彩を君に

小麦ちゅるちゅる

第1話

「乾杯ー!」


 煙草臭い居酒屋。喧しい乾杯の音頭と共に誰もが酒を呷る。そこで二十成り立ての、微かに乱れた黒髪を肩にかける大学生、千崎綾は周りとそう変わらず漏れずお酒に溺れていた。

 覚えたてのお酒。もう何杯目かも、何回目の乾杯かもわからない。


「千崎ー、飲んでるー?」


 同じサークルの……、誰だっけ? ああそう、咲宮に絡まれる。彼女も大分と飲んでいるようで。明るめのショートボブを耳にかければ、露になった頬は赤らんでいた。

 話しかけられれば返事を返すのが礼儀というもの……。


「飲んでる……、飲んでるー? 飲んでる!」

「あはは! 千崎飲みすぎ」


 咲宮は上機嫌に千崎の背中を叩く。その衝撃で千崎は嗚咽を漏らしていた。


「え⁉ ちょっと千崎大丈夫……?」

「だい、じょうぶ……」


 と言ったそばから綺麗とは言い難い嗚咽。千崎は急いで席を離れお手洗いに駆けこんでいた。

 ヤバい、出ちゃう……! 間に合え間に合え間に合え間に合え……!

 必死の駆け込みでなんとか間に合い、千崎は胃から内容物をこれでもかと吐き出す。

 あー、もう最悪。


「大丈夫?」


 相当飲み過ぎたのか、耐え難い苦しみの中何度も吐いていると、扉の開く音と同時にそんな声が聞こえる。優しいのに、どこか棘のある声。


「ほら、全部出しちゃいなさい」


 謎の女性は中に入ってくると千崎の髪を後ろで束ね、背中を擦る。


「あ、ありがと……」

「いいえ。ほら、出せる?」

「だ、せます……」


 嗚咽混じりに言いながら千崎はまた吐き出す。そんな千崎に、謎の女性は甲斐甲斐しく付き添ってくれた。



          *



「じゃあおつかれー」


 幹事の男子は謎の女性と、担がれる千崎にそう告げるとそそくさとその場を離れ二次会に行く面々と合流する。

 それを曇った眼で見送る千崎は、もう碌に喋れもしなかった。


「千崎さん、お家は?」

「おうち? わかーない……」

「……しょうがないわね」


 謎の、明るい栗色の髪の女性は千崎を担いで歩き出す。

 千崎は朧げな意識のままだった。

 歩いたような気がして。

 タクシーに乗ったような気がして。

 エレベーターに乗ったような気がして。


 なんだかわからないけれど。気持ちよかった。これは、お布団……?

 千崎は、布団の上に寝かされていた。


「千崎さん聞こえてる?」

「きこえ、きこえてましゅ」


 謎の女性はベッドに寝かした千崎の首筋を指先でなぞる。


「ごめんなさいね」


 たいして思ってもなさそうな形だけの謝罪。それだけ告げて、謎の女性は千崎に顔を近づける。


「なに、してんの……?」


 千崎は目が合い、彼女の体温が近づき、息が交じり合う。そうして千崎は目を閉じた。

 かぷり、と。噛まれる。


「はえ……?」

「顔を動かさないで」

「はいぃ……」


 刺すような女性の口調に千崎は言われるがまま。

 淡い光に包まれる、天井しか見えない視界の横で、女性が千崎の髪を弄っている。首元で、熱い吐息を漏らしている。

 なんだか気持ちよかった。気持ちいい。とても。ずっと続けばいい。そう願って、女性の頭をそっと抑える。女性は一瞬震えて、続けた。

 水音が、静寂の中に織り交ざる。耳をすまして、女性の髪を撫でつけて。

 千崎は意識を手放しそうになっていた。


「……面白いわね、この子」


 千崎が意識を手放す直前、女性が顔を上げる。その瞳は。 ――紅だった。

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