そしてもう一度筆を執るだろう

@marucho

花街の用心棒 

 「殺伐百合投稿企画」より お題は「罪」


「あのとき持ち出した金子、耳を揃えてお返しいたします。せめてもの償いとして筆を執ることをお許しください」

 流れるような女文字で書かれた文を受け取ったのは、冬の日の朝のことであった。

 薄い椿の透かしが入った白い和紙に包まれていた。

「今さらになってなんだよ、あいつ」

 差出人の名は羽衣。忘れもしない古い盟友だ。

 いや、盟友だった、か。

 署名をなぞり、あの裏切り者のことをあたしは思い出す。

 羽衣は西の方から売られてきた子で、瓜実顔の美しい娘だった。同じ時期にやってきたあたしは、熊のようにずんぐりとしていたから、並ぶとそのたおやかさはより際立ったことだろう。

 やり手婆は二人の娘を見てすぐに決めた。

 羽衣の方は大事に育てる。漢学も和歌も踊りも仕込んで、いずれは店の看板を背負う太夫にする。

 ずんぐりむっくりの方は武芸を仕込んで用心棒にでもしてやるか。

 身辺を警護する用心棒といえば今も昔もの男の仕事だが、花街では店の女と懇ろにならないよう女の用心棒もよく使われていた。

 あたしたちの仕事は、主に屋根裏に潜むこと。

 店の高級女郎たちに客がおいたを働かないよう監視し、いざというときにはその身を挺して守るのだ。

 売られるまでは畑仕事で鍛えたおかげか、体格の割に身軽に動けるあたしにはうってつけだった。

 華やかな世界にはとんと縁がなかったが、不届き者をうまく撃退できれば女郎からも感謝され、ちょっとした心付けももらえる。

「守ってくれて嬉しゅうございます」

 水仕事もしたこともないような白魚の手で、頬を撫でられたりすると、胃の腑がきゅっと切なくなった。

 見目麗しい者は心まで美しいものなのだ。

 しかし、羽衣は別だ。

 せっかく習った花街言葉も打ち捨てて「あの客、なんなん」あたしによく愚痴たれていた。それはそれは長い愚痴で「身内の前でだけは好きに言わせてや」という言葉で締めるまで数刻は続いた。

 他の用心棒たちはこの性格のせいで羽衣のことを苦手としていたが、あたしはむしろ好いていた。

「男のくせに大根よりも白い足。女郎屋より畑に戻れや」だの「派手と粋を勘違いした無粋者。いっそ女帯締めて、ここで働かせたほうがええんちゃうか」などという歯に衣着せぬ物言いがおもしろかったからである。

「なあ羽衣、あたしはお前と話してる時間が一番好きだよ。いつか店からいなくなったら寂しくなるなあ」

 あたしが何気なく放った一言に羽衣はニヤリで返した。

「そんなに言うなら、あんたが身請けしてくれや」

「あたしはこう見えて女だよ」

「そんなの関係あらへん。うちもあんたと話すの好きやから」

「まあ、金があればな」

「お銭が問題? だったら簡単ですわあ」

 客にはけして見せないニヤリの顔で羽衣が告げたのは、とんでもない計略だった。

「まずはうちが客さんにようさん酒飲ませるやろ? そんでいい具合にへべれけになったところであんたが登場する。「お客さんおいたはだめでっせ」ってな。「でも場合によっては見逃してやってもいい」正体なくした客さんは、わけわからんままお銭を払わされるって寸法や」

 そんな思いつき、うまくいくわけないだろうとあたしは考えていたのだが、羽衣の手腕のおかげか面白いくらいに騙しおおせた。

 あいつの客あしらいのうまさには天性のものがあり、「さあ、さあ」と相手を囃せば、客に木を上らせることさえできただろう。

 あたしに罪の意識など毛頭ない。

 遊女にのめり込むやつなんて大抵ろくでなしだ。父親のしょうもない女遊びのせいで売られる羽目になったあたしが言うから本当だ。

 山のように金子が溜まっていく。

 ひい、ふう、みいと数えているとお大尽にでもなった気分だ。

 あとどれくらい溜まれば、羽衣と暮らせるだろう。

「ここを出たらよ、道場やろうぜ」とあたしは言った。

「一通りの武芸の心得はあるし、このナリなら男と言ってもきっとバレない。羽衣は教養もあるし、字もきれいだ。近所の子ども集めて、勉強教えてやれ」

「へーえ。意外と考えてるんやね。楽しそうやないの」

 羽衣が本当はどう思っていたか、あたしは知らない。ただ、けして空想ばかりではない将来の話をしているとき、客の前ではけして見せぬニヤリを羽衣は浮かべていた。

 しかし、夢の日々は長く続かなかった。

 一年も経つと、悪い噂が立ち始めたのだ。

「羽衣という遊女が、やたら酒を勧めてきたら気をつけろ」

 裏で酔羽衣あだ名されることすらあった。

 だから、この稼業をやめることを切り出したのはあたしの方からだった。

「もう十分稼いだ。これを元銭にして商売でもすればあんたの身請け代くらいあっという間に貯まるよ。ここらが潮時だ」

 しかし、酔羽衣は首を縦に振らない。

「いやや。まだ、もう少しだけ」

 酔羽衣が消えたのは次の日の朝のことである。

 朝食を届けに来た禿が房に上がると、そこはもぬけの殻で会った。

 高価な着物も化粧道具も散らかしたままの部屋を見て、やり手婆はつばをぺっと吐き出した。

「ありゃ出入りの三味線引きと逃げたんだね」

 羽衣はそうしてあたしの前からいなくなった。

 鍵つきの仕掛け箱に溜め込んでいた金子とともに。

 本気だったのはあたしだけってことかよ。間抜けみたいに口を開けてる仕掛け箱を蹴飛ばすと、部屋の端まで飛んでった。

 あれから十年は経った。

 文には肺病でもう先が長くないと書かれていた。

「もう目もすっかり見えなくなってしまったのに、あんたの姿が瞼の裏から離れませんのや」

 文は細かく裂き、二階の窓から散らしていった。行方は風の流れに任せる。

 紙吹雪の初雪が舞う。

 最期まで恨まれせてくれよ、この罪つくり。

 重い金子を、あたしは手の中で弄り続けていた。

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