第24話 その時、鳴き声が響いた


 翌日の朝。珍しく綾女が俺の家にきた。いつもより十分ほど早い。俺はまだ身支度が終わっていない。


「おはようございまーす。太一、猫は?」


 挨拶するなり、子猫が気がかりだったようで、ソワソワしている。


「大丈夫。三匹とも元気だ。学校に行っている間は母さんが見ていてくれるから、安心しろ」


「よかったよー。上がっていい?」


 俺が返事をするよりも早く、綾女は靴を脱いで家に上がっていた。


「今はリビングにいる。支度するから、ちょっと待っててくれ」


「うん。猫と待ってる」


 綾女はすっかり猫がお気に入りのようだ。これだと、里親が見つかったときのお別れが辛そうだな。まあ、里親の見当がついてから心配すればいいか。


 俺はサクッと身支度を整え、まだ名残惜しそうな綾女を連れて、家を出る。


 作ったポスターは俺と綾女で半分ずつ持っている。


 そのまま登校して、朝のホームルームや授業を受け、待ちに待った昼休みになる。


「じゃあ太一、職員室行こう」


 綾女が弁当ではなくポスター片手に俺の席に近寄る。


「おう」


 俺も学生カバンからポスターを手に取り、立ち上がる。


 二階の職員室に行き、学内の掲示物を管理している古典教師の一文字先生の席に向かう。一文字先生はお昼ご飯である持参弁当を食べている途中だった。


「あら? 相原さんに根本君ですね。どうかしましたか? 授業で分からないところでもありましたか?」


 一文字先生は弁当の箸を止め、丁寧に俺と綾女の方を向いて尋ねる。


「実は――」


 綾女が昨日の出来事をかいつまんで説明する。捨て猫がいたこと。里親を探していること。それまで一時的に預かっていること。そして、作ったポスターのこと。


 一文字先生は真剣に耳を傾けてくれた。


「そうですか。それは大変立派だと思います」


 一文字先生はぱあっと花が咲くように笑みを浮かべる。


「分かりました。ポスター掲載を許可します。ちょっと待ってください。掲載許可のハンコを押しますから」


 一文字先生は袖机の引き出しを開け、中から小さなハンコを取り出した。それを俺と綾女が持ってきたポスターにテキパキと押印していった。


「学内の掲示板は全部で十か所あります。落ちないようにしっかり掲示してください。ああ、そうだ――」


 一文字先生はポンと何かを思い出したかのように手を叩いた。


「せっかくですから、このお昼休みに校内放送で呼びかけてはどうでしょうか? 私、放送部の顧問もやっているので、校内放送も許可を出せるんですよ。どうですか?」


 綾女は良し悪しが判断できずに、俺に委ねるように俺の顔を覗いた。


 棚ぼただが、少しでも可能性が高いのなら、俺は話に乗るべきだと思った。


「お願いします」


「じゃあ、放送室に行きましょうか」


 一文字先生に先導され、職員室を出て、職員室の隣の放送室に案内される。始めて入る部屋だった。


「ここは防音になっていますから、外に音は漏れませんし、外の音も聞こえません」


 防音室に生まれて初めて入ったが、音の反響が抑えられていて、不思議な感覚だ。


 専門的な機材がたくさんあって、落ち着かない。そのごちゃごちゃした機材の前に置いてある椅子に座るように、一文字先生が促す。


「そちらに座ってください、目の前にあるのがマイクです。ここのツマミを持ち上げれば、マイクがオンになります。私が最初にアナウンスします。準備はいいですか?」


 話がとんとん拍子に進むので、準備と理解が追いついていない。横を見ると、綾女も同じように呆けていた。


「えっと、ちょっと待ってください」


 綾女がついていけていないのら、俺が出張るしかない。俺は里親募集のポスターを見て、放送で伝えるべきことを頭の中で反芻する。全校生徒に校内放送で連絡するのは、少し緊張するけど、失敗してもリスクがないことを考えると、気が楽になる。


「……はい。大丈夫です」


 深呼吸を一つ入れる。ゆっくりと口から息を吐き、鼻から吸う。それで、少し落ち着いた。


 そんな俺の仕草を見て、一文字先生は柔らかく微笑んだ。


「まあ、初めは緊張するかもしれませんが、気楽に喋ってくださいね。じゃあ、始めます」


 そう宣言すると、一文字先生は放送機材のマイクのツマミを持ち上げて、その横にある「チャイム」のボタンを押す。そして、ゆっくりと普通の会話のようにマイクに声を入れる。


「古典教師の一文字です。校内連絡があります」


 それだけ言って、チャイムのツマミを下げ、マイクのスイッチを切る。


「じゃあ、ツマミを持ち上げたら、連絡事項を話してくださいね。行きます」


 一文字先生が再びマイクのツマミを持ち上げる。音を立てず、一息つく。それから、マイクに顔を近づけ、先ほどの一文字先生と同じくらいの声量で声を発する。


「一年六組の根本です。お昼休みに失礼します。先日、野良の子猫を保護しました」


 敢えて「捨て猫」とは言わなかった。綾女が小学生と約束して譲ってもらったのだ。決して、捨てられたわけじゃない。それは認めたくなかった。


「黒猫のオス。白猫のオス。茶トラのメスの三匹です。現在、里親を探しています。もし興味のある方は一年六組の根元までご連絡ください。よろしくお願いします」


 一通り大事そうなことを伝え終えた。最後に、この件の中心である綾女に、一言頼もうと思い、綾女の背中を軽く叩いて合図を出す。綾女は何を喋ればいいか分からなかったらしい。その結果、綾女はマイクに顔を近づけて――。


「に、にゃ~ん」


 鳴いた。


 いつもの授業の号令のシャンとした声ではなく、文字通り猫撫で声だった。


 俺はその場違いな可愛らしさに吹き出しそうになるが、ギリギリで口を塞いで堪える。一文字先生は苦笑しながら、「チャイム」のボタンを押して、マイクのツマミを下げた。


「ううー。わ、私、変じゃなかった?」


 綾女が泣きそうな顔で尋ねる。


「いや、完全に変だった」


 俺は茶化した風に、でも、事実を告げる。


 綾女は俺の両肩を掴み、前後に揺すった。


「もー。太一に任せたのにー。何で私に振るかなー。もー」


 綾女は愚痴たれていたが、それも小学生との約束の一つだと思って割り切ってもらおう。いやあ、いいものが見れた。


「あはは。相原さん、可愛かったですよ」


 一文字先生がとどめを刺した。


 綾女は顔を真っ赤にして俯いた。



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