第2話 黒い翼の天使

「主よ。どうか彼らをお許しください。

 彼らは自分が何をしているのかわからないんです」


 虐待されていた母子達を庇うように立ち、騎士達に代わって許しを乞うように祈るその少女はとても美しく、そして――異質だった。


 歳の頃は十代半ばだろうか。

 精緻に整った顔立ちは、まだ幼さを残しつつも、大人びた雰囲気も感じさせる。

 黄昏に燦然と輝く小麦畑のような金髪。

 瞳の虹彩は、心の奥底まで覗き込んで来そうな深い群青色。

 左の手の甲には、十字紋様の奇妙な痣。

 白を基調としたシスター服を折り目正しく着込み、胸には十字の聖印。


 それだけなら、民衆を襲う蛮行を捨て置くことができず、己の信仰に従って、男達の蛮行を捨て身で止めに入った、敬虔で優しきシスターであろう。


 だが、その少女の異質さの全ては、背中にあった。


 少女の背中には一対の翼が生えている。

 しかも――その色は、深い漆黒。まるで宵闇のような。


 その姿はまるで――……


(堕天使!)


 私は思わず、遠目でその黒い翼の天使を凝視した。


 ――堕天使。

 それは、聖エリサレス教の教義で定義するならば、罪を犯し、天より追放され、挙げ句、神に叛逆せし墜ちた天使達。

 人を堕落させ、欲望を貪る、罪と悪の象徴。

 そんな堕天使がどうして、こんな場所に……?


(いや。あの子は恐らく……)


「ちっ……誰かと思えば、穢らわしい《永遠の箱庭エバー・ガーデン》のガキか」


 私が、その黒い翼の少女の正体について推察していると、騎士達のリーダー格がその少女へと詰め寄った。

 そして、少女の胸倉を掴み上げて凄む。


「出来損ないが、人の伝道活動にケチつけてんじゃねえよ……ああ!?」


 いきなり、騎士が小手付きの拳で、少女の右頬を猛烈に殴りつけていた。

 手加減、手心なんて一切無い。

 その衝撃で、少女の頭がぐるんと半回転する。

 あんな威力で殴られたら、女どころか、男だって一撃で失神するだろう。

 許せぬ。


「う、ぐぅ――ッ!?」


 だが、少女は一瞬、ぐらりと傾ぐも、歯を食いしばって耐えて。

 たった今自分を殴りつけた騎士を真っ直ぐと見つめていた。


「……気は済みましたでしょうか?」


「んだとぉ……?」


「父なる主は言われました。”誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬も向けなさい”。

 あなたが私に暴力を振るうことで、あなたの迷える心に、何かの慰みと救いを与えられるのでしたら、私は――……」


 鈍い音。

 少女に説教されて苛立ったらしい騎士の拳が、今度は少女の鳩尾に刺さっていた。


「ぅっ、く、ぅうぅ……!?」


 腹部を押さえ、額にびっしりと冷や汗を浮かべ、悶絶するしかない少女。


 騎士はそんな少女の髪を掴み上げて引っ張り、その苦痛に歪む顔を自分へと向けさせる。


「へへへ、そんなに自分の身体を張って、俺達を慰めてえなら、実際そうしてもらおうじゃねえか。

 おい、お前ら。このガキ、連れて行くぞ」


「お、おい、いいのか? コイツは……」


「構いやしねえよ。どうせコイツらは”捨て駒”だ。

 生きてさえいりゃ、どんな扱いしようが、誰も気にしねえって。それに……」


 下卑た顔の騎士が少女の顎を掴んで、その顔を仲間達へ向けさせる。


「見ろよ。クソ生意気なガキだと思ったが、顔と身体だけは極上だぜ?

 死ぬ前に多少は使ってやらねえと可哀想だろ?」


 少女の顔と身体を見て、仲間の騎士達がゴクリとツバを飲む。

 確かに、その少女は滅多に見られないほど整った顔立ちをしているし、その艶めかしい身体の線は、貞淑なるシスター服でも隠しきれるものではない。


「へへへ……そうだな……」


「他者に奉仕するのが、シスターの本懐ってもんだしな!」


 娯楽の少なそうな都市だ。たちまち色欲に囚われたらしい仲間の騎士達は首肯し、苦悶する少女を囲み、左右から腕を掴んで拘束した。

 そして、怯える母子らに見送られながら、少女を連行していく。

 ぐったりとした少女からは何の抵抗もない。


「……主よ……憐れみたまえ……慰みたまえ……」


 ただ、ぶつぶつと虚ろな目で、力なく祈りの聖句をつぶやき続けるだけだった。


(見 て ら れ な い わ)


 私は、少女を囲む騎士達の肩を背後から叩いた。


「んあ? なん――……」


 その騎士が何事かと振り向いた瞬間。

 私は、その騎士の顔面に拳をめり込ませていた。

 喰らえ、女の敵。純粋な私の怒りと、その他諸々の八つ当たりのパワーを。


「ぎゃあああああああああああああーーっ!?」


 容赦なく振り抜いた私の拳に吹き飛ばされ、騎士が転がっていく。


「えーと? 確か聖エリサレス教の教義では、こうだっけ?

 ”人が人を裁いてはならない”」


 私は、貴族の教養として知っている聖書の一節を思い浮かべながら、パキポキと指を鳴らした。


「じゃ、問題ないわね。貴方達、ケダモノだし」


「てっ、てめぇ!? 何者だぁ!?」


「こんな真似してただで済むと思ってんのかぁ!? ああ!?」


「俺達を誰だと思ってんだよ!?」


 たちまち顔を真っ赤にした騎士達が悠然と佇む私を取り囲んで来る。


「知ってるわよ。聖エリサレス教会、神聖聖堂騎士団でしょう?

 レザリア王国の戦力の中核……」


 私は自分を取り囲む騎士達をちらりと流し見て、含むように笑った。


「な、何がおかしい!? 何笑ってやがる!?」


「いや。何」


 私はできるだけ、にっこりと爽やかに、挑発的に言い放った。


「レザリア王国が、アルザーノ帝国に負けるわけだわ」


「なっ!?」


「だって、この程度の連中が”中核”なんですもの」


 レザリア王国とアルザーノ帝国の確執は、根深い。

 王位継承権問題、国境問題、貿易摩擦問題、経済格差問題、宗教問題……ありとあらゆる要素が重なって、長く続く歴史の中で、両国の関係性はこじれにこじれている。


 ゆえに、私の言葉はこの騎士達にとって、極上の煽り言葉だ。


「ふざけんな!!

 俺達は負けてねぇえええええええええーーっ!!」


 案の定、リーダー格の騎士が反射的に抜剣し、私へと斬りかかって来る。

 私は、自身へ迫り来る白刃を、ただ黙って見つめる――


 聖エリサレス教会教皇庁・神聖聖堂騎士団の聖堂騎士達は決して、弱くない。

 否、世界各国の軍戦力基準で見れば、むしろ強い。


 彼らは、法術と呼ばれる独自の魔術体系に習熟しており、法力を自在に操って、身体能力を増幅し、自己治癒能力を高め、己が武器を強化する。

 こと、ごく近距離の白兵戦に限るなら、アルザーノ帝国の魔術を上回るだろう。


 当然、この騎士も法力で自身の身体能力を強化し、剣に法力を乗せ、必殺の一撃を私へと繰り出している。


 だが――


「なってないわね」


 ――私がふらりと身体を揺らすだけで、刃が虚しく空を斬った。

 掠りもしない。


「――なっ!?」


「法力だっけ? 素晴らしい力だけど、そもそも白兵の技量が低すぎる」


 私は体を捌き、瞬時に騎士の背後へと回り込んだ。

 傍から見れば、さぞ霞み消えるような瞬歩だったことだろう。


「宝の持ち腐れだわ」


 そして、騎士が振り向きざまに、私は動いた。

 滑らかに、鋭く、素早く。


「ふ――!」


 私は軽い気迫と共に一歩踏み込み、腰の回転を乗せた掌打を騎士の胸部へ入れる。

 とん、そんな音が聞こえてきそうな軽いインパクト。

 だが――


「ぐ、ぁあああああああああああああーーッ!?」


 騎士が水平に、冗談のように吹き飛んでいく。


「お、女ぁ!?」


「ふざけやがってぇええええええ!!」


 残った騎士達も全員、抜剣。

 壮絶な法力をその身体と剣に漲らせ、一斉に私へと斬りかかってくる。


 だが――続く戦いはあまりにも一方的だ。


 一人目。

 大上段からの剣の一撃を、私は左手で摘まみ受け、喉へ鋭く右手の突き。


 二人目。

 横薙ぎの一撃を、私は右の手刀で叩き落とし、左の肘で顎を強打。


 三人目。

 左から巻き上げるような斬り上げを体捌きで外しつつ、旋風のような裏回し蹴りをこめかみに合わせ。


 四人目。

 背後からの刺突をかわし、その腕を取り、足を払って、地を揺らすような震脚と共に投げ飛ばす。


「ぎゃあっ!?」


「がっ!?」


「ぐあああああああ!?」


 自分で言うのもなんだが、まるでお手本のような帝国式軍隊格闘術の演武だ。

 たちまち、私の周囲に、騎士達が悲鳴を上げて無様にのたうち回る光景が出来上がる。

 色々と鬱憤が溜まっていたせいか、ちょっと気持ち良かった。


「剣を抜くなら、彼我の実力差くらい把握できようになることね。

 で? まだやる? 次は本格的に”壊す”けど?」


 正直、もうしばらく無謀に立ち向かってきて欲しい。

 こっちは仕事に、左遷に、ストレスで胃が壊滅寸前なのだから。

 私だってたまには羽目を外してもいいでしょう? ねっ?

 さぁ、気合見せろ、騎士サンドバッグども。


 だけど、流石に私と自分達との間に存在する懸絶した”差”を理解してしまったらしい。

 騎士達は怯えたように肩を貸し合って立ち上がり、たちまち退散を決め込みにかかる。うーん、残念。


「……覚えていやがれ……っ!」


 そんな定番の捨て台詞を残して。


「どうでもいいけど、配給チケット? 返しなさいよ。またノされたいわけ?」


「……く、クソッ!!」


 忌々しそうに母子から奪った配給チケットを地へと叩きつけ、騎士達はそのまま我先にと逃げていくのであった。


「……はぁ、やれやれだわ」


 私はため息一つ吐いて、振り返る。


「えーと。そこの貴女。大丈夫? 災難だったわね」


「…………あ」


 背中に黒い翼を生やした少女は、地面にペタンと座り込み、呆気に取られたように私を見上げていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る