第16話 サオトメクォリティ(シモトークの場合)


「あのね、お嬢さ。目立つよね」


 昨日聞いた口火の切り方と同じだった。


 綾女の言葉を聞いたお嬢は静かに頷いた。


「ええ。サオトメクォリティです」


 何でもそれで片づけるのか。流石だな、サオトメクォリティ。


「でねでね。それで、私もお嬢みたいに目立ちたいなって思ってね……」


 言葉にしているうちに自信がなくなってきたのか、綾女は不安そうに瞳を揺らした。


「ど、どうかな? どうすればいい、かな?」


 綾女は懇願するように、上目遣いでお嬢に尋ねた。その綾女の姿を見て、お嬢は――。


「ぶふっ!」


 鼻血を吹いた!


「きゃっ!」


「おおうい!」


 綾女と俺は短く声を上げながら、お嬢から距離を取る。幸いに、俺にも俺のパンにも、綾女にも綾女の弁当にも、血はつかなかった。だが、俺の机にはその血しぶきがぴちょりとついた。


「お嬢、下向いて! 綾女、ティッシュ!」


「う、うん」


 俺はお嬢の頭を支えるように下を向ける。鼻血が出た時、上を向いたり横に寝たりしてはいけないらしい。鼻血が喉に入って、嘔吐することがあるらしいからだ。故に、出血したらそれが鼻からちゃんと外に出るように下を向ける。


「ったく、何がどうしたよ……」


 綾女からティッシュを受け取り、小さく鼻栓を作って下を向いているお嬢の鼻にあてがう。本当は綿の方がいいのだが、保健室に行くほど大げさな出血ではない。


「ほら、それで鼻の上の辺り圧迫して、止血しな」


 お嬢は俺の指示に従い、小鼻をつまんで圧迫した。


 俺はティッシュを数枚乱暴に抜き取って、それで机の上を拭いた。ウェットティッシュのように湿り気がないので、鼻血を拭き取るのに苦労した。


 そうやってバタバタしているうちに、お嬢の止血が済んだようだ。


「はあ、落ち着いたか?」


「ええ。取り乱してすみません」


 これもサオトメクォリティなのだろうか、と期待したが、お嬢からは反省の色しか見られなかった。


「まさか、ここまで愛らしい生き物がこの世界にいようとは……」


 愛らしい? さっきの綾女のことか?


 確かに、庇護欲を刺激するような仕草ではあったが、鼻血を出すほどとは思えない。


「お嬢ってさ、ソッチの人なの?」


 恐る恐る尋ねる。すると、お嬢はスッキリとした表情で答える。


「ソッチがどっちかは分かりませんが……。ええ。私はバイセクシャルです」


 聞きたくないカミングアウトだった。


「バ、バイ? ま、まあ、そういう人もいるよね」


 綾女は理解のある風の態度を示した。


 当人である綾女が認めるのなら、俺もそれに追従しよう。


「そ、そうだな。LGBTくらい、今日日珍しくないもんな」


 俺がフォローすると、綾女は不思議そうに首を傾げた。


「LG……? 家電メーカー?」


 毎日勉強しているらしいが、学校の勉強だけじゃなくて世論についてもっと勉強する必要がありそうだ。


「LGBT。レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの頭文字をとったセクシャルマイノリティのことだ。多様性が大事な時代だからな」


 しかし、それでもまだピンときていない綾女は、さっきと逆向きに首を傾げた。


「バイシクル? トランスフォーマー?」


 ああ、もう。ままならん。


「バイセクシュアルってのは男性でも女性でも好きになる両性愛者で、トランスジェンダーってのは身体と心の性が一致しない人のことだ」


 二十年にも足らない人生だったが、まさか本物のバイセクシャルを目にすることになるとは思わなかった。それも、その自覚がありながらも堂々宣言する強者だったとは。


「ああ! だからお嬢は男子も女子もって、ええっ!」


 やっと理解したらしい綾女が、驚いた声を上げる。どうやら先ほどの「理解のある風の態度」は本当に「風」であって、その内実をよく理解していなかっただけらしい。


 その声に気をよくしたお嬢が照れた顔で答える。


「ええ。だから、相原さんも私の、ストライクゾーンです」


 お嬢がグッと拳を突き出す。よく見ると、親指が人差し指と中指の間からにゅっと突き出されている。女握りのハンドサインだ。


「だから、ガンガンにバットを振りますよ。まあ、私にはバットはありませんけどね」


 下ネタもイケる! これがサオトメクォリティ!


 って、感心している場合じゃないな。これじゃあ、話が進まない。


「で、お嬢の趣味趣向は置いといてさ」


「置いとくの!」


 綾女がツッコミを入れるが、無視する。お嬢が綾女に好意を向けても、俺には関係ない。お嬢と綾女の好きにしてくれればいい。女の子同士ってのも、いいかもしれない。少なくとも、どこぞの馬の骨に綾女を取られるよりはずっとマシな気がする。


「綾女も、お嬢みたいに目立ちたいんだってさ。それで、どうすればいいか、アイディアを聞きたいわけ。どう? アンダスタン?」


「……その問いは、イエス、と答えましょう。さらに、オフコース、とつけ加えます」


 お嬢は自信満々に頷いた。


「面白そうです。私もその計画に乗りましょう。えっと、何だったかしら? PPAP?」


 それは動画投稿サイトで盛り上がったコメディ動画だ。惜しいけど違う。


「AAPプロジェクト。意味は『相原綾女をプロデュース』」


 説明すると、お嬢は先ほどよりも愉快そうに、実にいい笑顔を浮かべた。


「いいですね。素敵です。私も加わります。そのAAPプロジェクトに」


 こうして、AAPプロジェクトは全く進歩がないまま、昨日の今日で人数だけは三倍に膨れ上がった。これは幸先のいいスタートと言えるかもしれないし、前途多難の第一歩だと言えるかもしれない。


 結局は、結果が全てだ。


「じゃあ、私のアイディアを形にしてみましょう。相原さんはこちらへ。根本君は……後ろでも向いていてくれますか? すぐに済みますから」


 お嬢の言葉を信じ、俺は綾女とお嬢から視線を外し、後ろを向く。


「えっ……お嬢……そんな……」


「じっとしていて……すぐに終わります」


「……あん」


「ふふふ。敏感なんですね。意地悪したくなります」


 何だか艶っぽい言葉が囁かれている。非常に興味があるが、お嬢の言葉を守ろう。


「ま、まだか?」


「ええ。もう少しです。……できました。もうこっちを向いていいですよ」


 お嬢の許可が出たので、振り返って二人を見る。そこに――。


 髪を縦ロールにまとめた綾女がちょこんと遠慮がちに椅子に座っていた。


「ふひっ。あ、綾女が、た、縦ロールぅー」


 吹き出してしまう。


 そんな俺の反応を見て、綾女は真っ赤になってお嬢につかみかかる。


「ほ、ほらー。私には似合わないよー。もうー。お嬢の意地悪ぅー」


 よく見ると、お嬢は縦ロールじゃなくなっていた。どうやら、ウィッグを着けていたようだ。


「おかしいですね。私の御用達のウィッグなんですけど、似合いませんか?」


「綾女はお嬢と違って、顔の造りが控えめだから、似合わねえって」


 こう言うと、綾女の顔を貶しているようで気が引けるが、その方が現状を正しく伝えられている気がするので、綾女には辛抱してもらおう。


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