青き胡蝶の夢
鳥沢 響
第1話 謎の部屋(1)
目が覚めると、妙に明るい部屋にいた。見知らぬ部屋。不自然にだだっ広い。会議室か何かなのか。
反対側の中央にキングサイズのベッドがある。他には何もない。そのベッドに裸の人物が仰向けに寝ていた。
起き上がるときに気づいた。自分も裸だった。何も身に着けていない。
ベッドに近づきかけて、それが女の子だとわかってしばし躊躇したが、眠っている。構わずそばに立った。細身で胸の膨らみはほとんどない。
顔を見て驚いた。昔、高校生の頃に憧れていたアイドルにそっくりだった。石谷
その彼女がここにいる。しかも裸で・・・。
そこで気づいた。これは夢だ。こんなことが現実に起こるはずもない。30年ほど前に憧れていたアイドルが当時の姿のまま、いや裸で目の前にいるはずがない。
夢か。そうにちがいない。だったら好きにしても……
おそるおそる胸に口づけた。ひとしきり味わった後、股間に手を伸ばし草むらの中を撫でまわす。挿入し、ゆっくりと腰を動かす。
その時彼女が目覚めた。何か言っている。抵抗の気配を感じた。腰の動きを速めるとその抵抗はあっさりと溶けた。喘ぎ声に力を得て、さらに激しく腰を動かした。
絶頂が近づいているのを感じ、動きを抑える。落ち着いたらまた激しさを増す。それを何回か繰り返していたとき、今この手で抱き、交わっているのがあの石谷美菜であることを思い出した。小さく「ミーナ」と呼んで強く抱きしめた。彼女がぴくんと反応したことで、我慢の堰が砕け散った。溜め込んでいたものを一気に彼女の中に放出した。痙攣と射精が何度も何度も続いた。文字通り全精力を使い果たし、彼女の上で死人のように脱力したまま余韻に浸っていた。
と、彼女が何か叫んでいる。背中を叩いている。脇腹を思い切りつねられた。
「痛い!」
ん、痛い? 夢なのに?
「何」上体を起こし強めに問い詰めてしまった。
「何じゃないよ。重いよ。息ができない。殺すつもり?」
怒っているのはそれ? と思いながらも「ごめん」と言って、彼女の上から離れた。
どうも夢ではなさそうだが、現実にしては違和感だらけだ。
「ねえ」
その疑問に答えるように彼女が切り出した。
「これ、どういう状況」
それ、俺が聞きたい。彼女は上体を起こして続けた。
「私、自分の部屋で眠ってたのね。起きたら君に犯されてたし、あげく、押しつぶされそうになるし」
うん、そうだね。ほんとごめん。
「私の服はどこ。君の服も見当たらないし。このベッド、マットレスだけで毛布もシーツもないから身を隠せない。セックスまでされちゃったから、今さら隠そうとも思わないけど」
そう言いながらも右手で胸を隠している。下は隠さないんだ。視線に気づいたのか、左手が草むらを覆った。
「それにこの部屋、変よね。電灯もないのに明るいし、ドアも窓もない。どこから入ってきたの」
それはわからない。言葉にはせずに首を振った。
「一番納得できる説明は、君が眠っている私をさらってこの部屋に連れ込んで、服を脱がしてセックスしたってことよね」
それは絶対に違う。激しく首を振る。あ、セックスは当たっているか。
「そうね、それも何か違う気がする。じゃあ、君は誰、何者、それから説明して」
どう説明したものか。少しの間考えた。
「仁藤遼平といいます。それから何者かということだけど、たぶん信じられないと思う。私も訳がわからない。とにかくありのまま話すので、口をはさまず最後まで聞いてくれますか」
彼女は黙って頷いた。
「私はあなたのファンでした。あなたは石谷美菜さんですよね」
彼女が頷く。驚いている。何か言いたそうだが黙っている。
「ひとつ確認ですが、あなたはもう芸能界デビューされていますか」
「いいえ、まだよ。準備中というところ。でもなんで君がそんなことを知ってるの。その答えをこれから聞けるのね」
「そうです」
何から話そうか。頭の中を整理して、ポツリポツリ話し始めた。
「あれは私が高二の夏、あなたはデビューすると瞬く間にトップアイドルに登り詰めました。私は一目であなたのとりこになりました。一日中あなたのことを考えていました。あなたは、歌番組はもちろん、様々なバラエティ番組にも出ていました。私はテレビにかじりつくようにあなたを追い続けました。あなたの歌声、ミニスカート姿、バラエティでの天然ぽいリアクション、笑い声。どれも輝いていて、私の心を掴んで放しませんでした。他に手はつかず、当然学校の成績は真っ逆さまに落ちていきました」
話し出すと言葉が次々と出てくる。俺、こんなに饒舌だっけ。
「ある日、テレビであなたの睡眠時間が2時間くらいというのを聞きました。忙しくて眠る暇がないのだそうです。それくらいあなたはいろいろなテレビ番組やCMに出ていました。そんなことができるのかと、私は心からあなたの体を心配しました。私の心配をよそにあなたは変わらず輝く笑顔を振りまいていました」
「でも私の心配は現実となってしまいました。あなたの芸能生活は一年ほどで突然終わってしまったのです。あなたは全くテレビに出なくなりました。いろいろな噂が立ちました。不治の病に倒れて入院している。事務所の社長と喧嘩して退所した。男と駆け落ちしたなんてのもありました。どれが真相かわかりません。わかっているのは二度とあなたはテレビに出なくなったということです」
彼女は熱心に聞いている。心の中はわからない。
「私はまるで失恋したかのような失意の日々を過ごしました。今となってはあまり思い出せないのですが、立ち直るのに数か月かかったような気がします」
そこで一息入れて、重大な事実を告げる。
「それから、30年ほどが過ぎました」
彼女は身じろぎもせず固まっている。私が黙っていると耐えかねたように
「君はいくつなの」と尋ねてきた。
「……47」
それほど驚いていない。まあ簡単な計算だ。
「私はいくつに見えていますか」と聞くと、
「そうね、15歳くらい。こんな子に感じてたのに少しびっくりしてた」
「感じてたんだ」
「バカ」
「あなたはいくつなんですか」
「17歳、高校3年生」
「今、何月」
「5月の・・・25日」
「私は学年で一つ下だから16歳、そしてあなたはあと3か月ほどで芸能界デビューします」
「私の未来を断言しないで。確かにそのスケジュールで進んでいるけど……。つまり君は、体は今だけど心は30年後の未来から来たってこと? それってタイムトラベル?」
「どうだろう。そんなことが起こるとは信じられないし、私はまだ夢を見ているような気がしてしかたがないのだけど」
「夢かあ。だとすると二人が同じ夢を見て、夢の中で会話してることになる…。そんな話、聞いたことがない。何か心当たりはないの」
「心当たりといえるかどうか。さっきから昨日何してたか思い出そうとしてるのだけど、全く思い出せない。昨日だけじゃなく数日間の。ただわかっているのは、起きたらこの部屋にいたことだけ。ベッドの上ではなく、反対側の隅のところ、裸で床に横になっていました。ベッドの上にも裸の人がいて、近づいたらなんとあのミーナさん。しかも30年前の美しい姿で、そして全裸!」
「もう、全裸って言わないで」
「こんなの夢だとしか思わないでしょう。あり得ないです。夢ならしたいことしますよね」
「だから襲った?」
「襲ったって……そうですね。だって妄想の中で似たようなことそれこそ何十回、何百回とやってます。もしミーナさんが服を着ていたら、襲わなかったと思います」
「本当に? 好きだった子が眠ってるんだから、どこか触ってみようってならない?」
「あ、そうですね。脚くらい触ったかも。私、ミーナさんの脚がとても好きだったんです。触ってみたいと何度も思っていました」
「で、触っても起きなかったら、次は胸?」
「う……そうなるかも」
「でもって、それでも起きなかったらパンツ脱がしてってなるでしょ」
「ああ、そうですね。きっと襲ってました。ごめんなさい。ミーナさん、意地悪だ」
「そうなの、私、男には厳しいの。でね、話は戻るけど、私たち、元に戻れると思う?」
「夢だったら、目覚めれば戻ってると思いますが、そうでなかったら、なんとも・・・」
「君と二人っきりで、裸のまま。それは嫌ね。第一、食事やトイレやお風呂とか考えたら、悪夢ね」
「いや、だから夢なら覚めれば解決します」
「あはは、おもしろーい。でも笑えない。結局、今心配してもしかたないってことね。目覚めてもこのままだったら、そのときどうするか考えましょう。ってどうしようもない気もするけど」
「どうしましょう。目覚めるのを期待してもう寝ます?」
「うーん、眠れそうにないなあ。頭がすごく冴えてる。とても夢だなんて思えないくらい。何か話をしましょうか。私、男の人嫌いなんだけど、君と話すのは大丈夫みたい。あ、君でいいのかな。見た目が明らかに年下だから君って言ってるけど、中身は30歳も年上なのよね。あなたって言ったほうがいいのかな」
「いえ、ぜひ君でお願いします」
「そう? じゃ、遼平君って呼ぼうかな。ね、遼平君?」
「はい、嬉しいです。憧れの人から名前で呼んでもらえるなんて感激です」
「なーに言ってんだか。強姦までしたくせに」
「いや、そ、それは……夢だと思っていたから…」
「はいはい、わかってます」
美菜にからかわれていることはわかっていたが、それも楽しかった。
「遼平君と話してるとなんだか楽しい。男の人と話して楽しいって思うの初めてかもしれない。遼平君のこともっと知りたい。話してくれない?」
そう言われて考えてみた。美菜に喜んでもらえることがないか。いろいろ思い出そうとしたが何もなかった。改めて47年の人生が空っぽなことに気づいて愕然とする。
「話すこと何もないですね。聞いてもつまらないですよ」
「いいんじゃない。つまんなくて眠たくなったら、それはそれでこの状況にはいいことなんじゃない。家族のこととか、子供のころの話、学生時代、大人になってから。全部聞かせて」
それではと話し始めた。母ひとり子ひとりの母子家庭で育ったこと。父親は小学2年生のときに病気で亡くなり、思い出がほとんどないこと。生命保険のおかげで生活に不便はなかったこと。小学生の頃から友達づきあいが苦手で、休日には、本や漫画を読んだり、テレビを見たり、ゲームをしたりして、外にはほとんど出かけなかったこと。
中学の頃が一番輝いていたかもしれない。勉強は嫌いではなかった。自分ひとりが頑張ればすぐに結果がついてくる。すべてのテストで学年1位だった。同じ理由で陸上競技が好きだった。努力すればタイムに表れる。1500メートルの市の大会で3位に入った。2位とは体一つの差。2位になれば県大会に出場できた。あれほど悔しい思いをしたことはなかった気がする。
中学の成績が良かったので、先生の勧めもあって、県内トップの私立高校を受験して合格してしまった。今思うとこれが失敗の始まりだった。遼平の中学からこの高校に合格した者は過去にひとりもいないそうだ。それくらい半端ない天才と秀才が集まる学校だった。
最初のテストでおよそ200人中、下から3番目という成績だった。中学時代に抱いていた自信が粉々に砕けてしまった。それでも必死に勉強してなんとか150位前後にまで成績を上げることができた。
しかし、高2の夏に美菜に出会い、夢中になってテレビの前から離れなくなったため、成績はすぐに元の位置まで戻ってしまった。母親が心配して注意したが、それまで反抗したことがない遼平が激しく抵抗したため、何も言わなくなった。
美菜がテレビに出ていた1年余りが、遼平にとって最も幸せな時だった。学校の成績なんてどうでもよかった。美菜の姿を見て、美菜の声が聞ければそれでよかった。美菜の歌声をうっとりと聞き、バラエティでのおバカなリアクションに声をあげて笑った。
夜は、天井に貼った美菜の等身大のミニスカートのポスターを見ながら、明日また会えることにわくわくしながら眠りについた。
それなのにある日突然、それが叶わなくなった。
大学受験が迫っていたが、失意のどん底で抗う気力もなく、当然のように受験に失敗、滑り止めに受けた二流の私立大学に滑り込み、ただ漫然と4年間を過ごした。就職活動も熱心にはやらず、奇跡的に内定をくれた4社目に入社した。しかし何の成果もあげられず、上司の「給料泥棒」という罵声を背に退社する。3か月しかもたなかった。
それからいろいろな会社を転々とする。やる気がなかった訳ではない。中学のときのように勉強すれば成績が上がる、練習すればタイムがよくなるというように、頑張ればいいことがあると思った。だから、上司に「これを売ってこい」と言われたら、何十社も回った。一個も売れない。三日たっても、一週間たっても一個も売れない。 そのうち上司から罵声を浴びせられる。ある会社では「お前は社会に何の役にも立っていない」と言われた。その通りだと思った。こんな人間は生きていてはいけないと思った。それから毎日死ぬことばかり考えている。ただそのたびに母親をひとり残して死ぬわけにはいかないと思い止まることの繰り返しだ。
「ああ、それも言い訳ですね。ただ死ぬ勇気もないどうしようもない人間なんです」
話し終えて、遼平は美菜を見た。頭を下げて動かない。眠っているのか。いや肩が小刻みに動いている。え、泣いてるの?
「ミーナさん?」
美菜が顔を上げる。本当に泣いていた。涙が次々に溢れている。
「遼平君、本当にバカよ。何が社会に何の役にも立っていないよ。そんな人いないよ。君はただ君にあった仕事に出会っていないだけ。信頼できる人に出会っていないだけ。何かないの、楽しかったこと」
「だからミーナさんに」
「テレビのことじゃなくて、現実で、だれか好きになった人はいないの」
「ああ、初恋だったら中学のとき、美人というわけではないけど笑顔に惹かれる人でした」
「その人とはどうなったの」
「特にどうということもなく、あまり話もしていません。一度だけ扁桃腺で声がかすれているときに、話しかけられて返事したら『わー聞き取れない』って言った時の笑顔は今でもたまに思い出します」
「ふーん、それも一つの宝物ね。他には、高校のときとか、大人になってから好きになった人はいないの」
「特には、私はミーナさん一筋だったもので」
「もう、テレビの人に一筋って何よ。なんだかだんだん腹が立ってきた。え、ということはもしかして、君、童貞?」
「残念ながら違います。似たようなものですが挿入はしたけど射精はしてません。まともにしたのはさっきミーナさんとやったやつです」
「それはいいから。え、どういうこと」
「それ聞きます? あまりにも悲惨だからだれにも言ってないんですけど」
「もう言ってしまいなさい。毒を食らはば皿までよ」
毒はひどいと思ったが
「じゃあ話しますけど、泣かないでくださいね」
「だれが泣くかあ!」泣いてたくせに。
「20歳くらいのときのことです。大学生で下宿してたのですが、ある日熱はないのに起き上がれなくなったのです。トイレだけはなんとか行きましたけど、3日間寝込んでました。3日目に心配した大家さんが食事を持ってきてくれたんです。40歳くらいの女の人です」
「なんか予想ついた気がする」
「やめます?」
「まあいいや。続けて」
「食事はありがたかったのですが、そのあと、水の入った洗面器とタオルを持ってきて、体を洗ってやるって言うんです。もちろん遠慮したのですが、あなたのお母さんにあなたのこと頼まれてるから、とか言って、むりやり服を脱がされたんです」
「パンツも?」
「はい、全裸です」
「全裸、好きねえ」
「おーい」
「いいから続けて」
「最初は上半身から丁寧に洗ってくれるので、気持ちよくてついうとうとしちゃったんです。そのうち下半身に刺激を感じて目を覚ましたら、挿入されて、いや挿入させられていたんです」
「強姦だね」
「強姦です」
「強姦も好きねえ」
「ミーナさーん」
「んで、挿入はしたけど射精はどうなったって」
「ミーナさん、興味津々じゃないですか。あなた女子高生ですよ」
「だってえ、おもしろいんだもん。それからそれから」
「目が覚めて大家さんの顔を見たらしぼんだんです」
「しぼんだ? 何が」
「何がってあれですよ」
「あれってどれ」
「これ」言いながら、股間を指さした。
「いやー、変なもの見せないでよ。この変態!」
「いや見せるも何もずっと見えてたでしょう」
「そりゃ視界には入ってたけど、見ないようにしてたのよ。ほんと男って変なもの持ってるよね。だから嫌いよ。」
遼平はずっと笑いをこらえていたが「変なもの」に止めを刺されて笑いが爆発した。美菜もつられて大笑いしている。笑いが止まらない。腹が痛い。
「へ、変なものって。う、生まれたときから、くっついてるし、切るわけにもいかないし。は、はずせるものならはずしたいです。こ、こんな、へ、変なもの」
笑いの隙にかろうじて言った言葉がまた笑いを爆発させる。美菜は死ぬほど笑っている。
「ミーナさん、息して、死んじゃうよ」
「お、お願い、もうやめて。な、何でもするから」
「ミーナさんみたいな超美人が男にそんなこと言ってはダメです。要求されるのはひとつです」
「あ、そうね。ごめん、今のなし」
ふたりでひとしきり笑ったあと、遼平は思った。
この悲惨な体験が遼平の心をどれだけ傷つけ、壊してきたかわからない。思い出す度、大声をあげて走り回りたくなる衝動に駆られる。しかしその悲惨な話を美菜と分け合うことで、笑い話にできた。腹が痛くなるほど大笑いした。笑いの中で心の傷が癒されるのを感じていた。
ひとりで抱えているから、心の傷は奥底へと浸潤していく。ひとりでもいいから信頼できる人、何でも話せる人がいれば、笑い飛ばせる。
俺にはだれもいない。美菜といっしょにいたい。心からそう思った。
「ああ、笑い疲れた。こんなに笑ったの初めてかも」
「そうですね。もうやめます?」
「一応最後まで聞かせて。それから大家さんどうしたの」
「私の上でごそごそやってました。私はもうどうにでもなれという思いで目をつぶって自分の殻に閉じこもっていました。気がついたらだれもいなくなっていました」
「なかなか悲惨な初体験だね。でも最大の悲劇はそれを話せる人がいなかったということね。だれかに話して、その人が泣いてくれたり、慰めてくれたり、さっきのように笑い飛ばしてくれたりしたら、君は傷つかずに済んだと思う」
「ほんとにそうですね。それでミーナさんにお願いがあります」
「嫌です」
「えー、さっき何でもするって言いましたよね」
「いや、それは取り消したし。冗談冗談、何」
「私の友達になってください。その…何でも話せる人に」
「できるものなら、そうしたいと思うけどね。目覚めたら、遼平君とは生きてる時代が違うんだし出会えないでしょ。もしこのままなら、水も食料もなくてせいぜいあと3日の命、その間ならいろいろ話せるけどね」
「そうじゃないんです。もちろん私は戻ったとき、17歳のミーナさんには会えません。でも、そちらには16歳の仁藤遼平がいます。彼と友達になってください。そして悲惨な未来から彼を救ってください」
美菜は真剣な顔で考えている。遼平はその美しい横顔を幸せな気分で眺めていた。少し視線を下げれば美菜の裸身があり、手を伸ばせば触れられる。しかし耐えた。美菜は視線を感じるだろうし、その後の気分の変化にも気づくような気がした。
「それは戻れたら考えとくね。16歳の君はまだ私の存在さえ知らないのだし、どうやったら会えるのかもわからない。できれば君の助けになれたらいいなと思ってる。でも47歳のあなたはどうなの。16歳の君を助けたら、あなたの悲惨な記憶が幸せな思い出に変わるの?」
「それはたぶん無理でしょうね。未来は変えられるけど、過去は変えられないでしょう。16歳の私が新しい道を選んでも、私が歩いてきた道は変わらないと思う」
「うん、まあそうだろうね」
「でもそれでいいんです。私はここであなたに出会えたことで十分救われました。同意の上ではないといえ、長年憧れ続けていた人と結ばれたのです」
「そうなんだ」
「はい、その上、二人とも裸のまま長い時間話して大笑いしました。私はあんなに笑ったのは確実に人生初ですし、こんなに楽しかったのも生まれて初めてです。私はこの瞬間、世界一の幸せ者です」
「うーん、それならいいけど。君って私の周りにいる男とは全然違うね。私は男が大っきらいなの。男ってガサツで不潔でだらしなくて、自慢好きで見栄っ張り、気に入らないとすぐに怒鳴って、果ては暴力。頭の中は女とやることだけ。こんなのばっかり。まあ何人かは全部にはあてはまらない人もいるけど、五十歩百歩よね」
「耳が痛いです。私にも二つ三つあてはまります」
「あ、そうなの? 君はどれにもあてはまらないような気がしてたんだけど。どれ」
「だらしないというのと、頭の中が女とやることだけということです」
「あら、意外。頭の中でそんなこと考えていたの?」
「はい、ミーナさんと」
「私だけ? 他にエッチしたいと思った人はいないの?」
「はい。もちろん、きれいだなと思う人はいましたけど、そんな人が私に興味を示すわけないし、どうせ高嶺の花なら、一番高いミーナさんのことを考えていようかなと」
「それを30年間?」
「はい」
「ずっと?」
「はい、ずっとです」
「じゃあ、嬉しかったんだ、私とエッチできて」
「はい、それはもう、天に昇るような気持ちでした」
「はー、そんなにも私のことを。私、ちょっと感動してるかも」
「え、ほんとですか」
美菜を想い続けた30年が、今の美菜の言葉で報われた気がした。
「そして、そこで泣く」
言われて気づいた。自分が涙を流していることに。両手で涙を拭って、
「すみません。私の苦しかった30年間が、ミーナさんの言葉で報われたような気がして、今、すごく感動しています」
「君、かわいい」
「え、私、褒められてます?」
「もちろんよ。私は、見た目でも性格でも言動でもいいからかわいいと感じる人を好きになってきたの。そんな人、女の子しかいなかった。だから小学校、中学校と女の子ばかり好きになったのね。だから、かわいいというのは、私にとって最高の誉め言葉」
「それは光栄です」
「よし決めた。君に話そう。私の初体験の話。私のも君と劣らないくらい悲惨なの。覚悟はいい?」
「はい」唾を飲み込む。
「そんな身構えなくてもいいけどね」
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