第9話

 父は仕事に出る。母は食器を片付ける。間に存する僕は比較的幸福であるはずの胎児期でも、こんなくだらない夫婦喧嘩につき合っていかなければならないことを物憂(ものう)く思いながら、母のおっぱいと父の稼ぎに依存しないで大きくなる方法はないものか思案していた。

 母はこの頃つわりがきつくなっていた。以前は食欲も旺盛で何でも食べられたけれど、ここ最近食欲が落ち食べても吐いてしまう。さっきの喧嘩の後も母は消化のよいはずのヨーグルトを吐き戻している。そんなことも夫婦仲に影響を及ぼしていたのかもしれない。母は常より苛ついていたし、対して父は僕の未来に関心は向けるが母の体調変化には然程敏感だったとは云えない。元は僕の存在から起因していることとはいえ、それらを僕の責任だとは思わないようにしているが、自然なこととはいえ母の体調がすぐれないことを僕は気にかけていた。母の体調がすぐれないと僕の気分もすぐれない。母と僕の感情はシンクロしているから。すると、僕の感情も母と同じく父に対しては自ずと苛立ちに変わっていくものだから、本意にはあらねど家族内の構図としては二対一の対立となる。

 僕の意見も、父には因循(いんじゅん)なことに囚(とら)われず育児休暇を会社に申請してくれよって云いたい。僕が生まれてくる社会がいつまでも育児が女性に偏る仕事であって欲しくないし。だから僕は母を応援するし母に同調する。また父にも声援を送りたい。

「父ちゃん、気持ちを入れ替えてがんばれってくれよ!」


 ようやっと僕の性別が確定した。その頃の僕はもう大方人間らしい姿、形になっていた。母は五度目に訪れた竹内産婦人科で、

「ああ(性器)あるね。男の子、だね」と云われた時、

「やっぱり」と呟いた。予想はしていたがそれが確かになった時はやはり嬉しかったようである。直ぐに父に伝言を送った。だけどそれは妊娠が確定した あの時のような喜びを爆発させた感情とは違って、はじめから淡白なものだった。

「男の子だよ」

 二人の間に少しだけ冷めたものが介在することを僕は感じ取っている。しかし男の子と決まったことで二人が次の共同作業を得たことはよかったはずだ。これをきっかけに再び仲睦まじい夫婦になってくれることを僕は願っている。

 その日の晩、父が大学図書館から借りてきた『赤ちゃんの名前辞典』を間に二人は額を突き合わせた。出版されたのが三十二年前と随分昔のものだ。表紙は折れ曲がりくたくたで背表紙の題字は消えかかっている。どれだけの人がこの辞典から自分の子の名前を引っ張ってきたのだろうか。

 辞典を開き父は字数の組み合わせを考えている。それがこの子の幸福に関わると信じ、字数からまず候補を絞り込み、そこから相応(ふさわ)しい名前を決めようとした。ところが母は父の主張に耳をかさず文字の意味や聴こえにこだわった。出発点の違う二人の交叉する名前はひとつとしてなかった。

 母は云った。

「凛太郎(りんたろう)がいいわ。りりしくていい響きだと思わない?」

 父は自分のたなごころに母が示した漢字を指で書いている。

「15か、15はだめだよ。最初は12か9でないと」

 母はため息をついた。

「なら、あなたはどんなのがいいと思うの?」

「これによると9+11が最もいいらしい」

 父は名前辞典を指して云うが、母は既に見ていない。

「だから?」

「この組み合わせだったら、とぶ、と、さい、がいいと思う」

 父は傍らにあった新聞広告を引き寄せてその裏に、飛、と、彩、を力強く書いた。

「な、ひいろって読めるだろ」

 母は素っ頓狂(すっとんきょう)な声の余った輪っかを僕の居るところまで響かせた。

「もしかしてだけど、ヒーローってこと?」

「そう、よくない?」

(いいわけない!)

 母の代わりにいち早く僕が胎内で叫んでいた。

 束の間の浮世の名前とはいえ、もしも本人の希望を聞いてくれるなら(誰が聞くかは別として)、僕からいくつか提案したい。これまで僕が人間の雄として生まれてきて、持ったことがない名前、或いはこれまでで比較的幸福だった名前がいいと思うのだ。

 八万六千七百三十二回の人間の命のうち(この数え方は手を地面に着けず生活するようになってから(所謂(いわゆる)二足歩行)でそれ以前の猿と人との区別が難しい時期は含めていない)、僕が性別、雄として生きたのはそのうちの四万二千三百五十五回だ。そのうち名前らしいものがあったのは一万九千二百三回で、此度(こたび)のように姓と名が分かれていたのは非常に稀で二百一回しかない。さらに国籍という狭義の概念で縛った名前となれば三十二回、母と父の生まれた国に限定すればたった十五回に過ぎない。この十五回の命で僕が持った名前を省くのは何ら難しいことではない。しかしそれは僕しか履歴を知り得ないので、除外リストは僕の中で用意する。

 一方、これまでで比較的幸福だった名前で云えば、二百四十九年前の善治郎(ぜんじろう)か、五百七十一年前のセダノヴィッチか、二千二百二年前のドドバか、二万二千七百二十一光年先の水のある惑星の場合はyy*c^_xあたりが想い浮かぶ。どの命も平和で穏やかな暮らしだった。この中から選べば善治郎に行き着く。が、この名はきっと母と父から猛反対に遭うだろう。時代錯誤だと。字数と音感以前の問題だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る