第15話 赤石沢

 森から生き物の気配が消えていた、小鳥の鳴き声さえしない。

 「マリッサ、サガル神山の樹海とはこんなに静かなものなのか?」

 「ううん、分からないわ、肉食獣が多いから近づかないてはいけないと言われていたから、実際に入山したことはないの」

 森は針葉樹林帯だが、部分的には黒い笹が生い茂り、実を付けているようだ。


 樹海は何本もの沢に割かれている、イーヴァンとシンが暮らした洞窟小屋は赤石沢と呼ばれる赤い巨岩のゴルジュ帯(切り立った岸壁)の奥にあるという。

 樹海の中は少し暗いが移動に快適だった、それが沢に近づくと一変する、広葉樹が増えて日が明るく射してくるが、川アブと蚊の猛攻に晒されることになる。

 川アブは毒針は持たないが、蚊と同じように口の針で体液を吸われる、針が太いためすごく痛い、おまけに服の上からでも刺してくる。

 マリッサはムトゥスをかばっているので首の後ろや腕を刺されまくっている。

 早く横切ってしまいたいが深い谷を渡れる場所が見つからない。


 「一度尾根まで登って、方向を確かめよう」

 マリッサの褐色の肌でも分かるほどに射された跡が赤い。

 「そうしよう、これじゃたまらないわ」

 そういいながらも黒い塊がマリッサの隙を伺い飛び回っている。

 「もうっ、なんで私ばかりに寄ってくるのよ」

 「おっさんの血は不味いのたろう」

 「不公平だわ!」

 「地図が欲しいな」

 

 尾根を目指して灌木に掴まりながら急な坂を登っていく、深く足を屈脚して踏ん張る、ハァハァと息が切れる。

 ガサッガサッザザザッ

 「!?」

 アラタの耳が灌木の黒笹の中を蠢く(何か)の気配を捉えた。

 振り向いた先の笹が揺れている、敵意を感じ取ったセンサーの警報が鳴りだした。

 「マリッサ、後ろにいろ!何か来る」

 「えっ!?」

 横向きに揺れていた黒笹がアラタたちの方向に向きを変えた。

 ザワッザワッ

 ジャッ

 黒笹から(何か)が出てきたはずが見えない、鈍く光ったように輪郭が捉えられない。

 キィキキキキッ

 金属を擦り合わせたような不気味な不協和音、いったいどんな声帯が発声させるのか。

 

 アラタは腰のホルスターからワルサーPPKを抜いて鈍く光る(何か)に向けた。

 出来れば発砲したくはない、残弾も気になるが発射音を聞かれれば、こちらの位置を特定される可能性がある。

 

 「頭ぁ下げろぉ!」

 「!!」

 アラタたちの更に上から声が降ってくると同時に、水風船のような物が投げ込まれた。


 バシャァッ


 水風船の中身は赤い染料だ、弾けた赤が見えない(何か)の輪郭を暴きだした。

 

 「あれは!!蟻か!?」

 それは子犬ほどもある蟻、打ち鳴らされる牙が不況和音を生み出している。

 「気ぃ付けろや、襲ってくるぞぃ」

 見上げるとそこには髭もじゃの小さな老人がいた、弓を持っている。

 

 キィイイイイイッ


 赤く塗られた巨大蟻が怒ったように前後に身体を揺らしながら距離を詰めてくる。

 「ほれぃ、女子(おなご)はこっちさ逃げろっ、危なかぞ!」


 老人は好意的に思えるが油断は出来ない、アラタは拳銃を使う決断をする。

 パンッ 軽い発射音と共に撃ちだされた九ミリ弾は巨大蟻に吸い込まれ、鏡の外郭を粉砕した。

 パキャッ!鏡の甲殻が地に落ちた時に蟻は足を折り痙攣を始めていた。

 「うおっ、なんじゃぁ、イザナギアリが勝手に弾けたぞい!おみゃーがやったんかい!?」

 早口なうえに訛りも強く何を言っているのかよく分からない。

 老人は番えていた弓を降ろした。

 

 老人は人族の猟師で長年一人で樹海から天空近くまでを猟場にしているという。

 名をジダンという、歳は六十歳以上からは分からないと言った。


 驚いたことにジダン爺さんは、転移異世界人のことも戦争のことも知らなかった。

 

 「なんぞい、世の中ぁ、そんなこつなっとんたんか、ついぞ知らんかった!」

 「そいで喧嘩しとった異世界人のお前いさんと、赤子を連れた魔族の女子がなぜ一緒に居るんかのう」

 「まあ、いろいろあってな、今は仲間だ」


 ジダン爺は多くを聞かなかった、気を使ったのか、単に面倒だったのかは分からない。


 「めんこい子じゃのう、ひょっとすてこの子はムトゥスという名か?」

 「!ムトゥス様を知っているのですか」

 「やっぱすそうかぁ・・・帰ぇってきちまっただか・・・」

 「爺さん、知っているのか!?」

 「イーヴァン様が連れてねぇっこつは・・・」

 「残念ですが・・・イーヴァン様は亡くなりました」

 「なんつこった、あっただいい人がのぉ」


 ジダンの山小屋は樹海と広葉樹界の境近くにあった、厳密には魔属領の中に人族が住んでいたことになるが、猟師仲間には魔族も人族もない、浮世からも国家からも離れて暮らす彼らは自由人だ。

 見た目老人だが山道を進む姿は山猫のように俊敏だ、小さく軽い身体が飛ぶように木々を抜けていく。

 アラタでさえ付いていくのがやっとだ。


 山猫爺さんの後をついて行き着いたのは赤岩のゴルジュ帯を抜けた赤石沢の入口だった。

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