勇者 ✕ 聖女
(なんだ…? 奴の空気が変わった)
それまでは何を言っても柳に風だった男から苛立ちが滲み出る。その後すぐにまた平静を装ったが、今の発言に奴の鉄面皮を崩す〝何か〟があったのは間違いない。
「ハッ、ようやく人間らしくなったな。誕生ソングでも熱唱してやろうか」
「ナチュラルに人外扱いはやめろ。それで言うと貴様の方が人間を辞めているだろ」
戦いを再開させたのは同時だった。ほぼ一緒のタイミングで駆け出し、奴だけが攻撃を通すことに成功する。
(クソッ、足りない! 『眼』も段々追いつかなくなってきたのに純粋なフィジカルで差があり過ぎる。奴の半分、せめて5分の1でもあればッ)
いや、方法なら
(そんなん今更だろ。
この際もうどっちだっていい。真に敗北を認められないならこの先一生を棒に振るだけだ。俺が小物と評した、あの醜い男と同じ結末を辿るだろう。
もしそうならそれまでの男だったというだけの事。
蓮には敗けを認める気概があって俺には無かったという自業自得で話は終わるが、一人なら未だしも今の俺にはそれじゃあ駄目な理由があるのだ。
俺の後ろ……無事に戻ると約束した相手は召喚された時以上に泣き腫らし、それでも俺を生かそうと戦いへの介入を試みていた。
(下らないプライドなんて捨てろ。今重要なのは俺が勝てるかどうかじゃない。
勝てば真実負ければ世迷言。今まで勝ち続けてきたから意味を為してきた言葉も
ならば答えは一つしかないだろう。
「アルシェ。お前ができる最大限の付与を頼む。もうこれしかない」
「そんなこと出来ませんっ! 御身はもう限界です!? これ以上やったらカナエ様の命が「アルシェ」――ッ!」
「頼む」
「あ…」
おいおいそんな絶望した顔をするなよ。死にに行くんじゃないんだ、自分で立てた誓いを果たすだけだから。
とは言え酷なことを言ってるのは分かってる。
俺に傷付いて欲しくないアルシェからすれば、自分の手で戦闘を激化させ死地に追い込むんだ。これ以上の精神的虐待は思いつかない。
しかし他に方法が無いのも純然たる事実。例え後で恨まれようとここで引いてはいけないのである。それをしたら本当に俺が俺でなくなる気がするから。
「で、ですがカナエ様がこれ以上の負荷に耐えられないのは本当なんです!」
「なら回復しながらで良い。
「そんな恐ろしいこと…! 大体どうやって高速で動き回るカナエ様を治療すればっ」
「さっき見せた《
「そ、それではそこの不届き者まで回復してしまいます」
「なら俺だけに対象を絞れ。出来ないとは言わせないぞ」
一つ一つ反論を潰していき、協力するしかない状況を作り上げる。これは信頼に擬態した脅迫行為だ。
アルシェが断れないと分かっていて。彼女の立場では従う以外の選択肢がないと理解した上で支援を迫った。
後で自分を責めないように。どんな結末になったとしても彼女が己を赦せる理由の一つにでもなればと、召喚前の俺ならば有り得ない心の変化に戸惑いつつもアルシェを気遣った。
「はっ、だとしたら
余りの残念さに思わず本音が溢れる。俺ってこんなに不器用な性格してたっけか。何かもう色々分からなくなってきた。多分貧血のせいだろう。
「というわけでお前を斃す。負けるのが怖いなら尻尾巻いて逃げるんだな」
「何がという訳だ。この機会を逃す理由が無いし、
「自己嫌悪か? 介錯なら手伝うぞ」
「人の機敏に疎いようで実は違うのも腹が立つな」
喩え怪我が治ったとしても失った血までは戻らないだろう。既に致死量もギリギリ。
あと一回。この一回の戦闘で決め切らなければ俺の負けだ。
「【
気合を入れ直したところでアルシェの結界が顕現する。
先程見た結界とは用途が違うようで、内包する魔力の性質や張り巡らし方など微妙に異なっていた。
横目で見れば大粒の涙を流してそれでも言いつけ通り魔法の準備をする様子が確認できる。顔を俯かせて表情は分からないがきっと後悔しているに違いない。悪いなお前を泣かせるような我儘勇者で。
「ア……【
傷が完全に塞がり、悲鳴のような声と共に二枚目の結界が現れた。
本当だったら使いたくなかった。そんな気持ちで作り出された結界はしかし使用者の想いとは裏腹に少しの歪みもなくそこに在り続ける。
「どうか無事でいて――! 《全能力強化》《
「ほう、まだこれだけ巨大な結界を作れたのか。落石から兵士を護ったものよりかは小さいが二人でやり合うには十分だろう」
「てめえ…」
《
《center》《b》・《/b》《/center》
《center》《b》・《/b》《/center》
《center》《b》・《/b》《/center》
《
「さあ始め――いや終わらせよう。王国を巻き込んだ俺と貴様らの戦い、そしてこの恐怖をな」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
月が上り始めたアトラスの森――時間は少し遡り、アルシェが襲撃を受けた最初の街道にて。
「う……うぅ…」
そこには完膚なきまでに敗れた騎士達が何人も横たわっていた。
気絶している者。脚を押さえて苦痛を訴える者。中には反応すら無く、既に息絶えた者もいる。
これが魔物の大群などではなく、たった一人の介入により齎された惨状だと誰が信じようか。半数が重症で、残り半数が死亡。変わり者と評され集められた彼等だが、王国の騎士である以上弱いわけがない。
全員が“覚醒”を終え、他国の騎士団と比べても高い水準にあるのは紛れもない事実。一騎当千とまでは言わずとも一人ひとりが並みの兵士の練度を越えている。仮に仕える国が違ったとして、下っ端で終わるような者は誰一人としていない。
「うっ、ぐ……ひ、姫様…」
そんな伏した隊員達の間を縫って進もうとする影が一つ。この騎士団の隊長で、アルシェの専属護衛でもあるサーナが剣を支えに覚束無い足取りで立ち上がった。
「はあっ――はぁっ……姫様、今参ります…!」
特殊保持者たる彼女は一般人と違い生命力が高い。再三の出血で血が足りずとも、少しの間だけなら動けるまでに回復していた。
だが果たしてそんな状態でアルシェに追い付けるのか。合流できたとして、この身で何が出来る。また敗れるだけかもしれない。
「それでも、私は…!」
だとしても自分は行かなければならない。護るべき主を放って倒れるなど、彼女の騎士としてのプライドがそれを赦さなかった。喩えそこが死に場所になろうとも、使命を
「――! ぶッ、ごほっ、がぼ……、おぇ」
しかし悲しいかな。どんなに強く意気込んだところで身体が付いていかない。精神ばかりが先行し、肉体が限界を越えてはくれないのだ。
いや。既に限界など軽く超えていて、その代償が今支払われたに過ぎない。肺は上葉に亀裂が入り、痛みと血が咽頭までせり上がってくる。
「うご、け…っ…動けっ、動け動げっ!! ごんな
大事な主君を護れるなら自分はどうなったっていい。最後になろうと構いやしない。あの美しく高潔な身が悪戯に汚されるなど、決して有ってはならないのだ。
「はっ……、はあっ…!」
おまけに先程上がった光柱で懸念すべき事が増えた。
あの光は勇者召喚によるものだと、男はそう言った。
だとすれば何て偶然、何たる間の悪さか。異世界から来たばかりの人間など勇者とはいえ高が知れてる。
勇者の扱いは国を巻き込んでの最重要事項であり、一介の騎士に過ぎないサーナでは対応に余る。最悪切り捨てる事も視野に入れ、しかしそうなった時に主が反対することも折り込んで考えないといけない。
あの敬虔なる女神の信徒が、勇者を放って助かるなど望むはずもないだろうから。喩え糾弾され、責任を負わされようとサーナの中の第一優先はアルシェだ。逃走が無理と判断すれば勇者を囮に助かる算段もつけてある。
「だから動けッ…! あの方の側に居ないことにはどうしようも――!」
足から崩れ落ち、無様に地を這いででも彼女は前へ前へと進んでいく。
そんな時だった。すっかり闇に染まった街道の奥から明かりが漏れ、段々と強くなる光と共に馬の輓く音が近付いてきた。もしや男が戻ってきたのではと警戒し、その音がサーナ達のいる地点まで来ると――
「あんれ、王国の騎士様でねえか!? どうしてこげな所で…」
負の感情で満ちたこの場には似つかわしくない、生命力に溢れた声を投げ掛けられた。
訛りの強い口調からは敵意を感じず、男が馭者をしていた荷馬車の後ろには天蓋が見受けられる。恐らく王都へ出稼ぎに行く商人か其処らだろう。
男は前方で道を塞いでいた人の群れを訝しく思った。しかしそれが世に名高い王国騎士団だと分かると、目の色を変えて集団に駆け寄ったのだ。彼等の隊服に施された花と月の
(助かった。せめて部下の介抱だけでも)
男に危険がないと分かると、ホッと安堵の息を吐いた。アルシェが第一優先なのに変わりは無いが、流石に動けない部下を放置しとくと言うのも気が引けたのだ。
何かと問題があるとは言え、コイツ等は戦場を共有した友でり相棒でもある。フードの男や、況して魔物に喰われでもしたら憐れ以外の何物でもない。
「済まないが…こいつらの保護を頼めるだろうか。何なら依頼と受け取ってもらっても構わない。王国首都のアルカンジュまで運んでくれれば報酬も多く出そう」
「ははぁ。やっぱす王国の騎士様でしたか。そういう事なら任せてくんなませ。そこで品を売るつもりだったけんど…そうも言ってらんなさそうだべ」
「すまない。助かった」
商人とは国からの信頼と許可があって初めて成り立つものだ。此処でサーナ達を見捨てようものなら、今後フィリアムでの商売は困難になるだろう。
襲撃の時間とそこを通ってきた記録があれば簡単に割り出せる。特に此処は一本道なだけあって言い訳も効かないだろうから。
そうとなれば行動も速く、積み荷を全て下ろし空いたスペースに負傷者を詰めていく。
だが彼女の部隊は襲撃前の時点で百人近くも居たのだ。幾ら商業用の荷馬車とは言え、流石にそんな大人数は乗り切らない。
なので心苦しくも死んだ仲間は置いて行くことにした。
かつての戦友とこんな形で別れる羽目になり、意識がある者達は肩を震わせ、唇を強く噛んだ。その雰囲気を背に感じながら男は自分の役割をそつなく
「全員運び終わりました。ささっ、あとは女騎士様だけだべ」
「いや…私はいい。これから行くところがあるのでな」
何とか脚に力を込め、精一杯の見栄を張って森に入ろうとする。
「何を言うとるか。こげん待っとる間も動けんかったばい。こげな所に置いとったら命も無かろうて」
「なっ…! 何をするっ、放せっ!?」
「あいてて。大人しくしとくりゃんせ」
しかしそれを男が咎めた。
「本当にっ、大丈夫だ! 私は姫さッ、これから大事な用があるから行かねばならぬ……って聞いてるのか!? 放せっ!」
「駄目なものは駄目ですと。事情を話す人が居てくれんと困るのはこっちですだ」
アルシェの危機を公には出来ぬ故、口を噤み他の言葉で説得に当たった。
しかしそれでは承服もしかねるというもの。一番位が高そうなサーナを置いて立ち去れば上からの覚えも悪くなる。そうなれば結果的に仕事にも影響が出ると懸念したのだ。
「失礼しますだ」
農夫特有のゴツゴツとした手で持ち上げられ、抵抗虚しく他の者共と一緒に積み込まれた。そしてそのまま馬車が発車してしまい、降りるタイミングと体力を失ったまま望まぬ帰路へと着いていく。
「ア、ルシェ様…」
その道中で、サーナは何度も……何度もアルシェの名を口にした。それは飼い犬が主人を呼ぶような、後悔と悲壮感を漂わせた。
斯くして激闘を繰り広げる者達の知らぬ間にサーナ達騎士団は安全圏へと逃れて行った。
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