第8話:希望の光
カルマシティの夜は、霧に覆われていた。その霧はただの自然現象ではない。この都市に生きる人々の負の感情が染みつき、具現化の兆しを見せている。
凛は刀の柄を握り、霧を裂くように歩みを進めた。その背中に漂うカゲモンが、軽い調子で声をかける。
「霧が濃いなぁ。こういう時って、大体何か出るんだよな」
「分かってる。気を緩めるなよ」凛が低く返す。
玲音が静かに後方から進み出る。
「この濃さ……影獣が現れるのは時間の問題ね」
カゲモンは肩をすくめるように浮かび上がり言った。
「それでも、凛。お前がカリカリしてたら感情吸い取られるぞ? 少し余裕持てって」
彼の軽口にも、どこか鋭い警戒心が感じられる。その瞬間、霧の中から低い唸り声が響いた。
地面が揺れ、霧の奥から長い触手を持つ影獣が姿を現した。怒りの感情が凝縮した怪物の姿に、凛の目が鋭く光る。
「こいつの触手に捕まったら一巻の終わりだぞ!」カゲモンが注意を促す。「怒りを吸い取られるし、こっちも感情で押しつぶされる」
「私が封じるわ。凛、核を狙って」玲音が術を展開し、触手を一瞬拘束する。
凛は霧を裂いて突進したが、影獣を包む霧が刃を弾き返す。「くそっ、この霧が邪魔だ!」
「凛、その怒りを力に変えろ。だが飲まれるなよ」カゲモンの声が静かに響く。
深呼吸した凛は、刀に怒りを込めた。そして、鋭い一閃が影獣の核に到達し、怪物は絶叫と共に霧散した。
影獣が消えた直後、不気味な赤い瞳が霧の中に浮かび上がった。その無数の瞳が凛たちをじっと見つめ、絶望の感情を植え付けようとする。
「目を合わせないで! 焦りを吸い取られる!」玲音が叫ぶ。
「どうすれば核を見つけられる?」凛が刀を構えたまま問いかける。
「焦らず霧の流れを読め。瞳の向こうに違和感があるはずだ」とカゲモンが助言する。
玲音が術で瞳を封じた隙に、凛は霧の中で揺れる光を見つけた。
「ここだ!」
彼の一撃が核を貫き、赤い瞳が次々と霧散していった。
影獣が消滅し、霧が薄れた廃墟に静けさが戻った。その時、冷たい声が響く。
「影核を破壊しても、影は消えぬ」
霧の奥から現れたのは、全身白に近い灰色の甲冑で覆われた四代目夜叉だった。仮面に宿る冷徹な金色の瞳が凛たちを見つめる。
「お前たちが真に立ち向かうべきは、奈落の深淵だ。初代がそこにたどり着き、そして消えた理由を知る覚悟はあるか?」
凛はその言葉に目を見開いた。
「初代が奈落で……消えた?」
「影の守人として、お前たちが真に試されるのはこれからだ。その覚悟を示してみせろ」
冷たい笑みを浮かべ、四代目は霧と共に姿を消した。
四代目が消え去った後、凛たちはしばらくその場に立ち尽くしていた。静寂の中、カゲモンがふわりと漂いながら小さく呟いた。
「奈落か……初代がたどり着き、そして消えた理由。お前たちがそれを知る時が来るのかもしれないな」
凛がその言葉に振り返る。「カゲモン、お前は何か知ってるのか?」
「さぁな。ただ、一つだけ言えるのは、奈落はただの場所じゃない。そこは感情の深淵にして、影と光の狭間だ」
カゲモンは遠く霧の彼方を見つめながら、独り言のように続けた。
「初代はそこで何を見て、何を選んだのか……それを知る者は少ない。お前たちがその答えを見つけるかどうかは、これから次第だな」
彼はふっと笑い、軽口の調子を戻した。
「ま、凛とお前さんたちなら、案外どうにかしちまうかもな。俺がいるしよ」
その声が霧に溶けていく中、凛たちは静かにその場を後にした。
拠点に戻った凛たちは、光里の迎えを受けた。彼女は凛の無事を確認し、安堵の表情を浮かべる。
「無茶ばかりして……でも、帰ってきてくれて本当に良かった」
凛は軽く笑い、「帰るって約束しただろ」と応じる。
光里は優しい瞳で彼を見つめながら頷いた。
「これからも、無事で帰ってきてね。私、信じてるから」
玲音はその様子を見守りながら静かに言葉を添えた。
「次に備えて、準備を整えましょう」
翌朝、指揮官が拠点に集まった凛たちに新たな任務を伝える。
「カルマシティ外縁部の廃墟で、これまでにない規模の影核が確認された。その周囲の影獣は異常な進化を遂げており、既に複数の探索隊が消息を絶っている」
指揮官の言葉に、凛が眉をひそめる。
「廃墟に何があるんだ?」
「影核が強大すぎて、周囲の空間が歪んでいる。感情が極限にまで暴走し、無明の深淵と呼べる状態だ。このままではカルマシティ全域が飲み込まれる恐れがある」
玲音が静かに尋ねる。
「封印術で対応できますか?」
「封印術の展開には時間が必要だ。その間、影獣の攻撃を防がなければならない。加えて、光里の力が必要になる」
その場に、なぜか呼ばれていた光里が一瞬驚いた表情を浮かべる。
「私の……力ですか?」
指揮官が頷く。
「君の光の力は、影獣を弱体化させる。廃墟全体を浄化する役割を担ってほしい」
光里は視線を下げたが、すぐに真剣な表情で答えた。
「分かりました。私にできることなら全力を尽くします」
「それでこそ光里だ」凛が励ますように笑みを見せる。
カゲモンがふわりと宙を漂いながら軽く言った。
「お前さんたち、しっかりやれよ。無明の深淵ってのは、今までの試練が前座に思えるくらいヤバいからな」
凛、玲音、光里、そしてカゲモンは、霧深い廃墟へ向かう準備を整え、出発した。
「無明の深淵……これまでの影核とは違うんだろうな」凛が呟く。
玲音が冷静に答える。
「感情が飽和し、形を失った存在。私たちが感情に飲まれれば、戻れないかもしれないわ」
光里が緊張した面持ちで言葉を添える。
「でも、私たちならきっと……乗り越えられると思います」
カゲモンがいつもの軽い調子で言う。
「そうそう、その意気だ。だが気を抜くなよ、お前さんたち。奈落を前にすると、覚悟ってやつが試されるからな」
その言葉に凛が歩みを止めた。「カゲモン、お前、奈落についてどれだけ知ってる?」
カゲモンは一瞬沈黙し、ふわりと霧の中に漂いながら答える。
「奈落は影獣や無明の行き着く先……いや、それ以上に、初代夜叉が足を踏み入れた場所だ。そして、そこから戻れた者はほとんどいない」
「初代夜叉……あの伝説的な存在が?」凛が驚いた声を上げる。
「その先で何を見たのか、俺にも全ては分からない。ただ、あそこに挑む者は、全てを賭ける覚悟が必要だ。それでも行くか?」
凛は深く息を吸い、答えた。「俺たちは守人だ。どんな場所でも行くさ」
霧がさらに濃くなり、一行は廃墟の奥へと進んだ。そこは静寂に包まれているが、空間全体が異様な圧迫感を帯びている。
「感情がここまで濃くなるなんて……普通じゃないわ」玲音が呟く。
「ここが……無明の入口なのね」光里が周囲を見渡しながら小さく言った。
霧の中から低いうなり声が響き渡る。それに続いて、複数の影が動き始めた。
「来るぞ!」凛が刀を構えた瞬間、巨大な影獣が霧の奥から現れた。それは複数の感情が混ざり合った異形の融合影獣だった。
影獣の体は霧と一体化しており、攻撃が全く通用しない。その触手が凛たちを襲い、地面を次々と砕いていく。
「これは……物理的な攻撃が効かないわ!」玲音が驚愕する。
「感情そのものが霧に溶け込んでるんだな……!」凛が息を切らしながら叫ぶ。
カゲモンが冷静に助言を送る。「光里、出番だぜ。お前さんの力なら霧を切り裂ける!」
光里は一瞬躊躇したが、意を決して手を伸ばした。「天照の白夜!」
眩い光が広がり、霧を裂いて影獣の核を露わにする。
「凛、今よ!」玲音が術で影獣を封じる。
凛は光里の光に導かれるように、全力で突進した。そして、刀を核に向かって振り下ろす。その刃が核を貫いた瞬間、影獣は凄まじい叫び声を上げて霧とともに崩れ去った。
融合影獣を倒した後、一行はさらに奥へ進んだ。無明の深淵の中心部には、空間そのものが歪み、巨大な影核が漂っている。
「これが……無明の核」玲音が静かに呟く。
「今までの影核とは桁違いだな……」凛が刀を握りしめた。
カゲモンが軽く揺れながら言った。「ここからが本番だぜ、お前さんたち。全力を尽くして乗り越えるんだ」
光里が凛に向かって微笑みながら言った。「大丈夫。凛さんならきっと、核に届くよ」
凛は彼女の言葉に力強く頷き、無明の核へと歩みを進める。そして、試練が始まった――。
無明の核は静かに漂いながらも、一行を圧倒する存在感を放っていた。その周囲には影のような触手が渦巻き、空間そのものが彼らを拒絶するかのように歪んでいた。
「感情の極限が形を成したもの……これが無明の核なのね」玲音が鋭い目で分析する。
「それでも、倒すしかないんだろ?」凛が前に進みながら呟いた。
「凛さん、気をつけて。核は私たちの心を揺さぶるかもしれない」光里が静かに助言する。
核が静かに震えた瞬間、空間に影が広がり、凛たちの過去が幻影のように浮かび上がる。
凛の目の前に、妹・香奈の姿が現れた。
「凛お兄ちゃん……助けて……」
その声に凛は思わず立ち止まり、刀を下ろしかける。
「俺は……守れなかった」
「それは過去だ、凛!」玲音の声が現実へと引き戻す。「幻影に惑わされないで!」
光里も優しく呼びかけた。「凛さん、大丈夫! 私たちがいるから」
凛は深呼吸をし、自分の心に問いかける。「俺は、過去に囚われない。今の俺には、守る力がある!」
その言葉とともに刀を振り、幻影を断ち切る。香奈の姿は消え、核が再び姿を現した。
核は激しく震え始め、その周囲に強力な触手が現れる。それは一行を感情そのもので飲み込もうとするかのような勢いだった。
「これ以上は……!」玲音が封印術を展開しながら叫ぶ。「核を止めるしかないわ!」
光里が天照の白夜を発動させる。眩い光が周囲の霧を払い、影の触手を一時的に抑えた。
「凛さん、今がチャンスです!」
「玲音、援護を頼む!」凛が叫ぶと、玲音が封印術で核の動きを束の間封じ込める。
凛は全ての感情を刀に込め、無明の核へと渾身の一撃を放つ。その刃が核を貫いた瞬間、核は爆発的な光を放ち、無明の深淵全体が崩壊を始めた。
無明の核が消滅し、空間が安定し始めたとき、霧の中から四代目夜叉の姿が現れた。
「見事だ。だが、無明を超えても影は終わらない。お前たちはまだ始まりに立っているだけだ」
その冷徹な目が凛たちを見据える。
「初代夜叉が辿り着いた奈落……そこにあるものは無明を超えた存在だ。覚悟を持て。次に会う時、真の試練が始まるだろう」
四代目はその言葉を残し、霧の中へと消えていった。
カルマシティの拠点へ戻った凛たちは、指揮官に無明の核を破壊したことを報告した。その後、光里が凛の傷の手当てをしている間、優しく微笑みながら言った。
「凛さん、皆で無事で帰えれて本当に良かった」
「少し危なかったけど、なんとかな」凛が軽く笑った。
「次も、必ず帰ってこようね」光里は彼の手をそっと握り締めた。
「ああ。そうだな」凛が静かに答えた。
玲音がその様子を見守りながら小さく微笑み、真剣な表情で口を開く。
「四代目夜叉の言葉を忘れないで。私たちはまだ奈落という未知の試練を前にしているわ」
「わかってる。必ず乗り越えてみせる」凛の目には新たな決意が宿っていた。
拠点の一角で、カゲモンが静かに浮かびながら独り言のように呟いた。
「無明を越えたか……よくやったな、凛」
彼の影は揺れ、瞳には深い憂いが漂っている。
「だが、次は奈落だ。初代夜叉が足を踏み入れた場所……影の力の原点であり、全ての終わりでもある。その地に行き着いた者が何を見て、何を得るのか、それを知るのは限られた者だけだ」
カゲモンは一瞬沈黙し、空を見上げた。
「凛、お前にはその覚悟があるのか? 俺は……お前を見守ることしかできないが、どこまでやれるか見せてくれよ」
彼はふっと笑い、小さな声で続けた。
「奈落は……渡る橋でも、落ちる穴でもない。ただ、そこに辿り着いた時が勝負だ。覚悟を決めておけよ」
その言葉は静寂の中に溶け、遠い記憶を思い起こすようにカゲモンの影が揺らめいた。
カルマシティの霧が薄れ、朝の光が新たな希望を照らす中、次なる奈落への足音が静かに響き始める――それは、新たな試練の始まりを告げる予兆だった。
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