第1話 レザリア王国
アルザーノ帝国史を語るにあたり、イヴ=イグナイトという女は、まさに英雄と呼ぶべき傑物であったということは、ほぼ全ての歴史家の共通見解である。
出自は、アルザーノ帝国の魔導武門の棟梁、炎と熱の魔術の大家イグナイト。
魔導士の中でもエリート中のエリート達が集う、帝国宮廷魔導士団特務分室の室長を務め、さらには帝国軍の全権を統括する元帥をも兼任している。
彼女の功績を語るに外せないのは、やはりルヴァフォース聖暦1854年に勃発した第二次魔導大戦だろう。
第二次魔導大戦。
後世の歴史書に語られるところによれば、人類史上最大、そして、最悪の大戦だとされている。
それはアルザーノ帝国内で勃発したとあるクーデター事件に端を発した戦争であり、当時、アルザーノ帝国と敵対していた隣国のレザリア王国がその隙を狙って、死者の軍勢を使って帝国へと攻め込んだ。
それだけならよくある二国間の紛争だが、もちろんそれだけでは終わらない。
レザリア王国が対帝国用の切り札として握っていた、悍ましき古代の超兵器――その名も《信仰兵器》が原因不明の暴走、世界各国を無差別に攻撃開始。
二国間の争いは、最終的に全世界の存亡をかけた泥沼の戦いへと発展した。
このような大戦の裏で、《天の智慧研究会》と呼ばれる外道魔術師達の秘密結社が、あるいは《正義》を名乗るとある男が暗躍し、全ての糸を引いていたとする諸説もあるが……当時の歴史書は詳しくを語らない。
そして、そんな最悪の戦いにおいて、第二次魔導大戦を終結に導いた英雄達の一人が――《
魔術師としての魔術技量・戦闘能力。
司令官としての作戦指揮能力。
彼女はそのどれもが圧倒的であり、時に一騎当千の武勇で、時に天をも欺く知略で絶望的戦況を覆し続け、人類を導く希望の灯火となり続けた。
そんな掛け値なしの英雄が、戦後間も無く、唐突に全ての地位・権限を剥奪され、隣国であるレザリア王国へと派遣されたのである。
事実上の英雄の更迭、そして、左遷。
この追放にも等しい人事に、後世の歴史家達は首を傾げるしかない。
彼女のこの人事については諸説あるが、そのどれもが憶測や創作の域を出ない。
歴史書は多くを語らない。
ただ、不可解な史実のみが、淡々と羅列されているだけである――……
――――。
――。
「やれやれ。やっと到着した……長旅、疲れた……はぁ~~」
時は、ルヴァフォース聖暦1855年、カノンの月(10月)1日。
寂れた大通りに、私ことイヴの呟きとため息が霧散した。
ここは、私の故郷であるアルザーノ帝国の隣国――レザリア王国。
その南部地方イエリアルの首都、聖都ファルネリア。
戦前、レザリア王国を事実上支配していた、聖エリサレス教会教皇庁のお膝元であり、現在、王国内において都市機能・行政機能を辛うじて保っている数少ない都市の一つである。
レザリア王国は、先の大戦でもっとも《信仰兵器》の被害を被った国だ。
王家は滅亡し、教皇庁の高僧や重鎮達も、その多くが死亡した。
多くの都市が破壊され、多くの民が犠牲となった。
かつて肥沃だった国土は半分以上が猛毒の瘴気に侵され、大量の飢えた難民が発生する事態に陥った。
現在、生き残った司教枢機卿ファイス=カーディスが陣頭に立ち、アルザーノ帝国女王アリシア七世の支援を受けて、なんとか国政機能を回復しようと努めている。
だが、戦後の混沌や混乱は未だも尚、色濃く残り、復興の目処はまるで立っていない。
事実上の無政府状態。
それが、ここレザリア王国の現状だ。
「《信仰兵器》なんてバカな物、持ち出した自業自得……とは言えないわね。民衆はそんなもの、知ったこっちゃなかったもの」
私は周囲を見回しながら、聖書にも語られるかの有名なセントリード大通りを歩いて行く。
まぁ、酷いものだ。
かつて、この地は聖エリサレス教の聖地と名高き都市であった。
尖塔や尖頭アーチ、ステンドグラスを多用する、白を基調とした煌びやかな建築物。
大通りに沿って連なるは、敬虔で荘厳なる寺院や大聖堂。
都市のあちこちに立っていた、偉大なる聖者達の像や聖印。
これぞ”神のお膝元”――そう言わんばかりの、天国のように、潔癖なまでに美しい白亜の都市であった。
それが今はどうだ?
「世界最悪と言われてるライゼンファイムのスラム街より酷いわね」
先の戦争の戦禍によって、ありとあらゆる建造物や聖堂が半壊、あるいは倒壊し、まともな姿を保っているものは、数えるほどしか存在しない。
大通りは、レザリア王国の各地方から流入してきた多くの難民達で満ちあふれ、ごった返している。
その誰も彼もが目に精気がなく、道端で蹲って暗く沈み込んでいるだけ。着用している衣服もボロボロで不衛生の極み。
最早、少ない配給で辛うじて命を繋いでいるだけであり、未来も希望もあったものではなかった。
「さっさと帝国の併合を受け入れれば、もっとマシになるのに。
まぁ……言っても仕方ないか」
今の私にできることは何もない。
全ての地位と権限を失い、裸一つとなった今の私には。
(言ってて、また泣きたくなってきた……はぁ……)
私は懐に入れていた封書を取り出し、それを見つめる。
それは、女王陛下直々の勅令書だ。
勅令号名・《女王権令:オーダー01》。その内容は――……
「教官。教官かぁ……
まさか、余所の国で教官やることになるとは思わなかったわ」
ため息一つ吐いて、私は封書を懐に戻す。
(最近、軍務で忙しかったから……久々休暇を取って、趣味の料理でもしながら、お気に入りの恋愛小説でもゆっくり読みたかったんだけどなぁ……)
そう言えば、最近の私の愛読書である『凄腕の女軍人が、任務で潜入先の魔術学校の教師の青年といい感じになるお話』の最新巻、こないだ発売してたな……本の選定に他意はないけど。他意はまったくないけど。ないけど。
と、私が目的地を目指し、再び歩き始めた……その時だった。
「お、おやめください! それを返してください!!」
「うるせぇ! ババア!! 俺達に逆らうのかぁ!?」
通りの向こう側から、悲鳴と怒声が聞こえてきた。
私がそちらへ視線を向ければ、案の定、何やらトラブルの気配だ。
白いサーコートと白銀の鎧に身を包んだ数人の騎士が、草臥れた女性と怯える幼い少女を取り囲み、絡んでいる。
女性は、恐怖で震えながら、それでも必死の形相で騎士達に縋り付いていた。
「そ、それは、私達親子に与えられた配給チケットです!
どうか返してください! お願いします!!」
「っせえなぁ……何度も言ってんだろ? お布施だよ、お 布 施」
「俺達がこの都市を守ってやってんだぜ? テメェも信仰心があんなら、少しくらいこんな清廉で高潔な俺達にお布施しようって気になんだろぉ?」
「神様も言ってるよなぁ? ”与えよ。されば、与えられん”ってなぁ!! ギャハハハハハハハハ!!」
だが、幼い少女の母親らしき女性は、それでも必死に食い下がる。
「で、ですが……それがなかったら、次の配給をもらえないんです!
私達は飢えて死ぬしかないんです! せめて……この子の分だけでもどうか……」
「うるせえ!!」
「あぐっ!?」
必死に懇願する女性に対する返答は、無慈悲な蹴りだった。
(酷すぎる)
そんな無法の光景に、私は深いため息を吐いた。
(現在、レザリア王国はほぼ統制が効かない無政府状態だとは聞いていたけど、まさかこれほどまで酷いとは。
そして、私はそんな国に飛ばされたのか……)
自身の状況に、頭が痛くなってくる。
そして、さっきから親子に絡んでいるあの男達は、その装備から察するに、聖エリサレス教会教皇庁の神聖聖堂騎士団だ。
”我らは聖騎士。神の恩寵と徳に於いて戦う”。
彼らのそんな崇高な理念はどこへやら。
絶望的な戦争が、騎士から高潔なる精神を奪ったのか。
あるいは、長い歴史を持つ宗教体制が、腐敗の一途を辿った定番の末路なのか。
(ま、その両方ね)
下劣で横暴な騎士達に、私は嫌悪と苛立ちを覚えた。
だが、あのようなことは、この荒廃しきった都市のあちこちで日常茶飯事であろうし、今、ここで彼らの蛮行を止めた所で、根本的には何の解決にもならない。
その上、これからの私の行き先と目的を考えれば、連中と揉め事を起こすのが、そもそも得策ではない。
だが――……
「ま、なんとかなるでしょ。はぁ……最近、どっかのロクでなしのいい加減さが、どうにも感染っちゃったわね……やだやだ」
あの騎士の風上にも置けないクズ騎士どもをシバく。徹底的に。
そう決めて、私が連中へ向かって歩き始めた……その時だった。
「お待ちください! 騎士様達!!」
そんな私の傍らを抜けて、騎士達に向かって駆けていく少女が一人。
「……えっ?」
私は、咄嗟にそれを横目で追った。
その少女の細工物めいた美しい横顔に。
だが、禍々しい異形に。
現実と思えない彼女の姿形に、その一瞬――私は忘我してしまったのだ。
「……天使……? 黒い翼の……?」
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