挫折の概念とは

翡翠(カワセミ)

挫折の概念とは

 これを見ている読者は少なからず「挫折」という言葉を身近に耳にして実際に感じたものをそう呼んだことがあるだろう。私も学生の頃にバスケットボールやサッカーの経験のなかで「挫折」を感じたことがある。辞書的な意味では挫折とは「仕事や計画などが、中途で失敗しだめになること」と書かれている。だがよくサッカー選手などは試合後のインタビューに対し「あの時の挫折がこの勝利につながったと思います。」と述べることがある。この発言に少し違和感があるとわたしは考える。それは失敗という事象が起こるという点では当てはまっているが、「だめになる」という点に対しては当てはまっていないからである。このことからこのサッカー選手が「挫折」というものは 「挫折」ではない。なら「挫折」とは何なのだろうか。


 私は挫折というものはコップに水が溜まっていき、それがこぼれてしまうことだと考える。ここで話している水というのは失敗などの挫折に関わってくる事象のことをいい、コップとは人がそれぞれ持っているその事象に対応できるキャパシティのことである。


 例えばバスケットボールの1on1で負けたという失敗をしてしまったとする。もしその人が持つコップの最大容量(キャパシティ)が2Lであったとき、その失敗が1Lならそれは挫折とはいわない。だが違う人が同じ失敗をしてしまったとき、もしその人が持っているコップの最大容量が0.5Lであるとすると、水がこぼれてしまう。すなわち挫折してしまうということになる。つまりは人によって同じ失敗にしても感じ方はその人が持っているコップの容量によって変化し、挫折するかどうかも変わってくるのである。


 またコップの容量が2Lの人が1Lの失敗をした後に、1.5Lの失敗をすると水がこぼれてしまうが、1Lの失敗をしてから間が空くと、1.5Lの失敗をしても水はこぼれない。なぜなら1Lの失敗をした後に間が空くと、その間に1Lの水は蒸発(回復)してしまうからである。


 なら水がこぼれてしまった人すなわち挫折してしまった人はどのようになるのだろう。これは辞書の言葉通りその道でだめになる。つまりは諦めてしまうということである。だがバスケットボールで挫折してしまったからといって、勉学が挫折するというわけではない。バスケットボールや勉学専用に私たちはいくつかのコップをもっており、それらは直接干渉したりしない。だがそれらのコップの下にはバケツがあり、コップからこぼれたものはそのバケツに溜まっていく。そのバケツの下にも何か容器がある。その繰り返しである。しかし最後に一つだけの容器が一番下(根本)にあり、何かの専用であるのなら、希望や可能性といった曖昧なものだろう。これに水が溜まり、こぼれてしまったときには私たちは本当にだめになってしまう。


 それを避けるためには、水がこぼれてしまったコップを捨てていくことだ。つまり過去の挫折を引きずってしまわないようにすることと、ほかのものにその挫折を関連づけてしまわないようにすることだ。そうしないと挫折は下に下にと連鎖を繰り返し、自分の持っている根本のもの(一番下の容器)にも影響をおよぼしてしまう。


このように私たちは挫折を軽くとらえず、深く考え、理解し、向き合っていかなければならない重要なことなのである。

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