第8話 拝み屋(二)
灯里の部屋は
机の上にはペンやノートが無造作に散らばり、窓際には耳のほつれた古いうさぎのぬいぐるみが座っている。
本が部屋のあちこちでタワーのように積み重なり、また、崩れたまま放置されたものもあった。
それに、部屋の隅にはふだん掃除をさぼっているせいかほこりが溜まっていた。
一千歌は灯里の部屋に遊びにきたにも関わらず、慣れたようすで部屋の掃除をはじめた。
灯里は「別にいいのに」と言いながら、彼女が掃除をはじめると面倒くさそうに一緒に片付けをはじめる。
凛も軽く掃除を手伝っていると、皺のよったベッドに置かれたクマのぬいぐるみに視線が吸い寄せられた。
「烏羽先輩、ぬいぐるみと一緒に寝てるんですか? なんか、かわいいですね」
「それ、わたしの私物だよ」一千歌がさらりと答えた。
「えっ。どうして花守先輩のがここに?」
「うーん。なんとなく持ってきちゃった」
持ってきちゃったって。
自分が知らないだけで、案外こういうのって普通だったりするのかな?
凛はなんと返していいかわからなくて、言葉を飲み込んだ。
一千歌は微笑みながら、ぬいぐるみを手元によせて頭を撫でる。
軽く掃除を終えると、灯里の祖母が用意してくれたロールケーキと紅茶がテーブルに並べられた。
さらに家庭科部で作ったクッキーもお皿に広げられ、ちょっとしたパーティみたいだ。
灯里と一千歌は「勉強しなきゃ」と言ながらせっせとお菓子を口に運び、おしゃべりに夢中になっていた。
テーブルの上に広げられた教科書には目が向かっていない。
凛も一応、バッグから教科書を出したものの、やはり勉強する気にはなれずにふたりと一緒におしゃべりに花を咲かせていた。
そして、ふと気がついた。
ふたりの手は、ずっと繋がれたままだったのだ。
「灯里。ちょっと髪が乱れてるよ」
一千歌はそういうとスクールバッグから
櫛の刃が入ると、灯里の長い髪をすく音が部屋に響きはじめる。
灯里は何も言わず、目を伏せて自然にそれを受け入れていた。
「女の子なんだから、ちゃんと手入れしないと」
「あまりそういうの、気にしないし」
「もったいないよ。灯里は可愛いんだから」
「別に……」
「……あの!」
凛は、勇気を出してずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
「おふたりは、どういったご関係なんでしょうか?」
「……?」
「どういうこと?」
ふたりが同時にこちらを見て、疑問に満ちた表情を投げかける。
「だから。つ、付き合ってる、とか……」
一瞬、顔を見合わせた。
そして、せきを切ったように笑いあう。
「一千歌とは幼馴染なんだよ」
「あっ、そうなんですね」
「灯里はね、小学校一年生の終わりごろに星咲町に転校してきたんだよ。同じクラスになって、それからずっと友だち」一千歌がいった。
「そういうの、ちょっといいですね」
「小学校にあがる前は、一千歌、ずっと病院で過ごしてたっていってたね。いまはもう、全然病弱そうにはみえないけど。私より元気なくらい……」
「灯里はわたしがいなきゃだめだからね~」
「そんなことないし……」
「はい、きれいになった」
一千歌が満足げにそういって髪を持ち上げると、絹糸のような綺麗なストレートヘアがさらさらと流れた。
幼馴染なら、これくらいは普通なのかな?
当たり前のように手を繋いで、親しげに髪をすくってあげる関係って、見せつけられているみたいで、ちょっとドキドキしてしまう。
「最近は一緒に家で勉強することが多いんだよ」と灯里がいった。
「高校受験も、そろそろ近いからね~」
「烏羽先輩は、どこの高校に行くんですか?」凛が尋ねる。
「どこでもいいよ」灯里は答えた。
「花守先輩は?」
「わたしも、行けるところでいいかな」
凛が質問すると、一千歌は少し目を伏せながら答えた。
「でも、灯里のほうが学校の成績、いいから」
その言葉を聞いた瞬間、灯里は顔をあげた。
そして、ぽつりと言葉を漏らした。
「志望校……。私が合わせてもいいよ」
言葉は控えめだったが、灯里の目は真剣そのものだ。
「それはだめ。もったいないよ」
「どこの高校に行ったって、教科書の内容はそんなに変わらないし……」
そう言いながら、灯里は少しだけしょんぼりしていた。
どう反応していいかわからず、凛は目の前にあるお菓子に手をつける。
「凛。おいしい?」
「はい。美味しいれふ」食べながら答えた。
「いっぱい食べて大きくなってね」
身長が低いことを密かに気にしていたので、凛は密かに心にダメージを受けながらお菓子をパクパク食べた。
「……あ、ちょっと灯里」
一千歌はなにか気づいたように、灯里の顔に手を伸ばす。
「ほら、クリームついてる」
「んー」
一千歌は灯里のほっぺたについたクリームを指でそっとすくうと、そのまま自分の口元に持っていって舐め取った。
「……さすがに見過ごせるかぁ!!」
思わず立ち上がって声を上げる凛。
何かおかしなことでもあった? とでも言いたげに、ふたりがきょとんとした顔でこちらを見つめた。
「どうしたの?」灯里がたずねる。
「距離が近すぎますよ! 絶対におかしいです!」凛は顔を真っ赤にしながらふたりに詰め寄った。
「そうかな? いつもこんな感じだよね」
「うん……」
無表情ながらも、なんだか灯里はなんだかぼんやりとした表情でこちらを直視した。
灯里にこうして見つめられると、やはりちょっとだけ緊張してしまう。
彼女の目には、妙に力があるのだ。
「あ、スカートに食べかす落ちてるよ」
「んー」
一千歌が軽くため息をついて灯里のスカートの上を掃除しはじめる。
灯里は少しだけ、むくれた顔になった。
「ほら、ぼろぼろこぼして。本当にしょうがないんだから」
あれ?
百合っぽい、というよりは、どちらかというと親子のような……。
そんなことをぼんやり考えていた矢先。
「……あ、救急車」凛がつぶやく。
どこか遠くで鳴っていたサイレンが、部屋のなかにまで聞こえてきた。
その音は時間が経つにつれて少しずつ大きくなり、やがてピタリと止んだ。
どうやら近所で止まったらしい。
小さな違和感を覚えて灯里の方を見ると、彼女は目を閉じてじっとうつむいていた。
一千歌が何かを察したかのようにハッとなり、彼女の手を握りしめて背中をさすっている。
灯里はそのままの姿勢で固まったまま、微動だにしない。
「どうしたんですか……?」
凛がたずねたが、ふたりはなにも答えない。
しかし、無視しているわけではなさそうだ。
灯里はなにかに耐え、荒くなった呼吸を整えようとしているみたいにも見える。
一千歌は何も言わず、灯里の背中と手を撫で続けていた。
「……もう平気。一千歌。ありがとう」
そう、小さくつぶやいたかと思うと、灯里は、ふう、とひとつ溜息をついた。
灯里はこちらに気づくと、なんだか含みのある目で凛のほうを見つめた。
もう、すっかり彼女は落ち着いていた。
「大丈夫ですか?」凛は心配になって思わずたずねた。
「ただの発作だから。すぐに治るし」
「発作って。本当に大丈夫なんですか!?」
「平気。それよりも……」
すると、彼女はなぜかその瞳にいたずらっぽい光をたたえてこちらに近づいてきた。
「凛。さっきからどうしたの?」
「な、なにがですか」なんだか嫌な予感がして、少し後退りする。
「わかったよ。一千歌とばかり仲良くしてて、寂しいんだよね」
灯里がこちらに向かって、ずいっと近づいてくる。
「ええっ、なんでいきなり!? 意味がわからないですって!」
「遠慮しなくていいから」
もう半歩近づいてきた。
凛は全力で顔をそむけて、詰められた間合いと同じ距離だけ後ずさる。
「い、いきなりどうしたんですか、先輩。距離感バグってません?」
「距離感なんて、いつだってバグってるんだよ。凛ったら。ちょっと誘っただけでコロッとうちまでついてきちゃうんだから」
「えっ……」
「私は、女の子でもかまわずいけちゃうし」
「ひぃっ」
やっぱり烏羽先輩って、そういう感じなのかも!
凛がひるむと、灯里はからかうような笑顔を浮かべながら、頭を撫でてきた。
怖いはずなのに、なんだか妙に手のひらが優しくてちょっと悔しい……!
「あら、嫉妬しちゃう」一千歌がいった。
「どういう意味ですか……!」
で、でも。
花守先輩も言ってたけれど、烏羽先輩って、間近で見るとやっぱり、か、かわいいかも。
烏の濡れ羽を思わせるような、さらさらと流れる漆黒の髪色に、長いまつ毛。
どことなく憂いを帯びた瞳。
一年しか違わないのに、すごく大人っぽい。
瑞々しい唇はほんのりピンク色がさしていて、なんだか見ているだけで恥ずかしくなる。それに、ちょっといい匂いもするし……。
「か、烏羽先輩……」
「灯里でいいよ」
「灯里、先輩……」
凛が捕食者を前にした小動物みたいに縮こまりながら、ひそかに彼女に見惚れていると、灯里は柔らかく笑った。
「冗談だよ」
その言葉を聞いて、凛はほっとため息をつく。
しかし同時に、ふと湧いた心の違和感に気がついた。
でも、あれ?
え? どうして?
なんだか少し、胸にぽっかり穴が空いたような。
冗談って言われて、わたし、寂しくなってる?
なんだろう、この気持ち……。
一瞬だけきざした妙な気持ちを否定するように、凛はぶんぶんと頭をふって頬にさした熱をふりはらった。
「烏羽先輩って掴みどころがないから。本気かどうかわからないんですよ」
「だよね~」一千歌が楽しそうにうなずく。
「でも、凛。いつでもうちに遊びにきていいからね。だいたい一千歌も一緒だし」
「あ、はい。ありがとうございます」
からかわれたような気がして、凛はなんだかどっと疲れを感じた。
それでも、いつでも遊びに来ていいといってくれたことは少しだけ嬉しくて、自分のなかで生まれた不思議な気持ちに戸惑っていた。
†
「お婆ちゃん。お菓子、ありがとう」
家に帰る時間がやってきて階段を降りると、灯里は空になったおぼんを台所に運び、リビングでくつろいでいる祖母に向かってそういった。
その途中で目についたのは、さっき通りかかったときにちらりと見えた祭壇の部屋。
少しふすまが開いていて、独特な雰囲気がどうしても凛の目を引く。
「あったものを出しただけだよ。お友だちも、また遊びに来てくださいね」
灯里の祖母は人の良さそうな笑顔で頭をさげる。
「お婆ちゃん、ご馳走様でした」と一千歌。
「ご馳走様でした!」凛も続いた。
そして、凛の心にある思いがよぎった。
烏羽先輩の家は拝み屋をやっているらしい。
それなら、目の前にいる人物は霊能力者ってやつなのかな?
あの日から、どうしても乃愛のことが頭にこびりついて離れない。
もし相談に乗ってもらえるなら、少しお願いしてみたい。
高いのかな。
お小遣いで足りる?
こういうこと、今まで考えたことなかったけど。
どれくらいかかるんだろう。
なんだか落ち着かなくて視線をさまよわせていると、リビングの壁際に置いてある水槽に凛の目が止まる。
「わ、大きな水槽……!」
「魚がいるよ。見る?」灯里がそちらの方に歩いていく。
「みたいです!」
思わず声をあげて、水槽のほうに駆け寄る。
台に置かれた水槽の上部にはろ過装置がつけられていて、モーター音が鳴っていた。
軽く一メートル以上の横幅のある水槽のなかには、たくさんの小さな魚が透き通った水のなかを気持ちよさそうに泳いでいる。
底には丸みのある小石が敷き詰められていて、なかには大きな石もいくつか設置されていた。
ひょろっと伸びた水草が、水流に押されてゆらゆらしている。
水の中に沈んでいる黒いチューブには、藻のようなものも生えていた。
「かわいいですね。めだかですか?」凛がたずねた。
「めだかだね」と灯里の祖母がいった。
「違うよ。カージナルテトラだよ」すかさず灯里が訂正した。
「パージ? カージ……?」凛が、灯里の横顔を見て問いかける。
「カージナルテトラ。熱帯魚だよ」
「めだかでいいじゃないか」と祖母。
「ぜんぜん違うよ。知ってるくせに」
「灯里が欲しいっていうから買ってあげたのに。この子ったらひとつも世話しないんですよ」ため息をつきながら祖母がいった。「小さい頃から、カメやらザリガニやら、欲しがるだけ欲しがって、あとは全部お婆ちゃんに任せっぱなし!」
「あ、覚えてる。小学校の頃、田んぼの近くの用水路でザリガニ捕まえて。ザリちゃんって呼んで可愛がってたよね」隣で一千歌が笑った。
「なつかしいね。お婆ちゃんのほうが世話が上手だから、安心して任せられるんだよ」灯里が答えた。
「やかましいよ」
「お婆ちゃん。いつもお世話してくれてありがとう」
「灯里がやらないから、仕方なくやってるだけだよ!」
「気が向いたときに餌あげてるし……」
祖母が灯里の頭を平手でわしわし撫でたせいで、綺麗にすかれた彼女の髪がまた乱れた。
一千歌がそのようすを見てくすくす笑う。
そして、ふと思い出したように言った。
「あ、そうだ。灯里。お客さんの前で、インチキ拝み屋とか言わない方がいいと思うよ。さっきのお父さんも、困ってたじゃん」
凛はなんだか反応が気になって灯里の祖母の方を見ると、なぜか歯を見せてニヤニヤしていた。
「でも、本当でしょ? さっきの人、最近よく来てくれる常連さんだけど、ただの思いこみだよね。悪霊がどうとか言ってるの聞いたことあるけどさ」悪びれもせず灯里がいう。
「そうなんですか? でも……」
凛は灯里の祖母のほうをちらりと見た。
目の前にいる霊能力者の存在が、どうしても気になって仕方がない。
ここに来たときにもそうだし、存在感のある祭壇の部屋。
それに、おぼんを片付けるために台所にいったときも、ガスコンロの近くに線香が立てられた形跡のある香炉や、花瓶などが置かれてあるのが目についた。
こういうものは、普通の家庭にはあまり見られない。
「凛。実はね、私には視えるんだよ」
灯里は水槽から目を逸らし、凛の方をふり返りながらそういった。
「こういう家で育ったからかな。昔から、悪い霊が憑いてるとわかるんだよね。あの人、なにも憑いてなかったよ」
「え……」
「えっ、そうなの?」
凛だけでなく、一千歌もちょっと驚いたような反応をした。
灯里はちらりと彼女のほうを見てコクリと頷き、意味深に笑う。
「凛のことも、少しならわかるよ。みてあげようか」
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