第1話

 キーンコーンカーンコーン。呑気なチャイムが学校中に鳴り響く。今のチャイムは、時間割り的に言うと、一時間目が始まる合図のチャイムだ。しかし私は、たった今学校に到着したところ。誰もいない廊下を、教室のある向きとは反対側に、静かに進む。昇降口から、ほんの数メートル先にある保健室が、私の目的地だ。

 トントントン。辿り着いた保健室の扉を三度ノックし、ゆっくりと開ける。中には誰もいない。私が、いつもの定位置(一番奥にあるベッド)に腰掛けたところで、職員室に行っていたであろう養護教諭の宮下先生が保健室へ帰ってきた。

 「あら、片山さん。おはよう。今日は早いね。」

 私は先生を見つめて、ひとつペコリとお辞儀した。昨日は少し体調が悪くて四時間目が始まる頃に登校していた。

 「はい、これ。数学と英語の課題。あと、今日は古文と科学のテストを受けて欲しいから、復習したら声掛けてね。」

 登校してまっすぐに保健室に向かう私は、いわゆる保健室登校をしている。先生方に理解してもらい、保健室で出された課題に取り組んだり、宮下先生に時間を測ってもらってテストを受けたりして、学校にいる間の時間を過ごしている。

 今日もいつもと変わらない日常が始まった。


 片山美穂、17歳、女子高生。保健室登校を除けば、スマホに夢中だったり、SNSで話題になった音楽を聞いてたり、好きな芸能人がいたりと、私も世の女子高生と何ら変わらない生活をしている。ではなぜ、保健室登校をしているかというと、私は話せない、声が出せないから。これは、“心因性失声症”と診断された。

 きっかけは、両親を不慮の事故で亡くし、唯一の親族である母方の祖母に引き取られたこと。至極簡単に説明すると、私は祖母に嫌われていた。母は祖母の反対を無視し、祖母と縁を切って、父と駆け落ちした。そんな母に激怒していた祖母だが、両親の葬式に参列した際、父の親族は既に他界していたため、私の引き取り手がないことを知り、世間体を気にして私を引き取った。

 祖母は旦那さんを亡くし、私の叔母にあたる、母の妹と暮らしていた。私は、引き取られてすぐに、私に向く二人の視線があまりにも冷たいことから、私は一切歓迎されていないと悟り、どうにか気に入られようと躍起になった。しかし現実は甘くなく、祖母も叔母も私には見向きもしなかった。食事を用意してもらえるだけ有り難いのだと、私は自分に暗示を掛けてどうにか過ごした。その頃には、二人にこれ以上嫌われないためには気配を消すよう務めるのが正しいのだと分かってしまっていた。迷惑を掛けないよう、自分でできることは自分でして、ただ黙って静かに過ごした。そうしていると次第に、学校でも話せなくなり、不登校になった。

 幸い、不登校になってすぐに、母の親友だった友ちゃんが祖母を訪ね、私を引き取らせて欲しいと交渉をしてくれた。祖母はすぐに了承し、私は祖母のもとを離れ、手続きをして友ちゃんと親子になった。

 祖母の元を離れられたことで、ひどく安心したのだが、私の声は出ないままだった。友ちゃんが病院に連れて行ってくれ、私に病名がついた。友ちゃんは私に、もう何も気にしなくて良いと言ってくれた。無理に治そうと思わなくて良いし、話せないことを悔やんだりしなくていいよと、そう話してくれたおかげで、私は今落ち着いた生活が出来ている。


 「そろそろ6時間目も終わるね。じゃあ、片山さんは帰ろうか。」

 先生の言葉に、私はコクンと頷いた。

 「さようなら。」

 通学バックを持ってドアの前で先生に一礼すると、先生は優しく声を掛けて見送ってくれた。


 保健室登校をしている私は、登校も下校も他の生徒とはタイミングをずらして行っている。皆より遅く登校し、皆より早く下校する。こうして、話掛けられる可能性を潰しているのだ。

 まだ話すことが出来て、友達がいた頃をふいに思い出しては寂しくなるけど、話すことが出来ない今の私に友達など出来るはずもなく、出来るのは話掛けられることの無いよう徹底することのみだ。


 学校を出て、イヤホンを付けて歩きだす。友ちゃん家、今は私の自宅でもある家は、バスで15分かかる。学校の最寄りのバス停でバスを待ち、やってきたバスに乗り込み、自宅の最寄りバス停で支払いをして降りる。そこからは、5分程歩けば見えてくるのは友ちゃんのお花屋さん。その2階部分に私達は住んでいる。

 チリンチリンと可愛い音の鳴る、お花屋さんの扉を開ければ、お花に霧吹きで水をあげていた友ちゃんが振り返る。

 「おかえり!」

 笑顔で迎えてくれた友ちゃんに、私も笑顔を向けた。

 いつだって元気いっぱいの友ちゃんの笑顔が、私は小さい頃から大好きだ。

 「みーちゃん、今日は肉じゃがだよ!お店閉めたら作るから、上で待ってて。」

 私は笑顔のまま頷き、お店の奥にある階段から2階の自室へ入った。荷物を置いて、制服から部屋着に着替えたら、手を洗ってリビングでアイスを食べる。そのまま、友ちゃんがお店を閉めて上がってくるまで、私はスマホをいじったり、テレビを見たりして時間を潰す。そうして、仕事を終えた友ちゃんがリビングにきて、作ってくれた夕飯を食べ、二人で後片付けをしたら、お風呂に入って、自室で少し勉強をして寝る。

 これが私の、いつもと変わらない日常だ。

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