誰がヒロインで誰が悪役令嬢でしょうか?
ひよっと丸
第1話
「ちょっと、あんたも転生者なんでしょ」
午後のけだるい時間、品のいいい言い方をすれば『ティータイム』とでも言えばいいのだろうか。学園のカフェテラスで優雅にティーカップを傾けていた公爵令嬢アマリアに向けて、喚き散らすようにぶしつけな言葉を放ったのは、男爵令嬢アリスだ。柳眉をぎゅっと寄せるような表情を一瞬だけしたかと思えば、美しい所作でティーカップをソーサーに置き、赤く艶やかな唇を開いたのはアマリアだった。
「まるでお作法がなっていませんのね」
汚らしいものを見たとでも言わんばかりの口調、そして白いレースのハンカチで口元を押さえる仕草は、まさに貴族のご令嬢といった優美さがあった。
「ふざけないでよ。あんたが悪役令嬢だってわかってんだからね。あんたの差し金で私が攻略対象者たちとエンカウントできないじゃないのよっ、どう責任取ってくれるのよ」
一方的にまくしたてるのはアリス。はたから見れば頭のおかしな令嬢である。なにしろ言っている意味がまるで分からない。そもそも悪役令嬢とはなんなのか、から始まり、攻略対象者とは誰のことを言っているのか謎である。そもそも、貴族籍で言えば男爵は下位であり、公爵は上位だ、目下の物から目上の者に声をかけるなどご法度なのだ。王宮内であればそれだけで処罰の対象となるところだけれど、ここは学園内のカフェテリアであり、いまは放課後であるからギリギリセーフと言ったところだろう。
「何をおっしゃっているのか理解できませんわ」
アマリアはそう言って深いため息をついた。
「わかんないわけないでしょ、悪役令嬢アマリア。主人公たる私のイベントつぶしてんじゃないわよ」
またもや口汚くののしるアリス。言っていることが意味不明すぎてアマリアは眩暈がしてきた。格上の公爵令嬢に向かって『悪役令嬢』とは何を言っているのだろう。もはや頭のおかしい人としか思えなかった。遠巻きに二人のやり取りを覗き見ている令嬢が数名いるのをアマリアは知っていた。カフェテリアに入ろうとして、アリスの怒鳴り声に驚き、扉の陰から様子を伺っているのだ。もちろん、こちらの従業員も銀のトレイを手にしたまま壁際で空気と化している。なぜなら、アマリアが手で制したからだ。
「ここは女学園なのよ?どうして男性が入って来られるとお思いなのかしら?」
静かにアマリアが告げれば、アリスは目を見開いた。
「教師だって男性は一人もいませんでしょ?」
続けてアマリアが言えば、ようやくアリスは大人しくなった。だが、
「で、でも、あんたは週に何回か学園からいなくなるじゃない」
アリスはなおも食い下がった。お前だけ攻略対象者たちにあっているだろう。と。
「わたくしは、王宮に侍女見習いとして通っていますのよ。礼儀作法がちゃんとできていれば学園から推薦状をいただけますの。御存じでしょう?」
嫌味たっぷりな口調でアマリアが言えば、アリスはばつの悪い顔をするしかない。ここまでの言動でわかるとおり、アリスはどう考えても推薦状がもらえるような、礼儀作法ができてなどいないのだ。
「ゲームのスタート画面は毎回スキップされていたのかしら?主人公が推薦状をもって王宮に赴くシーンから物語は始まっていたと思いますけれど?」
落ち着いた口調でアマリアは話すけれど、つまりは自分も転生者でプレイヤーであったことをほのめかす内容だ。だが、決して是といったわけではない。あくまでもそうだったかしらねぇ?なんて明後日の方向を見ている。
「だ、だって、私がヒロインなのに、これじゃあゲームが始まらないじゃない」
握りこぶしを作ってアリスの身体はプルプルと震えているが、こうなったのはアマリアのせいではない。アリスの行いのせいなのだ。
「そもそも、推薦状がもらえないなんて、この学園始まって以来なのではないかしら?この学園の存在意義が分かっていらして?ようは花嫁製造工場のようなものなのよ?礼儀作法を学んで、知識を学び、王宮で働きながら婚活するのよ?推薦状がもらえなかったら本末転倒ではないの。それをわたくしのせいにするだなんて、無責任にもほどがあるわ。ゲームがスタートできないのは、主人公たるあなたが自覚なく行動したからでしょうに」
アマリアは一気にまくしたてると、優雅にカップを傾けお茶を飲み干した。完全に冷めてしまったけれど、いまはその冷たさがちょうどいい。
「何とかしてくれないの?」
アリスは情けなくも、ライバルである悪役令嬢に懇願した。もちろん、現時点でアマリアは悪役令嬢などではない。今後も悪役令嬢になることなどない。あくまでもライバルとして登場するだけだ。だが、こんなアリスではもはや主人公としての資格などないのである。アマリアはちょっとだけ
「なんとかならないこともなくてよ?」
アマリアの言葉を聞いてアリスは目を輝かせた。
「調子にのらないでください」
何か言いかけたアリスを制するようにアマリアは人差し指でアリスの唇を押さえた。
「もう少し、この世界の常識を身に着けていただかないと困るわ。王宮があるということは絶対王政の貴族社会と言うことなのよ?身分の格差に気を使って行動できないものかしら?ここで生きている以上ここが現実だという自覚はあって?」
アマリアがそう問いかけると、アリスは反抗的な目つきになった。
「生意気よ」
そういうなりアマリアは扇でアリスの頬を叩いた。突然の暴力にアリスは驚きすぎて両目を大きく見開くばかりで、開きかけの唇からは何の音も発せられなかった。
「そう、それでいいの。目上の者から許可がない限り目下の者は声を出してはいけないわ。いまは公爵令嬢たるわたくしが目上で、男爵令嬢たるあなたが目下になるわね。……どう? 痛いでしょ?これが現実なのよ?叩かれれば痛いし刃物が当てれば切れて血がるのよ。おわかり?」
アマリアの唇がゆっくりと弧を描いた。恐ろしいほどに完璧な微笑みだ。それを見て、アリスの身体が小さく震えた。瞳が揺れている。
「王宮内でへまをすれば、こんなものでは済まされなくてよ?読んだことぐらいおありでしょう?勘違いした転生ヒロインが無残な末路をおくるお話」
目の前で、完璧な微笑みを崩さないまま話し続けるアマリアを見て、アリスは震えるしかなかった。スチル絵でしか見たことがなかったが、実際に表情を変えずに話をされるというのはなんとも空恐ろしいものだ。
「わたくしが口利きをすれば、紹介状くらいすぐに出ますわ。ただし、わたくしに恥をかかせるような真似だけはしないでくださいね」
アマリアはそう言うと静かに立ち上がり、淑女の礼をして去っていった。後に残されたアリスは、しばらくの間動けないでいた。
――――――――
「なんなのよ、あれは」
紹介状を手に王宮に言ってきたアリスは、カフェテリアでくつろぐアマリアに再び苦情を申し立てていた。だが、今までと違い、一方的にののしっているわけではない。攻略対象者たちとの出会いのないことに怒っているのである。それを聞いてアマリアは深いため息をついた。
「この世界のお作法を覚えて下さらないかしら?この世界は一夫一婦制、しかも結婚後は完全同居ですわ。別居なんてありえませんの。つまり、姑になる夫人に気に入られなければお付き合いもできませんのよ?」
それを聞いてアリスが青ざめた。
「え?同居?義両親と?」
ブツブツとマジありえないとか言っているがそれを聞いていないふりをしてアマリアは続ける。
「貴族街にそう簡単に屋敷を構えることなんて出来るわけありませんでしょう。長男はもれなく跡継ぎですのよ。別居なんて有り得ませんわ。しっかりと後継としての勉強をしなくてはなりませんもの。もちろん、奥方も夫人より女主人としての教育をうけますわ」
アマリアがしれっと言ってことにますますアリスの顔が青ざめる。そんなの、思っていたのとだいぶ、いや、全然違う。まるで個人経営の自営業、もしくは農業経営者のようではないか。自由業は朝起きる時間が自由なだけ。なんてのは単なる笑い話なことぐらい知っている。
「そんなの聞いてないわ」
アリスが抗議すれば、アマリアは鼻で笑った。
「こんなこと、教えられることではありませんわ。親を見て知ることです」
キッパリとアマリアに、言われてしまえばアリスは黙って唇を噛むしか無かった。
「それにあなた、王宮のサロンで何が話し合われているのかちゃんと聞いていますの?」
アマリアに言われて、アリスは黙って首を振った。
「王宮のサロンでご婦人方はただ談笑してお茶を飲んでいる訳では有りませんのよ?今は二年後に流行らせるドレスのデザインと色を決めていますの。ああ、あなたのいたサロンは流行のお菓子を決めていたわね」
アマリアがそう言うと、アリスは驚いた顔をした。そして、
「な、な、何よそれっ」
いささか淑女らしくない声で叫んだ。
当然アマリアは美しい柳眉をひそめたけれど、アリスはそれに気づかない。
「当たり前でしょう?流行が勝手に生まれるなんて極わずかなことよ。ドレスの流行がいきなり生まれたらデザイナーや商人が困るではないの。急に大量の布を仕入れることなんてできませんのよ。わたくしの記憶が確かなら、あちらの世界では三年後の流行を世界中のデザイナーが集まって決めていたはずですわ。まぁ、二年後のことなんてまだ先のことなんて思われるかもしれませんけれど、貴族のご婦人ご令嬢がこぞってドレスを仕立てますのよ?布の確保だけで一年以上必要になりますわ。それに庶民の皆さまにも流行がありますでしょう?そちらをどれだけリーズナブルに提供出来るかも考えていますのよ」
アマリアがサラッと話すものだから、アリスは驚きすぎて口が開いたままだ。
「あなたのいらしたサロンで話されていたお菓子の流行は、食料供給の兼ね合いもありますから一年後のものを話し合っておりますけれど、わたくしがいた事にお気づきになりませんでしたのね」
そう言ってアマリアは呆れたような顔をした。
「え?あんたいたの?なんで?」
驚きすぎていたありすだったが、アマリアに給仕させられていたことを知ると、こんどは怒りの感情が湧いてきたようだ。
「なんで?なんでって、当たり前のことではありませんか。わたくし公爵令嬢ですのよ?嫁ぎ先はもう決まっておりますの。ですからそちらの夫人と一緒にサロンに参加しておりますのよ。まあ、上位貴族のたしなみですから当然のことですけれど」
アマリアがしれっというものだから、アリスは即沸点に達した。
「ふッザケんじゃないわよ。なにあんた、私の攻略対象に手ぇだしてんのよ」
またもや口汚く喚き散らすアリスに、アマリアは美しい柳眉をよせた。
「
アマリアがそうたしなめると、アリスはとりあえず口をつぐんだ。
「言っておきますけれど、逆ハーエンドなんて無理ですから。そんな素振りをみせようものなら修道院に送られてしまいますわよ?お気をつけくださいね」
アマリアは完璧な淑女の微笑みを浮かべカフェテリアを後にした。
――――――
「春らしい色合いのクリームが素敵ですわ」
王宮のサロンで御婦人方の明るい声が響き渡る。このサロンで話し合われているのは来年のお菓子の流行についてだ。春の柔らかな新緑を表現するために開発された薄緑色のクリームが大変好評である。
「庶民の皆様には少しクリームが重たいのではないかしら?」
「それなら焼き菓子に挟んでみてはいかがかしら?」
「それはよろしいですわ。粗挽きの小麦粉で焼き菓子を作ってはいかがかしら?」
「歯ごたえがよろしそうですわね」
楽しそうに談義するご婦人たちは、しゃべりすぎて喉が渇くのかやたらとお茶をお代わりする。まあ、お菓子の試食がありすぎるから仕方がないのかもしれない。給仕をしていたアリスは、静かにワゴンを押して退室した。入れ替わりに他の侍女が新しいワゴンを押してやってきた。目線で挨拶を交わし、ワゴンを押して進んでいくと、聞き覚えのある声がしたので、アリスは思わずそちらのサロンを覗き見た。
「あいつ」
思わず口にしたものの、すぐに周りを確認する。誰にも聞かれなかったようで一安心すると、相手のいるサロンの開いたままの扉をノックした。
「あら?給仕は呼んでおりませんけれど」
小首をかしげるような仕草でそう言ったのはアマリアだった。サロンには他に誰もいなかった。
「あんたこんなところでなにしてんのよ」
アリスがそう言うと、アマリアは美しい柳眉をひそめた。
「少しは大人しくなられたと聞きましたのに」
扇を口元に当ててため息をつく仕草は、洗練されてアリスの目から見ても美しいと思えた。
「もちろん、先ほどまで婚約者とお茶をしておりましたのよ」
アマリアは余裕ありげな顔で答えた。
「婚約者?あんた婚約したの?主人公である私を差し置いて?」
アリスがそう言うと、アマリアはあきれたように答えた。
「まだ乙女ゲームの主人公のつもりでいらしたの?もうとっくに学園も卒業したというのに」
まるでかわいそうなものを見たというような眼で、アマリアはアリスを見た。
「そんな、だって、わたし攻略対象者たちとエンカウントしたし、王宮に侍女として……」
アリスは自分とアマリアを見比べて、動揺を隠せないでいた。悪役令嬢のはずのアマリアは、主人公である自分に何の絡みもないままで、当然断罪劇もなかった。
「もう乙女ゲームは終わっているのではないかしら?」
アマリアはそんなことを口にしながらそっと扇で自分の口元を隠した。そうやって本心をアリスに隠したのだ。
「ゲームが終わっている?そんな、だって、私まだエンディングを見てないのに」
アリスは呆然とした。そこに追い打ちをかけるようにアマリアが口を開いた。
「それよりも、ゲーム自体が違ったのかもしれませんわよね?例えば、育成シミュレーションだったのかもしれませんわよ?」
アマリアがそう言うと、アリスは目を見開いた。
「だって、育成ゲームって、そんなことって、だとしたら、誰が私を……」
アリスはその場にへなへなと座り込んだ。
「紹介状を用意して、ゲームをスタートさせたのは誰だったかしら?よくお考えになって?」
アマリアはそう言って軽く閉じた扇をアリスの肩に当てた。
「無事に学園を卒業して王宮の侍女に就職できたではないの。ゲームは終了したのではないかしら?」
アマリアの言葉にアリスはバッと顔を上げた。
「ごきげんよう。お仕事頑張ってくださいね」
立ち去るアマリアの後姿を見送りながら、アリスは頭の中にエンディングを聞いたような気がした。
誰がヒロインで誰が悪役令嬢でしょうか? ひよっと丸 @hiyottomaru
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