた大いなる存在、一方的な救済者、絶対者としての神は、この世界のどこにも存在しないのよ。

 もし存在するとしたら、それは無色の暴威。

 地を這いつくばる人間なんて眼中にない。……これが現実よ」


 私は、俯いて震えるカノンを、真っ直ぐ見た。


「カノン。そんなありもしない存在に、妄信的に縋っていたら、いつか取り返しのつかないことになるわ。

 もし、貴女が罪を犯し、本当の意味で救われたいのなら……」


 ぱん!


 目元に涙を浮かべたカノンが、突然、私の頬を張っていた。


「そんなこと……ないです! 神は心の中の偶像じゃない!

 この世界に神は確かに存在して……この私を見守ってくれていたんです……!

 でも、私は犯した罪によって、神に見放された! これは事実なんです!

 信仰なき貴女には、理解できないことでしょうけど!」


「…………」


「貴女とは初対面ですけど……私は貴女が嫌いです……

 ……これで失礼します」


 そう哀しそうに言い残して。

 カノンはその場を、足早く立ち去っていくのであった。


 私はカノンの姿が見えなくなるまで、その背中を見送って。

 やがて、誰へともなくこう呟いた。


「なるほど。……

 まさか、来て早々、こんなに早く遭遇するとは思わなかったけど……」


 女王陛下も中々に厄介な任務を出してくれる。

 それだけ、私の力を買ってくれているのだろうが……これは骨が折れそうだ。


「しかし……私。もう少し、言い方なんとかならんのか? はぁ~~……」


 自分の不器用さが嫌になる。こんなんだから友達ができないのだ。

 だが、カノンの将来のためにも、言わねばならないことであった。


 こんな時……ならあの子になんて言ったのだろうか?


「まぁ、いいわ。さて、そろそろ行きますかね……正直、まったく気は進まないんだけど」


 ため息を吐いて、気を取り直して。

 私は己が責務を果たすため、本来の目的地へと向かって歩き始めるのであった。

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