Queens field Ⅱ 天空の唄笛

祥々奈々

第1話 転移現象

 十分前、雲間くもまに火をいて飛行している僚機りょうきが見えた。

 それきり無線に応答はない。

 撃墜されたのだろう、乗員と兵士二百五十名の命が消えた。


 ビシュッ ビシュッ ビシュッ ギギギイッンッ

 曳光弾えいこうだんが操縦席をかすめていく。


 メッサーシュミットMe323ギガント、全長28メートルの巨体に兵員百名と積載オーバーの重火器を積み、イタリアから北アフリカ戦線へ向かって飛行していた。

 千馬力のエンジンを六基全開で回しても速度は二百五十キロ程度しか出ない。

 巨大な空飛ぶ倉庫の中は、轟音ごうおんが響き渡り隣の声も聞き取れない。


 「機長、振り切れません!!」

 連合軍のP40ウォーホークが喰らい付いている、戦闘機としては平凡な機体だが、輸送機とは比較にならない機動力で迫ってくる。

 「くそぉっ、銃座は何をしている、近づかせるな!!」

 機長は絞り切ったスロットルに更に押し下げようと力を込めるが微動だにしない。

 斜め下方向に巨大な雲海が広がっている、黒い空が不気味に青い空と海を飲み込んでいた。

 「あれだ!雲海に突っ込め」

 「ひどく揺れますよ、機長!」

 「火だるまで落ちるよりはマシだろ、いくぞ!」

 グアアァァァッ

 Me232ギガントは巨体を揺らしながら黒い雲海に突っ込んでいく。


 ギガントの中に詰め込まれていたのは砂漠戦線には不似合いなエーデルワイス章を胸に下げ、グレーの山岳帽を被った第25山岳猟兵さんがくりょうへい師団、ドイツ、オーストリア、イタリア各地の在住ドイツ人義勇兵で変成された師団。

 第一中隊百名を率いるヴォルフ・ハーン大佐は酷く揺れる騒音の中、怯える部下たちを尻目に一人悠々と葉巻を吹かし、目を閉じていた。

 「騒々しいな、落ち着かんか貴様ら」

 「しかし、大尉殿、先ほどから椅子から尻が離れるほどの揺れは尋常ではありません」

 「敵機に追われているのだ、仕方あるまい」

 バキッバキッバババッ ギュュュュウウゥゥゥッ

 P40ウォーホークの銃撃が空中倉庫に穴を開け、至近距離を飛び去っていく轟音。

 「ひいいいっ」

 第一小隊長のデレクが頭を抱えて悲鳴を漏らす。

 「なあに、機銃を少々喰らっても落ちはせん、機長を信じて肝を据えろ!」

 落ち着いて見せてはいるがヴォルフ大尉の葉巻の先が小さく震えている。

 ギユオオオオッッッ ガタッガタッガタタタタッ

 ギガントは黒雲の雲海に飛び込んだ、中は風雨と雷が渦巻く凄まじい嵐が荒れ狂う。

 コクピットの窓には大粒の雨が打ち付け、視界に映るは渦巻く黒い雲だけだ。

 「これは、非常に興味深いですねぇ」

 この状況でヴォルフ大尉以上に冷静を保っている人間が一人、ギガントの窓から外の様子を眺めていた。

 「シュワルツさん、あんた良くそんな呑気なことを……うわぁ」

 「Drヨハン、あれを見てください、渦が縦ではなくて横に巻いています、奇妙な現象ですねぇ」

 ズズズズ ズアアアアッ 渦が加速している、ブラックホールのように空気を飲み込んでいく。

 「これはいけませんねぇ、どうやら吸い込まれているようです」

 「吸い込まれたらどうなるのですか?シュワルツさん!」

 「それは分かりません、ですが興味深い」

 小窓を覗くシュワルツの顔は何処か楽しそうでさえあった。


 ギュウウウウウッ バリバリバリッ 激しい雲中放電の中、渦の中心に引き込まれていく。

 「機長、だめです、コントロール出来ません、引っ張られます!!」

 「敵機は付いてきているか」

 「分かりません!確認不能です」

 周囲はどす黒い雲で覆いつくされている、横向きに伸びる巨大な竜巻は、まるで意思を持つ蛇のようにギガントを飲み込もうと首を伸ばしてくる。

 「竜巻が追いかけてくるだと!?」

 グワアッォォォォッ

 次の瞬間にギガントは巨大な螺旋らせんの渦に上からバクンと飲み込まれた。

 バチィッ バスンッ バスンッ

 「!!」

 「エンジン停止!全エンジン停止!!」

 「電源喪失しています!無線もダメです!」

 渦に呑まれた瞬間に全ての動力が喪失した。

 「錐もみになるぞ、操縦桿を押さえろ!!」

 機長は渾身の力で操縦桿を握っていたが、予想に反してギガントはグライダーのように滑空している、落ちている感覚はない。

 「副長、現在高度は?」

 「ダメです、アナログメーターも動いていません!」

 高度計も速度計もゼロを指している。

 ギガントは蛇の腹の中を更に深く黒い闇に向かって滑り落ちていく。

 あれほど荒れ狂っていた風雨と雷は遠く去り、機体内部には人間の荒い呼吸音だけが聞こえている。

 「機長、あれは……」

 副長の目線の先、辺り一面に広がった星々が高速の速さで飛び去り、やがて光は収束されて一つの光点となり迫ってくる。

 「なんだ、これはどういうことだ?」

 「機長、我々は既に死んでいたのでは!?」

 天国への飛行、非現実的な光景を見れば頷ける、操縦席の誰もが十字を切り、手を合わせた。

 シュバッ まばゆいストロボの光に呑まれた。


 光のトンネルを抜けると、そこは雪原の原野、遠くに途轍もない威容いようを誇る山が見える。

 「……」

 全員が言葉を失っていた。

 ブウゥゥンッ パッ 室内照明が灯り電源の回復が天国では無いことを乗員に知らせる。

 「どこだ、ここは……なぜ着陸しているのだ」

 機長は腰を上げてギガントの巨大な鼻の先から双眼鏡で覗く、下野の端に異形の人型が見える、緑色の肌、それは石器時代の原始人のようだ、手には石斧のようなものを持って走ってくるのが見える。

 よく見ると集団の中に大型の個体も確認できる。

 「なんだ、あれは?ばっ、化け物だ!!」

 「敵……敵襲!敵襲―!!」

 「正面銃座に狙わせろ!化け物を撃て!!」


 機首の回転銃座に設置されたマウザーMG81の7.56ミリが異世界に火を吹いた。

 緑の化け物が銃口初速750キロのモーゼル弾に引き裂かれて血の雨とともにバラバラになって弾ける。

 「血は赤いな!」

 機長は天国ではなく異世界に迷い込んだことを理解した。

 

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