第32話 「あんなにデカいのは外国人級だぜ」
「はぁ、はぁ、ぜはぁ」
肩で息をする。一瞬の攻防だったが、それで肉体的も精神的にも一瞬で疲労してしまった。もう、俺には手がない。これからは一方的に投げられるだけになるだろう。
しかし、そんな俺の悲観を、岩田先輩は仰向けのまま笑い飛ばした。
「フハハハハ。俺を投げたか。一年のガキが、俺を。この『南斗高校の虎』を。フハハハ」
実に愉快そうに笑っていた。岩田先輩はそのまま身体を起こし、地べたに胡坐でかいた。
「やるな! 猫姫よりも、お前の方に俄然興味が出てきた。どうだ? 柔道部に入らねえか? お前なら俺が卒業した後も全国を狙えるぜ?」
何故か俺が勧誘されていた。
「はは、勘弁してくださいよ」
俺も岩田先輩に倣って地べたに座り込んだ。
そのまま、青春ドラマでありそうな、河原で殴り合った後の二人、みたいな感じで会話を交わす。
「なかなかやるな。タダのがり勉野郎じゃなかったか」
「いえ。岩田先輩が俺のリクエストを聞いてくれたからっすよ」
「いいや。それを加味しても、この俺を投げるのは大したもんだ。……名前は?」
「根本っすけど?」
「違う。苗字は知っている。下の名前だ」
「太一っす」
「そうか。じゃあ、太一君。改めて、柔道部に入らないか?」
「遠慮するっす。俺、これでも、もっと大事なものがあるんで」
「そうか。太一君みたいな実力者に限って、表舞台に出てこないもんだからな」
それだけ言うと、岩田先輩は立ち上がった。
俺も立ち上がる。投げられたダメージが少し残っていて、軽くふらついた。
「保健室には行けるか? 肩を貸そうか?」
「要らないっす。それに……綾女!」
俺は校舎の影の方へ、声をかける。
校舎の角から、ひょっこりと綾女が姿を現した。
「えへへー。気づいてた?」
綾女は笑っていた。ああ、この笑顔のために、俺は頑張れたんだな。
「何年幼馴染やってると思ってる。お前がどうするかくらい見当がつく」
それは朝からずっと懸念していたことだった。俺がピンチになれば、綾女はきっと自分のことなんて考えずに、俺を守る。だから、俺はどんな時でも、強気じゃないといけなかった。小さい頃からずっとだ。勉強でも、運動でも、俺が負ければ、綾女が悔しがる。綾女が落ち込む。だから、俺は勝つしか選択肢がなかった。だから俺は常にトップに立ち続けられた。綾女がいたから、今の俺があるんだ。
「肩を貸してくれ」
俺が頼むと、綾女はすぐに俺に近寄って――。
「ぎゃっ」
こけた。少し大きめの石につまずいたようだ。それなら、別に構わなかった。綾女が少しケガをする程度だ。誰も悪くない。
だが、綾女はあろうことか、こけるときに、俺のズボンを握っていた。パンツごと。
校舎裏で、俺は下半身を露出することになった。
綾女は倒れ込んでいるので見ていないが、岩田先輩は、バッチリと俺のブツに視線を集中させていた。
「バカ! 手、離せ!」
俺は慌てて綾女の手をズボンから離させて、ズボンを上げる。
「ううー。私の心配してよー」
綾女は泣き顔で抗議するが、一人で勝手にこけたのだから、知ったこっちゃない。
「岩田先輩、すみません。粗相を……」
岩田先輩に平謝りすると、岩田先輩は口をあんぐりと開けて忘我していた。
「岩田先輩?」
岩田先輩に再び声をかける。
「ああ! スマン!」
岩田先輩は正気を取り戻した。
「いや、しかし……馬並だな……」
岩田先輩は照れたように後頭部を掻いた。
「よ、よかったら、あ、兄貴って呼ばせて――」
「嫌っす。お断りっす」
何が悲しくて同性の先輩から兄貴呼ばわりされねばならん。罰ゲームかよ。
「そうか。残念だ」
岩田先輩は心底残念そうに肩を落とす。
「じゃ、じゃあ、俺と綾女はここで失礼するっす」
埒が明かない気がしたので、早々に切り上げて、この場を去ろうとする。
「ああ。猫姫のことだが、俺からそれとなく他の部活に圧力をかけておく。もうお前に絡むような輩はいなくなると思う」
それは心強い。流石は『南斗高校の虎』だ。睨みを効かせるのは得意なようだ。
「ありがとうございます。じゃあ、これで」
俺は綾女に肩を支えられながら、後者の方へ足を向ける。全く、何回も投げられたので、土だらけだ。だが、それだけの価値はあったかもしれない。
「じゃあな。……兄貴」
「止めてくれ!」
俺は最後に釘を刺し、綾女と一緒に保健室へと向かった。
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