第29話 昼休みに呼び出され


 翌日。


 いつもと同じように綾女と一緒に登校する。今日も綾女は少し早めに俺の家にやってきた。それから、子猫の様子を確認し、二人で俺の家を出た。


 教室の扉で綾女と別れ、自分の席に座る。隣の席のお嬢は、既に一限目の準備を終えていて、まるで瞑想でもしているかのように両目を閉じ、静かに始業を待っている。凛とした、いつも通りのお嬢だった。


「お嬢、おはよう」


 声をかける。お嬢はパチリと片目を開ける。


「おはようございます。根本君」


 一言挨拶を交えると、お嬢は再び目を閉じた。どうやら、邪魔をしない方がよさそうだ。


 しかし、そこでふと昨日の昼休みのことを思い出す。お嬢は子猫の里親になってくれる可能性がある、今現在唯一の希望だった。


「お嬢、静かにしているところ悪いんだけどさ、昨日の子猫の里親の話って、どうなった?」


 お嬢は再び片目を開いた。お嬢の黒目がしっかりと俺を捉える。


「ああ、両親に聞きましたよ。一匹くらいなら大丈夫そう、と言っていました」


 これは吉報だ。三匹のうち、一匹は里親が見つかったも同然だ。それに、お嬢なら身元も信頼できる。既に猫を飼っている実績もあるし、中々いい里親になれると思う。


「そうか。ありがとう。じゃあ、三匹のうち、どいつにするかは追々相談ってことで。一応聞いておくけど、お嬢は黒猫と白猫と茶トラなら、どれが好み?」


 まだ子猫たちの健康チェックも終わっていないので、少なくとも健康状態を確認してから引き渡すべきだろう。一時的とはいえ、子猫を預かった身としての責任ってやつだ。


 お嬢は顎に指をあてて、少し考える。その仕草も優雅だ。


「ええ。そうですね……。どの子猫も好みですよ。私はストライクゾーンが広いんです」


 それは先日のバイセクシャル発言を踏まえての言葉だろうか。これがサオトメクォリティなのか。


「まあ、子猫の里親のこと、相原さんにも伝えておいてくださいな。安心していい、と。この早乙女咲良の名にかけて」


 お嬢は大業に言葉を飾ったが、その言葉に冗談はなく、本気がうかがえた。生命を預かる大任を、お嬢はちゃんと理解している。これなら、今後のことも大丈夫そうだ。


「ああ。分かった。……綾女には時間がある時に伝えておくよ」


 俺は少し考えて言葉を選ぶ。しかし、その機微に、お嬢は聡く気づく。


「あら? お昼ご飯はいつもお二人で召し上がっているじゃないですか」


「……悪いな。今日は昼休みはちょっと別件があるんだ」


「別件? 根本君が相原さんと昼食をご一緒する以上に大切な用事があるんですか?」


 お嬢は驚いたとばかりに両目を開いた。俺は綾女のことを大事にしているつもりだが、構いすぎるわけじゃない。プライベート。一人の時間ってやつも重要だと思っている。いつも綾女と一緒にいるわけじゃない。


「まあ、な。野暮用だ。今日は特別」



 ◇  ◇  ◇ 



 昨日の放課後。岩田先輩をはじめとする猫姫の正体を探る人たちとひと悶着あった後、綾女と一緒に学校を出た。電車を乗り継いで、家の最寄り駅で降りて、肩を並べて歩いて帰った。そこまでは特に問題はなかった。いつも通りの日常だった。まあ、普段と違うことがあるとしたら、綾女が俺の家で遅くまで子猫を構っていたことくらいだろうか。でも、それも日常の延長だ。特別ってわけじゃない。


 しかし、夜九時を少し過ぎた頃、綾女が自分の家に帰った頃に、俺の携帯電話が鳴った。携帯電話のディスプレイには見慣れない電話番号が並んでいた。携帯電話に登録されていない電話番号のようだった。家族でもなければ、綾女でもない。無視してもいいのだが、大事な連絡の可能性もあった。


 まあ、とりあえず話してみるか。


 そう思ったのが三コール目だ。そして、四コール目の途中で通話ボタンを押した。


「はい。根本です。もしもし」


「……」


 通話先の相手は少し静かだった。そのまま五秒ぐらい経過する。


「もしもし?」


 俺が更に相手の発言を促すと、ようやく反応があった。


「明日。昼休み。校舎裏で待つ」


 男声だった。聞き覚えのある声だった。


 それだけ言うと、通話は一方的に切られた。


「……ったく」


 嫌な予感がした。不穏な気配だ。


 だから、俺は俺だけでその問題を解決しようと思った。



 ◇  ◇  ◇ 



 と言うわけで、今日の昼休みは綾女と一緒にご飯を食べるわけにはいかなくなった。綾女にもその旨は伝えている。もちろん、どんな用事があるかは、ぼかして伝えている。それが逆に綾女の興味を引いたらしく、少ししつこく聞かれたが、何とか学校に着くまであやふやに誤魔化しきった。


「そっかー。じゃあ、お嬢と二人で食べようかなー。今日のお弁当も手抜きなんだー」


 綾女は能天気に言っていた。


 その軽さが、清涼剤だった。俺の心の拠り所だった。俺は、綾女のいる日常に、絶対に戻る。どんなトラブルが待っていようと、乗り越えて見せる。


 電話の相手のことを考えながらも、授業を真面目に受けていると、約束の時間である昼休みになった。授業は半分くらいしか頭に入ってこなかったが、しっかり予復習をするので問題はない。少なくとも、綾女に心配をかけるような不始末は起こさない。


 机の中に教科書やノート、筆記用具を乱雑にしまう。電話では昼休みとしか指定されていなかったが、遅刻するくらいなら待ちぼうけする方が気が楽だと思い、そのまま教室を後にする。


 教室の扉から出る時に、チラリと後ろを振り返り、綾女の姿を捉える。綾女も俺の視線に気づき、軽く手を振る。俺もそれに合わせて、手を振り返す。


 うん。大丈夫だ。俺は大丈夫。


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