十章、帰還

第12話

帰ってきた、帰ってきたんだ。熱を出して会えなかった期間も含めても、傍にいなかったのがたったの七日間だったなんて思えないほどずっと待っていたよ。でも、不思議と心は通じ合っていた気がした。あれほど状況はアルアの裏切りを明示していたのに一度も疑う気にはなれなかったくらい、アルアは国を守るために行ったんだって、信じていた。けれど、帰ってこられるかどうかだけは自信がなかった。

「女王覚悟!」

「……!」

斬りかかってきた兵の剣を、火花を散らし受け止める。アルアも私を離したかと思うと背後で背中合わせになって戦っているようだった。二刀流同士、計四本の剣が剣戟の音を立て、一太刀も後ろへは通さない。

今は再会を喜んでいる余裕はない。王城はもはや戦場の真っ只中だ。

自分と切り結んでいた相手をばっさり薙ぎ払ったフランクさんが応援に来てくれる。私たちも周囲の敵を蹴散らして、少し間ができた。

「アルアお前……! 無茶苦茶しやがって!」

にやっと笑ったフランクさんがアルアの髪をぐしゃぐしゃと乱暴に掻き回す。

「ぅ……ごめんって。後でいくらでも説教されるから。今、頭揺らさないで……死ぬ」

いつも以上に白い顔をしたアルアは嬉しそうに目を細めつつもふらりとたたらを踏んで、降参のポーズをした。へらへら笑ったかと思えば急にそっぽを向いて口元を押さえる。げほ、と咳き込み背中が揺れて、指の隙間からは血が滴り落ちた。

「アルア」

思わず名前を呼ぶ。そうだ、血塗れの軍服を染めているのはきっと返り血だけじゃない。彼がどんな試練を辿ってここまで来たのかは分からないけれど、きっとぼろぼろだろう。アルアは数回背中を揺らして喉に絡んだ血を咳いていたけれど、ぐいと赤い口元を拭って凄惨な笑みを浮かべた。

「だーいじょうぶですよ、陛下」

まだ行ける、と強い眼差しで私を見る。私は頷いた。に、と嬉しそうに笑ったアルアが私の髪を撫でる。偉いね、って。何も言わなくても伝わってくる。安心だ。あなたがいれば、きっと私は正しい道を選び続けられる。

本当は今すぐにも戦線から退いてほしい。ようやく帰ってきたアルアを失いたくない。でも戦場には彼の力が必要だし、下げるのは一度でも裏切ったように見えた彼の誇りを傷つけることにもなる。だから退かせるのは正しい道ではない。

「嬉しいなー、アルア? 陛下がご立派になって。お前マジでここで死んだら許されねえよ?」

フランクさんがアルアの顔を覗き込んで、喝を入れる。

「当然……っ。分かってるよ」

剣を支えに立っていたアルアが、再び二刀を構えた。またしても敵の波がわんさかと押し寄せてくる。

「陛下ー! 今とかちょうど良いタイミングなんじゃないですかね?」

「そうですね! フランクさんは弓隊の指揮を!」

「はいよぉ!」

「……? メイド?」

フランクさんの声で、城壁の下から登ろうとしてきていた兵達を矢が貫く。そこへ手に手に鍋や桶を抱えたメイドやコック達が到着して、不思議そうにするアルアを尻目に私は声を掛けた。

「今です、皆さん! 掛けてー!」

おらー! わー!と彼女らが手にしていた鍋を敵兵に向かって城壁の上からひっくり返す。中に入っていた熱湯が降り注ぎ、兵達は悶絶した。何やらお湯じゃなくてどろどろのスープやシチューのような物もある。どれもこれも湯気が立っていて、お湯よりも更に服に張り付きとんでもない熱傷を負わせたことだろう。

「ありがとうございます、皆さん! じゃあ下がって第二陣の用意を!」

「「「はい陛下ー!」」」

うまくいった、ときゃいきゃい高い声で騒いで、メイド達はばたばた建物の中へ引っ込んでいく。さっきの兵の波は誰一人として城壁の上へは上がってこられることなく、下で這いつくばっているようだ。

「えげつねぇ……。これ、陛下が考えたんです?」

上から見下ろしたアルアが驚いたように呟く。

「うん。城が戦場になるなら、ある物は何だって使えるよなあって思って」

「ほーんと、アルアがいなくても陛下は作戦会議でがんがんアイデア出してらっしゃいましたもんね。うまく行きましたね!」

フランクさんがにこにこで喜んでくれる。なんだかしばしばアルアに追い打ちをしているように聞こえるのは気のせいじゃないだろう。まあ、アルアがいない分フランクさんに掛かっている迷惑もきっとありましたもんね、すみません。

「……うん。ほんと、すげえよ。やっぱ大好き」

「え、」

アルアは眩しそうに私を見て言った。聞き返したときには既にアルアは傍にいない。テンションが上がったのか、雄叫びを上げて敵の群れに突っ込んでいる。呆然とする私に、フランクさんが隣りで苦笑いした。

「あー……。あいつもうだいぶ頭回ってないかもです。かーなり血ぃ流してるだろうし。ついぽろっと本心が、というか。自分が何喋ってるか分かってねんじゃねえかな」

 それはまずい、戦いを終わらせよう早く。今まで何年も自制していたアルアの抑えが効かなくなっているなんてよっぽどだし、こんなのお互い身がもたない。

城門は破られたものの、敵にとって頼みの綱だった山から来たアルアの部隊が全滅、かつ将のアルアもこっちに戻った時点で元々こちらの優勢モードだった。

「今日我々は、絶対に勝てないと侮られていたガラルドに勝ちます! 絶対に追い返しなさい!」

発破を掛ければあちこちで鬨の声が上がり、敵を追い詰めていく。最後はごくごく少数になった兵を連れ、将軍が引き上げていった。奥の私のところにもばらばらと敵が来て打ち合ったため、剣を握りしめ息を荒げたままでまだ状況が掴みきれない。

「勝っ……た?」

「勝った、勝ちましたよ、陛下! ほら、宣言してやってください?」

自分も軍服を乱してボロボロのフランクさんに、ばしばし背中を叩かれる。遠慮がないから、彼もまた高揚しているんだろう。戦友にされるようなその仕草がやっぱり嬉しい。ちらりと見遣ると、アルアもすぐそこで足を投げ出し剣に縋ってぜえぜえと息を整えていた。俯いて髪に隠れた横顔でも、少し笑っているのが分かる。

「皆さん、お疲れさまでした! 痛い思いをしたり、目の前で仲間を失った方もいることでしょう。でも、あなた方のお陰でローザは勝ちました。始める前から戦力差が圧倒的で、敗戦濃厚だった戦に勝ったのです。ありがとうございます……!」

深々と頭を下げる。歓声と、拍手と。ガランガラン、と金属の投げ出される音。

今日は歴史的な日。ローザが終わるかと思われたのに、ガラルドを追い返すのに成功した日。

「うん。うん。良い演説だ。……陛下、もういいですよ。あとは俺たちがちゃんと指揮して兵を引き上げるんで。あいつのとこ、行ってやってください?」

フランクさんが何度か頷いたかと思うと、とんとんと私の肩を叩いてアルアを顎で指した。

「はい……っ。フランクさんも、ありがとうございます!」

「はいはーい。ごゆっくり~」

フランクさんはひらひらと手を振って見送ってくれる。荒い息を吐くアルアの傍に、すとんと膝を突いた。

「アルア、アルア。お疲れさま。怪我、手当てしなきゃ」

ゆらりと面が上がる。持ち上がった手にぐっと首を引き寄せられて、そのまま倒れかかってしまった。うぅ、と自分でやっておきながら下敷きになったアルアが小さく呻く。

「ちょ、ばかっ、痛いのに何やってんの。みんな見てるって、」

「やった、やったねえおひい。俺たち勝ったんだ」

アルアの上からすぐに退こうともがいても、抱きしめたまま離してくれない彼がふふ、と耳元で嬉しそうな笑みを漏らす。この人、今の状況が分かっているんだろうか。皆が撤収作業を始めているその真ん中で、折り重なる私たちは大注目の的なんだけれど。

「う、うん、そうだよ。本当にありがとう。アルアのおかげ。ねえアルア、だからとにかく手当てを。他の兵も大勢いるしちょっと離れて、」

「やだ」

ぎゅ、と腕の力を強めたアルアが子どもじみた返事をする。本当、どれだけ力を込めても離れられないんだけど。へろへろに弱っているくせにどこにそんな余力があるんだ。

「やだ。シャル、もう離れないで、ずっとずっと傍にいて。ねえ、お願い。ずっと俺と一緒にいて」

私の肩口に額を押し付け彼が懇願する。兵たちがざわめく声が遠かった。

馬鹿。本当に、馬鹿。私ももう離れたくないよ。そう言いかけたとき、呆れたような声が響く。

「いや、離れたのはお前だろって話だよなあ?」

身動きの取れない私を見かねて助け舟を出しにきてくれたフランクさんだ。私まで我を忘れそうになっていたことに気付いて、はっとした。

「おーい救護班ー。このあほたれを早く担架に乗せてやって」

フランクさんが呼び付けた兵が担架を持ってきてくれる。さっきまで駆け回っていたのにそんなのがいるのかと見下ろすと、アルアはぴたりと目蓋を閉じていた。

「アルア?! ふ、フランクさん、アルアが」

「あー、だーいじょうぶ、大丈夫です。寝ているだけ。見てくださいよ、その安心しきった顔。どーせ陛下と離れた異国でろくに寝られてなかったんでしょ」

一瞬慌てさせられたのに、アルアは私を抱えたまま規則正しい寝息を立てている。傷だらけでも、確かにその表情はふにゃんと柔らかい。

「でもまあ、放っておいたら流石のアルアでも死ぬんで。おら、さっさと連れていけー」

「陛下、では離れていただいて……」

「は、はいっ」

兵の遠慮がちな申し出に赤面する。いや、やれるものならやっているんだよ。さっきからずっとね?

「うーーーん、ふーんぬぬぬ」

「「「…………」」」

これぞ一同絶句というやつだ。アルアが意識を飛ばしても担架に乗せられてもまだ私の服を掴んで離してくれない。

「あの陛下、もうそのまま一緒に医務室行ってください、ぶくく」

フランクさんに笑い混じりに見送られ、私はアルアを運ぶ担架にくっついていった。元気そうに振る舞っていたアルアだけど、お城常駐のお医者さまがひいこら言ってひっくり返りそうなほどの大怪我をしていて。意識のはっきりしないまま数日が経過した。時間が経つと流石に手の力も抜けて私を離してはくれたのだけど、いざ傍を離れると途端に身動いで荒い息の合間に不安そうに私の名前を呼ぶ。

「シャル……?」

「大丈夫、行かないよ」

そうやって手を握れば安心したように微笑むものだから、その間離れようにも離れられない。最初は他の兵たちと同じ医務室にいて、女王陛下直々のお見舞いだ、と彼らに喜ばれたりもしていたのだけど、いつまでも女王をそんなところにいさせる訳にもいかない、とアルアは途中で別室に移された。一時は高熱を出して魘され危うかったけれど、ようやく容態は落ち着いてきている。

コンコン、と聞き慣れたノックの音がする。失礼します、と礼儀正しく入ってきたのはサムちゃん。ここ数日の間はアルアに当てがわれた部屋がすっかり執務室と化していた。戦の後処理は山のようにあるのに私が身動き取れないんじゃそうするしかない。

戦の後、駆けつけてきたサムちゃんは私の顔を見るなり怒りたいような喜びたいような複雑な顔をしていて。でもやっぱり喜びが圧勝したようで、私とハイタッチの後力強く手を握ってくれた。予定よりかなり前線まで出ていて危なかった私の行動を咎めつつも、珍しくはしゃいで勝利を喜んでくれたのだった。

「陛下、避難していた住民は全て帰還を終えました。街も城も、壊された部分の復旧にはまだ時間はかかりますけど」

「ありがとうございます。良いんです、困窮する住民への手当ては欠かさないようにして、のんびりやりましょう。生きてさえいれば、皆きっとしっかりここを乗り越えて立ち上がってくれます」

「ええ。既に作業は始まっています。勝ち戦だったんですから、皆の士気も高い。それほどの痛手にはなりませんよ」

サムちゃんは戦の後も一番忙しそうに執務に追われてくれている。アルアや私の分まで本当によく働いてくれていて、きっと彼でなければ回せなかったほどの仕事ぶり。申し訳なくなった私が謝ってお礼を言っても、

「いいんです、陛下は戦でよく頑張られたから。あ、ついでにアルアも。あとは俺が」

なんて言って、出会った頃はアルアが部屋に来るのも叱っていたくらいだったのに、寄り添う私たちを嬉しそうに見るのだった。

「ガラルドの様子はどうなっていますか?」

「戦の後始末に追われているようですよ、我が国以上に。勝てると侮っていた国に大敗を喫したわけですからね、国民からの王政への批判も強い。今回の戦に軍も大半の力を注いでそれを失ったようですし、当分攻め入ってはこられないでしょう。斥候も放っていますが、そのような動きはないとのことです」

「よかったです。今回の件で少しは対等な立場に近づいて、良い条件でこのまま終戦にできるといいんですけど」

「開戦前より確実に可能性は上がりましたよ。陛下とアルアで国の力を見せつけた。ガラルドは今頃混乱の淵にいるでしょうね」

いい気味だ、とサムちゃんは笑った。久しぶりに怖い顔だ。味方で良かった。

「それと、例の件なんですが。城の外でもあの日の噂が広まって、国内の諸侯や近隣の王子までもが到底名乗りを上げづらい状況になっています。陛下は何も悪くなくて、この馬鹿のせいですけど。でも、陛下もそれをお望みで間違いないんですよね?」

サムちゃんが心配そうに確認してくれる。この馬鹿、と言ったその視線に合わせて一緒にちらりとあどけない寝顔を確認して、もう一度サムちゃんの言葉を反芻して。ぼぼぼ、と顔が火照った。

「はい。アルアが起きてみないと、本当に彼も同じ気持ちかは分からないですけど。ご迷惑、お掛けします」

サムちゃんは私を見て、この上なく嬉しそうに笑う。ねえアルア、自分のことじゃないのにこんなに喜んでくれる人がいて、私たちは幸せだね。

「いえ! 全っ然迷惑じゃないんで。じゃあその方向で各所と調整します」

では、とサムちゃんは忙しなく退室していった。熱い頬をぱたぱたと扇ぐ。そうなのだ。サムちゃんが忙しいのは、何も戦の後始末だけのせいじゃない。まだ何も知らない寝顔を眺めて頬を撫でる。

アルア、起きたらびっくりするよ。戦の前と後とで、私たちを取り巻く世界は一変したから。でもこれは、自分たちが動いたから得られた結果なんだよね? アルアが国を守るために動いてくれて、私はそれを信じた。

早く起きて。幸せな世界をその目で確かめて?

「アルア」

長い睫毛に縁取られた目蓋が震えた。

「シャル」

こほ、と咳払いを挟みながら、懐かしいくらいに久しぶりに優しい声が私を呼ぶ。

「アルア!」

ぱっちりと開いた大きな目で私を認めたその人は、きゅっと口角を上げた。うん、と頷くと、私の上半身を布団に引っ張り込む。

「わああアルア?! 大丈夫? 痛いでしょう?」

「はは、痛ぁい。でも幸せだ」

シャル、シャル、と彼は私を抱きしめて何度も何度も確かめるように名前を呼んだ。待ち焦がれた落ち着く声は、記憶にあるよりも甘い。ほろほろと、自覚すらしていなかった緊張が解けていく。アルアが呼ぶ私の名前は、女王の仮面を剥がしていいよの合図。アルアが帰ってこなかったら私はどうなっていたんだろう。胸の奥が冷えて、考えたくもないくらい怖い。

「おはよ……! どれだけ待ったと思ってるの。ずっと、寂しかったんだからね」

アルアに抱きしめられるのと同じくらいの力で、私も抱きしめ返した。あっひゃっひゃ、と嬉しくて仕方ない様子の彼の笑い声がして、ますます腕に力を込められる。幼い頃二人で悪戯したときのようにシーツに埋れて、しばらく笑い合った。

「ごめんね、傍にいるって言ったのに勝手に離れて。でも、信じてくれた。それに覚えてくれてた。俺の言ったこと」

ありがとう、と笑いを収めたアルアが言う。

「夢じゃないよね? 俺、シャルのところにまた帰ってこられたんだよね? ガラルドに勝ったんだよね? 俺、起きたら全部夢なんじゃないかって怖くて」

じわ、と涙を滲ませた大きな目が私を見上げる。笑ったり泣いたり、帰ってきてみればやっぱり本当に表情豊か。あれほど勇ましく戦っていた人はどこへ行ってしまったんだろう。そう思うくらい弱々しいけれど、私にだけそんな姿を見せてくれることが嬉しい。アルアは私にとって安心できる居場所になりたいと言ってくれたけれど、私だって彼にとってそうありたいと願う。

「シャル、シャル。夢じゃないって言って?」

何度も私の名前を呼んでそんなことをねだるものだから、思いきり分からせてやろう。いろいろと夢じゃないって。

少し痩せて以前より雰囲気の鋭くなった顔に手を添え、私はむんずと両頬を引っ張った。歳の割に幼い丸顔の頬は、柔らかくてよく伸びる。「いひゃいいひゃい」とアルアは泣き笑いをした。

「おかえり! 全部夢じゃないよ。今回は許したけど、もう離れたら許さないから。私もアルアが大好きなんだからね!」

笑っていた目がこぼれそうなほど見開かれる。

「俺……言ったんだあ……」

くしゃ、と髪をかき上げ、片手が額に当てられる。言った。大好きって。それも公衆の面前で。いくら朦朧としていたとしても、忘れたとは言わせないからな。

「格好悪ぃ」と自分の行動を思い出してしばらく悶絶していたアルアだけど、次に私に目を合わせるときりりと表情を引き締めた。

「ごめん、格好つかなくて。でもずっと言いたかったのは本当。もう一回、仕切り直させて」

そう言うと身軽にベッドから起き上がる。ああ、そんなに急に動いたら……と心配する前に大きく体が傾いで、慌てて壁を掴んでいた。

「危ないよ、何日も寝てたんだもん」

「まじで……? それは待たせて本当、ごめん」

それでもどうしても今そうしたいようで、ふらふらしながらも一緒に立ち上がった私の前まで回り込んできて、傍に立て掛けられていた剣を取って跪いた。私の足元に愛刀を捧げ、片膝を着いたアルアが私を見上げ片手を差し出す。古くからの、求愛の儀。

「シャル。愛してます。誰よりも、何よりも。会ったときからずっと、今も、未来も、永遠に。どうかこの手を取って、ずっと傍にいてください。この剣に誓って、俺がどんなことからも守るし、どんなときも笑わせる。だから、少し待ってて。もう身を引いたりしない。反対の言葉だって全部黙らせてみせるから。シャル、」

俺と、結婚してください。

少し緊張した顔をして、きゅっと力の入った口角は上がって。優しい眼差しをした人が、微笑んで私を見る。仕切り直させてと格好をつけるはずが、あちこちまだ血の滲む病衣姿で、急に動いたせいで解けた包帯が首やら腕やらあちこちからだらりと垂れ下がっていた。それでも、そうやって自分がぼろぼろになってでも私を守ってくれるこの人が紛れもなく世界で一番の私の騎士で、側近で、愛する人で、……未来の夫。

「喜んで」だったのか、「私も」だったのか。返事をしようとした唇は震えて、言葉を紡ぐことはできなかった。

「……わ、」

「?」

手を差し出したままのアルアがきょとんと首を傾げる。

「わああああああああん!!」

城中に響き渡るような声で、私は泣いた。顔を覆い泣いて泣いて、立っていられなくて泣き崩れた。

「あああ……っ、ああああ!!」

愛おしい。好きだ、大好きだ。ふざけるところも、真剣な顔も、甘える姿も、命を懸けて守ってくれるところも、全部全部。

「はは……っ。そんなに泣かないでよ」

私を笑いながら抱きしめて、アルアの声も少し泣いていた。

「ま、陛下はもう待たないんですけどね」

と珍しくノックもせずに入ってきたのはサムちゃんだ。

「えぇ?」

こんなに嬉し泣きしているのに待ってくれないの? と涙目のまま困惑したアルアが私を見る。

「もうアルアのことなんて待ちませんよね、陛下?」

「ねー!」

私とサムちゃんはにこにこで笑い合った。

「えー! そこ二人はいつの間にそんなに仲良くなって……」

事情が掴めなくて置いてきぼりのアルアがむくれる。

「お前が俺に任せて陛下を置いていくからだろ。マジで帰ってきたら一発殴ってやろうと思ってた」

「その節は! すみませんでしたサムちゃん!」

シュバっとサムちゃんの方へすっ飛んでいって跪いたアルアは平謝りだ。サムちゃんは長い指でぴん! とアルアのおでこを弾いた。「あだっ、俺怪我人」とアルアは小さく呻いている。

「おかえりアルア。何も相談しなかったのは駄目だけど、アルアのお陰で勝てたからそれで許してやる」

怒ったふりをしていただけのサムちゃんが、ふふふと笑った。

「ありがとぉ! 俺じゃなくて、俺のことを信じて陛下を守ってくれていたサムちゃんのおかげぇ!」

おでこを押さえたまま感激してまた涙目になったアルアに、サムちゃんはひらひらと書類を振る。

「それはもういいから。サボった分、働いて返してもらうし。それだけ元気ならもう書類仕事くらいできるでしょ」

随分スパルタだな。この人、さっき起き上がっただけで思いきりふらついてましたよ、と止める間もなくアルアも「うん、やる」と頷いた。知っていたけれど彼も呆れるほどの仕事人間だ。

「まあ俺もいちゃつかせてあげたいのは山々なんだけど。アルアにガラルド国王からラブレターが来てるんだよね」

サムちゃんは苦笑する。アルアはゴッフォォ! と噴き出した。疚しいことはしてない、信じて、と私を見つめてくる。いや大丈夫だよ、疑ってないよ。

「何? ラブレター?」

「読めば分かるよ」

「『此度の戦では完全にしてやられた。敵国の密偵を自ら引き入れ罠に陥るとはな。それにしてもその頭の回転と度胸、お前は実に頼りになる存在だったのだ。どうだ? 今回は負けたとはいえ我が国は兵力でも財力でも圧倒的優位。好きな物をやろう。私の側近にならないか。そうすれば終戦も考えてやる。――ガラルド国王より』……まじぃ?」

「アルア、あなた何してきたの」

「いや何も……」

アルアは困惑顔。どうやら敵国でまで天然の人たらしを発揮してきたらしい。

「ね? ラブレターでしょう?」

とサムちゃん。

「俺が返事書いていい?」

アルアは机に向かうと、さらさらと迷いなく筆を走らせていく。

「こんなのでどうかなあ」

「『そちらでは大変世話になった。今回、俺は密偵として訪ねた訳ではない。全てその場の判断からの行いであり、知っての通り連絡だって取れなかった。それなのに陛下が正確に俺の行動を予測し、完璧な対応を取ったが故の結果である。それでも彼女の治める国をまだ格下だと侮るか? 譲歩なんて必要ない。何度でも返り討ちにしてやる。もちろん友好的な国交を築けるならそれが一番望ましいが。ローザ国王側近、アルアより』――まあ……随分大きく出たねえ」

「駄目かなあ」

「もう! 有言実行すればいいんでしょう。これでいいよ!」

 パン! と手紙に勢いよくローザの刻印を捺した。

「そんじゃ、ガラルドは当分アルアに相手をしてもらうとして。あとは陛下の結婚式ですね!」

「えっ誰と……。サムちゃん、俺頑張るから、もうちょっと待ってほし」

「アルア! あのね、もういいんだよ!」

ようやくスタートラインに立てたのにもう婚約者は決まってしまっていたのか、とおろおろするアルアに手っ取り早く状況を分からせようと手を引き廊下へ連れ出す。すれ違う兵もメイドも大臣も公爵も、私の次に「アルア様!」と頭を下げた。

「なーんか……回復を祝われるだけじゃなくてやたらと敬われるんだけど。どういうこと?」

「そりゃ単身敵国に乗り込んでごまんといる軍勢と戦い負け戦を勝利に導いた英雄が、陛下に『大好き』って抱きついて。陛下も満更でもなさそうなら、他に誰も陛下の夫の地位に名乗りなんて上げられないよね」

サムちゃんがあの日のアルアの行動をつらつらと並べ立てる。

「みんな、アルアが陛下の夫になるんだって思ってる。誰も異議なんて唱えない。同じことなんて真似できっこないんだもん。アルアはもう自分で国中に認めさせたんだよ」

サムちゃんが眩しいくらいに笑い、アルアは涙ぐんで私を抱え上げるとぐるぐる回った。

「シャルー! 大好きー!」

「わあ?! 私も好きだけど、傷が開くって!」

人々が私たちを見て微笑む。あなたがいれば、目に映る全てが輝いて見えた。

この場面がローザ王城に飾られている肖像画だ。平和な治世を行った名君とその王配として。普通は澄まして座った正面からの絵が多いのに、話を聞いた画家が気に入ったとか。見ているだけで幸せになるような二人だったと、遠い先まで末永く語り継がれることになるのだ。

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氷の女王と太陽の側近 @NatsunoMarin

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