1-8

ヨースケが教室に入ってくるのが見えて、教室が一瞬しんとした。

ヨースケはなぜか悲しい顔をしながら私の顔を見て自分の席まで来た。

どうしてそんなに悲しそうな顔をしてるんだろうと思った。


「おはよう」


もう知っているのかもしれない。

これだけざわざわしてたんだから、もうヨースケの耳にも入ってるのかもしれない。

新聞記事のこと。どこまでも追いかけてくる私の過去のこと。


「…おはようユリユリ。今までごめんね。俺自分の事しか考えてなくて」


……え?なに?

どういう……?

首を傾げると、ヨースケがさらに切り出した。


「ユリユリずっと困ってたんだね。昨日みゆきに言われたよ。俺がユリユリのそばにずっといるからユリユリが女友達作れなくて困ってるって。俺がいない間は、クラスの女の子と仲良く喋ってるのに、俺がいると俺をほっとけなくて一緒にいることを気付いてあげないと、って。」

「…なにそれ」


唖然とした。笑いも出なかった。

ただ茫然とその言葉を受け止めるので精いっぱいだった。


「ユリユリ優しいから俺とずっと一緒にいてくれたけど、そりゃ女友達も作りたいよね。だからここ最近溜息ばっかりだったんだね。俺気付いてあげられなくて。みゆきはそんなユリユリが可哀相で俺をいつも連れ出してたんだって。俺だけ馬鹿だ。あの時振られたのに未練がましくって馬鹿だよね。これからはあんまり喋らないようにするから」

「ちょ、ちょっと待って。そんな事ない! 私はヨースケの事ちゃんと友達だと思ってるよ。私、ヨースケだけがこのクラスの救いで」


慌てて撤回したが、ヨースケは取り付く島もなく、首を振った。


「ううん。みゆきから、俺がずっと一緒にいすぎて息苦しいって、ユリユリが友達に相談してたって聞いた。ほんとその通りだね。俺舞い上がっちゃって。みゆきがさ、友達あんまり出来てなくて困ってるらしいから、しばらく一緒にいてあげる事にするね」


ちょうど言い終わると、みゆきが教室に現れた。


「ヨーちゃん」

甘えるような、かぼそい声が耳に届く。


「あっみゆきだ。じゃあ今までごめんね、ユリユリ。これからはただの友達でいいから、おはようぐらい言ってくれたら嬉しい」


ヨースケは悲しそうな顔でくしゃって笑って、みゆきの元に行った。

あっという間にみゆきと一緒に教室から出て行ってしまった。


こんな事ならヨースケに今までいじめられてた事をさっさと言っておけばよかった。

そう思う私は、性格が悪いのかもしれない。

でも、できなかった。


色んな理由はあった。

でも本当はそんな綺麗事じゃなくて、いつも偉そうにしてるくせにいじめで悩んでる恥ずかしい自分を知られたくなかったのかもしれない。

みじめだから。


みゆきは真剣にヨースケを好きなんだと思う。

ずっと、ずっと。

私とヨースケが出会う前から。

私の事を気に入らないのは当たり前なのかもしれない。


さっき、みゆきは私の事を一度も見なかった。

もう敵対視する対象でもないとでも言うように。


ああ、そっか。

この世にひとりだ。

ヨースケならこの状況を救ってくれるかもってちょっと期待していた。

ヨースケだけは私の味方でいてくれるんじゃないかって。


そんな事程遠かった。

話す前に距離を置かれた。

みゆきの言う事全部鵜呑みにして、私が話す事を聞こうともしなかった。


結局そう。

みゆきとは十年以上の付き合いで、

私とは一ヵ月未満の付き合いってことだ。


誰が見たって信じる方は決まってる。

いくらみゆきの根性が腐ってても関係ない。


このままじゃ生きていけない気がした。

今までの暗い事実を捨てて、新しい地に来たのに結局捨てる事なんてできない。

抱えながら生きていくしかないんだ。


でも弱い私にはそれができないから、遠いこの町に来たのに。

強がっていたって、分かっている。自分が一番分かっている。

人の目を気にして、弱くて、みじめに思われるのが嫌いなプライドの高い性格で。

そのくせ、立ち向かう強さも無い。


どこに行っても地獄だと思った。


十五という年齢は子供すぎて、子供すぎて、どれだけ罵られてもその組織で生きていく事しかできない。


学校を辞める勇気も、このまま学校を行き続ける勇気も、到底出そうにない。

椅子に座ってうつむいてると、いつの間にかチャイムが鳴って、それぞれ席につきだした。


横を見るといつの間にか帰ってきていたヨースケも着席していた。私に声を掛けてはこない。






後ろの方で“人殺し”って聞こえた。





涙がぼろぼろと零れた。

こんなにも無力で、こんなにも世界は冷たい。


死にたい。

死にたい。

今すぐ死んでしまいたい。

この世界から消えて無くなってしまえばいい。


涙が止まらなかった。


人間は冷たくて、残酷で。

私がこのクラスからいなくなったら喜ぶ人がたくさんいるんだと思ったら、涙が溢れて溢れて、どうしようもない。


誰の人生にも必要とされてない。

それがこんなにもつらい。





「真吾ーーーーー!!!!!!!」



机に座りながら、涙ぼろぼろ零しながら、思いっきり叫んだ。

ヨースケがギョッとした目で私を見た。

クラス中が私を見て、ざわざわし出した。

意味分かんないけど、大声で呼んだら助けてくれるって言ったから。


真吾しかいないと思った。

真吾なら助けてくれると思った。



会いたい。

真吾に会いたい。


助けて真吾。


助けて。


助けて、お願い。


早くここから連れ出して。




ガラガラッ! バンッ!!!


大きな音を立てて、扉が全開になった。

銀色の狼が息を切らしながら、すごい目つきで現れた。


ざわざわしていた教室が一気に静まった。

みんな黙って真吾を見ている。


かっこいい、と思った。

真吾が死ぬほどかっこいいと。


一人で生きていけるような強さを持つ男。

胸が張り裂けそう。

ぎゅっと心臓が掴まれて、周りの空気が止まった。


好きだ、と思った。


この人の事が好きだと思った。


真吾が好きだと気付いた。


さらって。


お願いだから、さらって。


「百合香、どうだ調子は」


あのお弁当の時と同じセリフ。

こうなる事が最初から分かってたかのような。

あの優しいセリフ。


「助けて…真吾」

「ああ、早く来い」


教室の入り口に向かって、泣きながら走った。


みんなが見てる。

ヨースケも見てる。

別にいいと思った。

ここには私を助けてくれる人はいないから。

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