テシウスの船に乗って
ばりるべい
漂流
造船業者は一族の禁忌に触れた事により、異端審問者に捕らえられ牢の中で鬱々とした日々を過ごしていた。
造船業者が犯した禁忌とは、異種族との恋愛であった。その異種族とは、この三次元宇宙では極めて稀な物理的肉体を持った知的生命体であった。一方、造船業者の一族はエーテルで構成された身体を持つエネルギー生命体だ。宇宙空間ではエーテルが充満しているが、一定以上の引力を持った天体内では空気の層によってエーテルの流れが遮断され大気中にエーテルは僅かしか存在していない。その為、一族は宇宙空間を主な生活の場とし天体内に侵入する際には、機械の肉体の中に自身を密閉しエーテルを内部の本体に送り続けると言う七面倒な手を使わなければならなかった。この生態の全く異なる種族の個体同士にどの様な経緯で恋愛感情が芽生えたかは定かで無いが、重要なのは二体の抱いた感情は双方の種族にとっても異常で倫理的にも許されざる事だった。異種族と恋愛の情を育ませ、その結果悲惨な未来が訪れた罪人の御伽話は一族の誰もが幼少期に一度は聞かされる著名なものだった。一族の長達が制定した掟の中にも“異種族間での恋愛、性交を固く禁ず”と言う文言があった。故に掟が設けられて以来、これまでこの掟を破った者は一人としていなかったが、それ故に造船業者の処分は中々決まらず時間は刻々と過ぎていった。
長い時間をかけて造船業者を自ら仕立てた船に乗り込ませ船から出られない様にして遠く離れた宙域に追放する事に決まった。この刑罰はかつて件の異種族との恋愛の悲劇を編纂した古典編集者のアイデアが元だった。
造船業者は自らの棺桶である事も知らずに船を組み立てる事を命じられた。船の内部は一族を一体収容するだけのスペースしか無く、船体にセンサー類と一般の船と同じ慣性を制御する航行装置以外には何もなかった。外から唯一の開閉扉を閉じられると中からは出られない仕組みとなっており、入れられた者は残りの生涯を船と言う名の棺桶の中で過ごさなければならないのだった。
船は2ユガ後に完成した。
再び牢から出された造船業者は訳も分からないまま植民星のターミナルベースへ護送され、1番ゲートに鎮座する見覚えのある船に押し込められる様に入れられた。
造船業者は船体が振動するのを感じ窓枠から外に目を向けた。最寄りのターミナルゲートから一族の長老達がこちらを見ているのが視界に入った。突如、船は猛烈な勢いで上昇を開始した。急激な加速によって身体を構成するエーテルが激しく乱れ、全身を引き裂かれるような錯覚を覚えた。造船業者は息も絶え絶えになりながら加速が落ち着くのを待った。加速は天体の引力圏から脱する為であり、センサーが重力の影響を無視できると判断すれば加速は終了する事を彼は職業柄知っていた。
振動を感じなくなり、恒星系から脱したと理解した造船業者はエーテルの吸収を図った。エーテルが安定した造船業者はこの船が自身の新たな牢獄であり、棺桶であると同時に自信に与えられた罰である事を理解した。
座標転移式ワープ装置の作動を示す警報が船内に響いた。長老達は早急に造船業者を一族が支配する宙域から追放するつもりのようだ。前後に不規則な振動が発生し船体の前方にブラックホールを思わせる空間の裂け目が出来た。船は迷うこと無く深淵の中へと突入した。視界が暗転した様に漆黒に染まり外を直視出来なくなった。
船体が再び落ち着きを取り戻したのを感じた造船業者はゆっくりと目を開いた。
外に目を向けるとそこには未知の宇宙空間が広がっていた。
造船業者は窮屈な船内で身をよじりながら、外の景色から得られる情報で自身の位置を特定しようと必死に目を凝らした。しかし、目に映る天体は自身の知識に無い物ばかりであった。どれだけの間、そうしていたか定かではないがそうやって無駄な努力を続けていた。
意味が無いと思うようになった時には、この宙域の銀河系で最初に見た天体が見えなくなっていた。造船業者は外の世界を視認しないように身をよじり、ひたすら最愛の少女の事を思うようになった。彼女を思う事で現状が変わらずとも心は温かくなった。
彼女はどうしているのだろう…
ふと、そんな考えが頭をよぎり少しずつ不安が心の中に根を張っていった。
彼女は私の事を覚えているだろうか。新しい男が出来たたのではないか。
考えれば考える程不安の種は大きく育ち造船業者の心を支配していった。
不安はやがて彼女の事だけでなく、自分自身へと矛先を変え自身の過去、今、未来の全てに対する後悔と絶望へと変化していった。
いつの間にか造船業者は過去に思いを馳せるのを辞め、この宙域の天体やそこに住まう原生生物を眺めるようになっていた。この宙域では造船業者の一族程発展した種族はおらず、宇宙空間を移動する生物や宇宙船が現れる事は無かった。造船業者は窓枠から遠くの天体をズームして眺めるだけの生活を続けていた。
ある時、最愛の人の名前を忘れている事に気付いた。
造船業者はその事実に何の感想も抱かなかった。
長い時が過ぎた。
彼は自分の名前を忘れてしまった。愛していた女の顔も思い出せなくなっていた。
何故自分がこんな物に閉じ込められているかさえ曖昧になっていた。
名前を呼ばれる事が自身の存在を確かなものにしていたのだなとぼんやりと思った。
この船はいつか止まるのだろうか。いつか私は私自身の全てを失うのだろうか。
全てが虚ろうのを彼は感じた。
名前とは人を人たらしめるものだった。
名を呼ばれる機会を永遠に喪失した男は自分を失った。
名のない男を乗せた虚船は今も暗闇を漂っている…
テシウスの船に乗って ばりるべい @barirubei060211
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