紫色の三角巾

麝香連理

第1話

 カランコロンと音が鳴り、年季の入った扉がキィと開く。

 三つある赤、青、紫の扉の内、赤い扉が開く。

 ペンを走らせ、帳簿をつける手を止めてお客様に目線を向けた。

「いらっしゃいませ、お客様。」

「あぁ……ここは………?」

「ただの飯処ですよ。ここに来たということは、お腹が空いておられるのでは?」

「ん………そうだな、何か貰おうかな。何があるんだい?」

 ニ十代程の男性は、椅子に腰掛けた。

「ここはお客様第一ですので、今お客様が召し上がりたいものを提供させていただいております。」

「へぇ、珍しいね。じゃあ……………どうしようかな。ハハ、いつも決められなくて妻に怒られたものだよ。」

 男性は後頭部をポリポリと掻きながら苦笑いを浮かべた。

「……でしたら思い出の味、などありませんか?」

「思い出の味…………そうだなぁ、母さんのハンバーグが小さい頃から好きだったなぁ。玉ねぎが家だけ大きくてね。きっと切るのが面倒だったんだろうけど、その食感も良くてね。」

 男性の姿が揺らいで、一瞬少年になった。

「でしたら、ハンバーグに致しましょうか?」

「え?良いのかい?時間がかかるだろう?」

 男性は驚いたように尋ねる。

「それはこちらのセリフですが、そちらこそ時間がかかってもよろしいのですか?」

「……………いや、なんとなく急がなければいけない気がするな。すまないが、取り消してくれるかい?」

 男性は考えた後にそう呟いた。

「でしたらシェフのお任せで構いませんか?」

「ふふ、そうだね。シェフのお任せを頼むよ。」

「畏まりました。」


「へぇ、レバニラに玉ねぎか。」

「えぇ、お客様のお母様との思い出から着想を得ましてね。玉ねぎを使ってみようかと。」

「そりゃ楽しみだ。」

 男性と他愛のない話をしながら手早く料理を作り、皿に盛ってお出しする。

「特製レバニラ定食です。」

「おぉ、美味そうだ。」

 米は粘り気と甘味のある品種、汁は人参、大根、ネギの入ったつみれ汁。

 レバニラはレバー、ニラ、もやし、刻んだ玉ねぎ。にんにくを効かせた醤油ベースで炒めて白ゴマをまぶした。

 付け合わせは酢漬けしたキュウリ。

「いただきます。」

 男性は割り箸を割ってレバニラを一口。

「美味い!こりゃ、米が止まらんよ!」

「おかわりは全て自由ですよ。」

「何!?なら食えるだけ食わんとな!」

 男性は入店時とは嘘のように快活に喋り、とても楽しそうだ。見た目も五十代程のようになり、服装も落ち着いた私服からとても年季の入った作業服になっていた。


 暫く、男性がおかわりを数回経て、箸を置いた。

「フゥー……美味しかった………」

「満足していただけて何よりです。」

 空になった食器を下げて、お茶をお出しする。

「悪いね、ここまでしてもらうなんて。」

「いえいえ。それより、急いでいたようですが……」

「………あぁ!そうだった!あまりの美味しさに忘れていたよ!」

 男性はスッと立ち上がると、お茶をあちち、と言いながら全て飲み干した。

「料金は!?」

「いいえ、急いでいるのならツケで結構です。こちらにフルネームを。」

「何から何まで申し訳ない!いずれ必ず!」

 男性は竹田宗一と書きなぐり、青い扉から出ていった。

「あなたの生が良きことを祈っております。」

 紫色の三角巾を折り畳み、扉に向かってお辞儀をした。





ー竹田宗一ー


ピ───ピ───ピ───ピ───

 なんだ?なんの音だ………?

「お父さん!」

 ………ん、この声は………

「お父さん!目が覚めたのね!?」

 目が開き光に慣れてくると、段々と記憶と意識が溶け合って繋がっていく。

「ヒュー……ヒュー……一果?」

「お父さん!」

 成人したというのに心配性だと思いつつも、抱きついてきた娘の頭を管の繋がれた手で撫でた。






 医者に話を聞いたところ、現場の整備不良で俺は足を滑らせて落下したそうだ。

 会社からも当分は休んでいいと通達され、久し振りに家でゆっくりと出来る。

「お父さん、何食べたい?退院祝いに何でも言って!」

「あぁちょっと待ってくれ。」

「あ、うん、分かった。」

 一果も気付いたようで何も言うことはなかった。


「果菜、今日不思議なことがあったんだ。詳しくは言わないけど、そこで飯を食ってさ、そしたら俺は生きて帰ってこれた。きっとあの店のお陰だと思うんだ。もしかしたらお前もあの人と会ったのかな?

……………………ふふ、そろそろ行くよ。一果が痺れを切らしてこっちに来そうだから。」

 りんを鳴らして、仏壇と最愛の妻に黙祷を捧げたあと、娘の元へと向かった。



「で、お父さん、何食べたい?何でも良いは無しだからね!」

「悪いが、ついに俺にも好物が出来たんだ。」

「え?なになに!」

「レバニラだ。玉ねぎが入ったやつ。」

「えぇー?レバニラは作れるけど玉ねぎー?どう使うのさー。」

「ふふ、仕方ない。父さんと一緒に作ろう!」

「えぇ!?お父さん料理出来るの!?」

「何言ってんだ!俺だって料理くらい作れるわ!」

 穏やかな時が流れていく。

 俺は、死にかけた時に出会ったあの店の光景を思い浮かべながら、娘と初めて一緒に厨房に立った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

紫色の三角巾 麝香連理 @49894989

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ