第15話 お嬢に聞いてみよう


 目標のお嬢は既に自分の席に座り、一限目の準備をして、静かに待っていた。まるで瞑想しているような佇まいだった。


 朝のホームルームまで後数分である。長々と相談するには時間が短すぎる。俺は手短にお嬢に約束を取りつける。


「お嬢。おはよう」


 お嬢はパチリと目を開け、俺に視線を向ける。その凛とした佇まいが似合っていた。


「おはようございます。根本君」


 ちなみに、ここで朝の挨拶が「ごきげんよう」ではないのはお嬢の狙いらしい。昔、面白半分で聞いたことがある。「お嬢って、ごきげんよう、って言うの?」と。その時のお嬢の返しが「挨拶は相手を見て、言葉を選びます。根本君相手なら、普通に挨拶しますよ」だった。否定しなかったところを見ると、お嬢は相手によっては「ごきげんよう」と挨拶するらしい。まるで漫画だな。


「どうかしましたか?」


 俺がお嬢の顔を見つめたままなのを訝しんで、お嬢が尋ねる。


「ひょっとして……惚れました?」


 だが、その考え方は一般人のそれの斜め上を行く。俺は頭を掻きながら否定の言葉を探す。


「いや、惚れては――」


 いないのだが、それは「俺は」だ。今はお嬢は綾女の憧れの一つの形である。なら、そういう筋書きは悪くないかもしれない。


「いや、訂正だ。惚れてる奴を知ってる」


 すると、お嬢の目端がキリリとつりあがった。


「……私、冗談を冗談で返すのは、あまり好きではないんですけど?」


 流石はサオトメクォリティだ。冗談と本気のメリハリが段違いだ。


 俺はお嬢の鋭い視線から逃れるように視線を外した。


「あはは。でも、お嬢を気にかけてる奴がいるのは本当だぞ?」


「そうですか。それは興味深いですね」


 ん、お嬢の表情が少し柔らかくなった気がする。これなら、イケるか?


「それで、だな。ソイツがお嬢に聞きたいことがあるらしいんだけど、今日の昼休み、時間ある?」


 お嬢は口に人差し指を当て、中空に視線を這わせ、考えている様子だった。


 そのまま、お嬢は首を傾げる。そのままのポーズで十秒、二十秒と時間が経過する。


 ありゃ、ダメかな、これは?


「いいですよ。予定もありませんし」


 思わせぶりの態度だったが、どうやらそれはポーズだったらしい。サオトメクォリティは何とも奥深い。


「そ、そうか。なら、ソイツに伝えておくよ」


「ええ。ええ。楽しみにしています」


 お嬢はニッコリと今日一番の笑顔で頷いた。まあ、「今日」はまだ始まったばかりだけれど。



 ◇  ◇  ◇ 



 それから、授業をのらりくらりと受けて、休み時間に綾女にお嬢との約束を取りつけたことを伝え、午前の授業が終わり、昼休みが始まった。


 学生カバンの中から今日の昼食であるパンを二個取り出した。昨日、綾女と別れた後にスーパーに行って買っておいたものだ。昨日のパンなので、新鮮さは微妙だ。まあ、パンに新鮮さって評価もないか。


 俺は特に何の感情の起伏もないまま、コッペパンの封を切る。そのまま右手に握ったコッペパンを口にしようとした時、目の前の席の椅子がガラガラと向きを変える。


「太一。お昼だよー」


 綾女だった。綾女はいつもと同じように、俺の机の上に遠慮がちに自作の弁当を載せる。


「今朝バタバタしてたみたいだけど、弁当は持参なのな」


「えへへ。昨日の三色丼が評判よさそうだったから、今日も丼ものなの」


 綾女が「じゃじゃーん」と分かりやすく見せびらかすように弁当を袋から取り出す。透明のプラスチック製の蓋から見える中身は、黄色かった。


「親子丼?」


 いや、違う。黄色い表面の中に、茶色い衣が見え隠れしている。これは。


「ふふーん。カツ丼でーす」


 凄いな。朝から手のかかったものを。


「朝から揚げ物したのか?」


「ぶぶー。実はトンカツは昨日の晩御飯の残りなの。だから、トンカツは半切れしかないのです」


 なるほど。よく見ると、楕円であるはずのトンカツは半月状をしていた。


 しかし、量を考慮しても、手がかかっていることには変わりない。朝から女子力を発揮する幼馴染だった。


 そんな俺と綾女のやり取りを横目で見ていたであろうお嬢が、トントンと俺の肩を遠慮がちに叩いた。


「ん? お嬢、どうしたの?」


 俺が何事かと尋ねると、お嬢は顔をピンク色に染めながらプルプル震えていた。


「ね、根本君。今朝の私に会いたがっている殿方の件は?」


 ああ、すっかり忘れていた。だが、件の人物は目の前にいるので紹介しておこう。


 ん? 殿方?


「ああ。お嬢を気にかけてる奴の話ね。ほい。コイツ」


 俺は空いている左手で綾女を指す。


「相原綾女。クラス委員長。知ってるよな」


「やほー。お嬢ー。私だよー」


 綾女も能天気に乗っかる。


 お嬢は呆気にとられたように、口が半開きになった。


「じょ、冗談ですか?」


「いや、本気。綾女がお嬢に聞きたいことがあるんだってさ」


「そうなの。お嬢に聞きたいことが――」


「あぎゃー!」


 お嬢が錯乱した。


「ちょ、ちょっと待て! お嬢! どうした!」


「ね、根本君が思わせぶりなことを言うから、わ、私は半日ドキドキしてしまったじゃないですかー!」


 そ、それはスマン。まさかあのお嬢がここまで取り乱すほどに期待していたとは思わなかった。


「スマン。だが、一言も男だとは言っていないぞ?」


「女だとも言っていません! 確信犯でしょう!」


 いや、そこまで考えていない。


「ああ、もう。ドキドキして損しました。いいでしょう。そちらがそうくるなら、私だって何だってこいです! 何でも聞いてくださいな! 何だって答えましょう!」


 お嬢には悪いが、着地点はそこそこよいところに収まったらしい。


「ほ、ほら、綾女。お嬢がこう言ってることだし、聞いちゃえよ」


 綾女を促す。綾女はまだ事態を飲み込めていないようだった。


「へ? 私? な、何? どうしたの? お嬢、どうして顔が真っ赤なの?」


 混乱している人間が三分の二。これは面倒くさい。


「AAPプロジェクトだ。お嬢に聞くんだろ? ほらほら」


 綾女の背を軽く押し、お嬢の方へ身体を向けさせる。


 まだ困惑している綾女だが、「う、うん」と言っているので、とりあえず話は前に進みそうだ。

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