第17話 雨の日の下校
いつもなら茶室の窓から中庭が見えるのだが、今日は朝から降りしきる雨のせいで、びちゃびちゃでモザイクがかかったかのように、かすんで見える。
その様子を、部活も終わり帰るだけとなった僕と
雨はやみそうにない。
「結局やまなかったわね」
深谷先輩が雨音に搔き消されそうな小さな声でつぶやく。
「そろそろ帰ろっか」
「そうですね」
部長はいつものように、むしろ降り続く雨を楽しんでいるかのように話す。
雨の日は気分が滅入る。
どんよりと、日が出ておらず暗いというのが、なんだか不安をかき立たせる。
何よりも、じめじめして、濡れるのが嫌だ。
また、傘をさすという行為も、邪魔くさい。
この雨の中を帰るのか……
ここに、いつまでも居てもしょうがないので、僕たちは学校をあとにした。
低い雲の天井。
アスファルトには、所々、水たまりができ、光を乱反射させる。
その道を三人で三色の傘の花が咲かせながら歩く。
このころになると部活終わりは、この三人で下校するのが当然のようになってしまっていた。
陰気な水滴が落ちる雨音があたり一面に響く。
雨の粒が傘をぴしぴしと音を立てながら叩く。
そんな薄暗さを切り開くかのように、部長は水たまりをものともせず、ぴしゃぴしゃと音を立てながらまっすぐ歩いていく。
三人横一列、傘を広げているので車道まで広がって歩く。
僕が一番端で、部長が真ん中を。
その部長が、なにやら話しかけてくる。
「あのね、春山くん。この前、私、コンビニ行ったんだけど……」
「え? なんですか?」
「私がー! コンビニ行ったんだけどー!」
「えー?」
雨の打ちつける音と、お互いの傘と傘の間隔により、部長が何を言っているのか聞こえにくい。
「部長、何にも聞こえないです!」
「聞こえない!?」
そう言うと部長は僕に近づき……
「この前ね」
「あの、部長……近いです……傘の先が、いたっ」
「え?」
今度は近寄りすぎて、部長の持つ傘の先が歩くたびに揺れ、僕の顔に刺さるのだ。
「香奈衣、離れなさい。傘がぶつかって危ないってことよ」
「……そっか。ごめんね、春山くん」
「いえ、大丈夫ですよ」
素直に謝る部長。
でもそのあと、何故か自分の傘をたたむ?
……で、自分の家に入るかのように、ごく自然に、僕の傘の下に潜り込んできた。
「それでね、この前ね」
「ちょっと待ってください」
なんで自分の傘しまって、人の傘の中入ってくるの?
「あの、何してるんですか?」
「並ぶと傘がぶつかって危ないから。こうすれば危なくないでしょ?」
と、子どものように笑う部長。
でしょ? じゃないでしょ。
「なんで僕のところ来るんですか?」
「だって、傘さしたままだと、お話できないから」
「だからって、一緒の傘はないですって」
どんな神経してるんですか?
一つ傘の下で寄り添いながら歩くって。
それが一体なにを意味してるのかを。
「あれ? もしかして恥ずかしいの?」
部長が、いじめっ子のような汚い笑顔を見せながら、そんな言葉を投げつけてくる。
「だっておかしいじゃないですか! 傘持ってるのに、人の傘の中に入ってくるなんて」
「えいっ!」
「あー ちょっと!」
僕の持ってた傘が、部長に奪われた!
冷たっ!
傘のなくなった僕を、雨が容赦なく打ちつける。
「返してくださいって!」
部長は僕の傘をたたむと、「みーちゃん、パス」と言って、深谷先輩に渡してしまった。
「なにしてるんですか!?」
「あー 春山くん可哀そう。傘ないなんて」
部長がやったんでしょ……
そういうと部長は自分の傘を広げ、
「一緒に入る?」
「……」
僕は一瞬、深谷先輩を見るも、先輩は『我なにも関与せず』の無の極致で、真っ直ぐ歩いているだけだった。
僕は別に雨に濡れてもよかったのだが、また部長が別のイタズラを仕掛けてくるだろうから、ここは恥を捨て諦めることにした。
「失礼します」
「どうぞ」
部長の小さめの赤い傘。
お互い濡れないようにと距離が縮まる。
というより、ほぼ0距離に近い。
腕と腕が絡みあう状態。
やっぱり恥ずかしいわ……これ!
「でね、春山くん、この前、コンビニ行ったんだけどね」
「はい」
「コンビニの駐車場のところに、小さな石ころがあって……」
あれ?
……そういえば部長に、傘持たせてる?
片手にカバン。片手に傘。
「でね……」
「部長、傘持ちますよ」
「……え?」
急な僕の提案に、きょとんとする部長。
でもすぐに笑いながら……
「大丈夫だよ、ありがとう」
「でも、荷物もあって……」
「うん……」
そしてしばらく黙った後……
「いつまでかな……って」
「はい?」
部長が小さくつぶやいたが、雨音にかき消されよく聞こえなかった。
「私が、春山くんに傘をさしてあげられるのは、いつまでできるのかなーって」
「???」
「今は同じくらいの背だけど、そのうち春山くんは、背が高くなって私を追い越しちゃうんだろうなって」
「……」
「こうやって同じ目線で話せることも、なくなっちゃうんだろうな……」
僕を見つめる、静かに笑みを浮かべる部長の顔が、とても儚く……この雨風でかき消されてしまうのではないかと思うくらい儚く見えた。
僕は返す言葉が見当たらず、しばらく僕たちの周りには雨が地面を打ちつける音だけが響いていた。
先に言葉を出したのは部長だった。
「でも、どうしよう。春山くんが2メートルくらいになった」
「……」
「毎日、話すのに首が疲れちゃう」
「いや、さすがにそこまでは……」
「傘なんかさして、一緒に歩けない!?」
部長は、変わらず、いつも通りの部長だった。
「部長、落ち着いてください。もし身長が2メートルになったら、茶道部やめてバスケ部に転部します」
「それはダメ、絶対に!」
と、怒った顔を一瞬作るが、すぐに声を出した笑いだした。
「部長、代わりに荷物持ちますよ」
「ありがとう」
「それでね、駐車場に転がってたのは石じゃなくて、おっきなカエルだったの!」
「カエル? ですか?」
「そう。で、足元で動いたからびっくりしちゃって」
「まあ、びっくりしますね」
「私、カエル苦手だけど、このままいたら車に引かれちゃうと思って、傘を使って端の方まで追いやったの」
「助けてあげたんですね」
「あのカエル、大丈夫かな? どこから来たんだろう?」
「この辺、住宅街ですからね。どこから来たのか……もしかしたらトラックか何かに載って来たんじゃないですか?」
「カエルのヒッチハイク!?」
傘の外界では降りしきる雨で視界も音も遮られ、傘の中では僕たち二人っきりの世界が。
違う歩幅も歩くスピードも、いつの間にか同じに……
お互い濡れないように近すぎず離れすぎず、いつの間にかちょうど良い距離に……
これが相手のことを思うという、気遣うという気持ちなのだろうか。
これも茶の湯の精神というものなのだろうか……
しばらくの間、
僕は雨も恥ずかしさも気にすることなく、
部長との話に花を咲かせていた。
~数分後、いつもの十字路に僕たちはたどり着く。
「おつかれさまでした」
「さよなら」
「また明日ね」
と、別れの挨拶をしたにもかかわらず、部長が僕の方へとついてくる。
「ちょっと部長はこっちじやないでしょ?」
「でも、傘がないよ」
あー そうか。
まだ部長の傘の中にいたんだ。
「あの、深谷先輩、そろそろ傘を返してもらえませんか?」
「は? 傘ってなに?」
「え!? さっき僕の傘、部長から受け取りませんでしたか?」
「なにそれ、知らないわよ」
えー!!
雨で気づかなかったの?
部長からのパスを、まさかのスルーとは……
「家まで送ってあげるね」
「あ、あの、もう近くなんで大丈夫です」
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