新米怪盗ホープちゃん!~奴らにとんでもないものを盗まれました……私の心(物理)です!~

龍威ユウ

第1話:世間を騒がす美少女怪盗

 甘い香りがした。


 ふわりと鼻腔をくすぐる優しい匂いに、彼――葦江仁あしえじんは外へと飛び出した。


 上質な天鵞絨の生地をいっぱいに敷きつめたかのような夜だった。


 ぽっかりと浮かぶ白い月は、氷のように冷たくもとても神々しい。


 しんとした町中に自分の足音だけが不気味に響き渡る。


 タカマガハラは夜であろうとも、その輝きが消えることは決してない。


 しかし匂いの源はその光が届かない、わずかな深淵の闇より漂ってくる。


 ここにいるのか? だとすれば今度こそ逃がしてなるものか。


 不意にかたん、と物音がした。仁はバッと視線をやった。


 場所は近くからだった。そこは闇が支配し、一寸先すらもよく見えない。どこかに続いているだろう路地裏はまっすぐと伸びている。



「あっ」



 月夜を背にしたその少女の口からは間の抜けた声がもれた。


 白い月光をたっぷりと浴びてきらきらと銀色の髪が美しく輝く。


 あどけなさがわずかに残る顔立ちだが、端正で誰しもが見惚れてしまおう。


 一点の穢れもない青々とした瞳など、さながら藍玉アクアマリンのようだった。


 タカマガハラでは奇抜に部類されよう、変わった出で立ちをしている。


 白を主としたそれはどこか巫女服のように思えなくもない。


 ひらひらとした飾り布がとても目立つ。動きにくくないのか? 思わずそう疑ってしまうが彼女の動きはまるで猫のようにとても俊敏だ。



「またあなたなの? 懲りないっていうか……そこまで熱心に追いかけてくる人、あなたぐらいなものよ?」


「見つけたぞ怪盗サクラ……! 今日こそお前をとっ捕まえる!」



 仁は腰の刀をすらりと抜いた。


 ぎらりと輝く白刃を前に、サクラの顔色が明らかに変わる。



「ちょ、ちょっと待ってよ! 女の子相手に刀抜くとか物騒じゃないかなぁ?」



 その口調は、おそろしいぐらい軽い。刀を前にしてもサクラがおそれている様子がまるで感じられない。さすがは大怪盗と謳われるだけはある。仁はつい感心してしまった。



「それが嫌なら大人しくお縄に着いたほうがいいんじゃないのか? お前によって出ている被害総額は相当だと聞いているぞ」


「そんなこと言われてもなぁ。私だってこれを仕事にしているわけだし……ね?」


「盗みを仕事という馬鹿がどこにいる? あぁ、ここにいたな」



 仁は鼻で一笑に伏した。



「あー! 今のはちょっとライン越えだよ! 私のこと、馬鹿だっていいたいんでしょ!」


「そうだが?」



 さらりと答えた。ありのままの事実を口にしたのだから当然である。



「最終警告だ――お縄につけ。さもなくば、斬る」


「ふーんだ! あなたのへなちょこ剣術なんか怖くないもんねー!」


「抜かしたな?」



 次の瞬間、仁は地を蹴った。


 とん、と軽やかな足音はしかし――彼をたちまちサクラの元まで導く。


 一瞬の出来事である。相対した者からすれば、瞬きしたらすぐ眼前に敵がいるのだからさぞ驚愕だろう。サクラの蒼い目がぎょっと丸くなった。



「え? ちょ、待って――」


「待たない」



 警告はさっきした。仁は刀を横に払った。


 ざん、という音の後に路地裏に乾いた金属音が反響した。


 サクラは、まだ生きている。仁が断ったのは配管だった。


 さすがだ。本気ではなかったとはいえ、こうもあっさり避けられるとは。仁はわずかに口角を釣りあげた。



「い、今の本気だったでしょ!? 普通に殺す気マンマンじゃない!」


「お前にかけられた懸賞金は莫大だし、それに生死問わずだからな――こっちからしたらありがたい話だよ」


「こっちは全然ありがたくない! そこまでして私を捕まえてお金がほしいの!?」


「ほしい」



 と、仁は即座に返した。




 葦江流は、古くから存在する流派である。

 かつては戦場で偉業を成したこともあるこの流派だが、それはすべて過去の栄光にすぎない。

 現在ではその名はすっかりと寂れ、むしろ知る者のほうが皆無と言っても過言ではない。

 現当主である仁は、それがどうしても許せない。もう一度、我が流派を全国に轟かせてみせる。

 そうした野心を胸に遠路はるばる故郷を離れ、こうして誰しもが憧れる大都会――タカマガハラへとやってきた。

 そこからは苦難の連続である。まとまった金もなく、住むとこすらも満足に確保できない。

 今は、心優しい食事処の看板娘の好意に甘えさせてもらっている。それも、ずっとというわけにもいくまい。

 怪盗サクラは、タカマガハラを騒がせる女怪盗だ。女人であるからと侮ってはならない。

 そうした者は例外なく、彼女の手によって等しく盗まれた。




「すべては俺の野望のため。だから……大人しくその首を置いていってくれないか?」


「いや目的変わっちゃってるから! 普通に斬り殺そうとしてるじゃない私のこと!」


「じゃあ大人しく捕まるか?」



 と、仁は尋ねた。


 むろん、この問い掛けに大して期待はしていない。



「はいわかりました――って、私が言うと思う?」


「だよなぁ」



 わかりきっていた回答に、仁は自嘲気味に小さく笑った。



「――、じゃあ……覚悟はいいよな?」



 仁は八双に構えた。



「いいわけないでしょ!」 



 次の瞬間、サクラの身体がふわりと宙に舞った。


 こいつは空も飛べるのか!? だとすれば道理で、これまでずっと捕まらないわけだ。


 上空に浮遊するサクラを前に、仁はやがて静かに吐息をもらす。そして鞘に刃をすっと納めた。



「あら? もう追ってこないの?」



 その口調は明らかにこちらに対して挑発していた。


 それを仁は静かに聞き流す。



「……さすがに空に飛ばれてしまったらもうどうしようもないからな。ここは一旦大人しく退く」


 いくら剣の腕があろうとも、それはあくまで当たってはじめて意味もあれば価値も有する。


 空を飛ぶ相手に如何様にすればよいか。まずはその術を模索するのが先決である。仁はそう判断した。



「……ふ~ん、そうなんだ。じゃあ私はそろそろ帰ろっかなぁ~」


「……なんだ?」


「……なにがよ」


「いや、なにがって……」



 仁はいぶかし気な眼差しを送った。


 捕まらない、とそう確信してもよいはずなのにサクラの口ぶりは心なしか不満そうだ。


 とはいえ、果たしてなにが不満なのか仁がそれを知る術はない。


 仁は小首をはて、とひねる他なかった。それが余計だったらしい。サクラの顔がますます険しくなっていった。



「ふんだ! もういいもん! 私、帰るから!」


「あ、おい待てサクラ」


「なによ!」


「大事なことを言い忘れていた」


「だ、大事なこと? な、なによいったい……」



 心なしか、サクラの頬がほんのりと赤い。


 怪訝な眼差しを送ってからすぐに、仁は本題に入った。



「その衣装、上に逃げるのならどうにかしたほうがいいぞ? 下着が丸見えだ」


「へっ!?」


「黒か……それに、なかなかいい形だな」


「ど、どこ見てるのよパンツ覗くとか最低! この変態! 馬鹿! アホ! 間抜け!」


「パンツぐらいでいちいち騒ぐなよ」



 下から見上げるわけなのだから、必然的に見えてしまう。


 これはいわば不慮の事故だ。決して覗きたいという疚しい気持ちがあってのことではない。


 とはいえ、当人からすればそんな事情は知ったことではない。


 リンゴのように赤々とさせた顔で、罵声の限りを尽くした後サクラはいずこかへと消えた。


 程なくして、遠くより警笛が聞こえてきた。今更来てももう遅い。肝心の怪盗にはまたしても逃げられてしまった。



「……次こそは必ず捕まえてやるからな」



 と、仁は遅れてその場を後にした。

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