第21話 間男の崩壊~破~
「……い、嫌だ」
今、ゆうとの目の前には一枚の契約書があった。
そこには、三千万という金額が示唆されている。
「は、払えるわけないだろ……む、むり……」
冷や汗をダラダラと流すゆうとは、首を横に振る。
場所はとある事務所の会議室。
重苦しい空気を破るように、ゆうとが再び口を開く。
「だ、だって……おかしいだろ! な、なんで俺がそんな大金払わないと、い、いけねぇんだよ!」
ゆうとの言葉に、彼の体面に座る女性が呆れたようにため息を吐く。
なぜなら、このやり取りが二回目だったからだ。
女性は苛立たし気に、トントンと書類を叩く。
「だから、さっきから言ってるでしょ。あなたが、弊社の広告モデルになったときに交わした契約なんですって。分からない人だなぁー」
それは、とある企業との間で交わされた契約内容による議論だった。正確には、企業側がゆうと側を一方的に詰めてると言った方が正しいのだろう。
そして、ゆうとを怯えさせているのは違約金条項について。
内容は、契約したタレントが犯罪行為・反社会行為、もしくは社会的に著しくイメージを下げるような活動を行った場合、企業側に違約金を支払わないといけないと記載されている。
今回の場合だと、社会的に著しくイメージを下げるような活動を行ったと判断された。実際、テレビではゆうとの事が面白おかしく報道されている。加えて、これを好機ととらえたのか、これまでにゆうとの被害にあった女性が数人、ソレソレチャンネルにゆうとの本性をリークしたのだ。
ちなみにソレソレチャンネルとは、暴露系ユーチューバーのことだ。いわゆる、ネット版のスクープ誌ともいえる。
「あなたのせいで、わが社の株価は暴落。売上だって、落ちてます。はぁ……なんで、あなたみたいなクズと契約しちゃったのかなぁ……」
ゆうとにとって、女性の言葉はまるで死刑宣告のようにも響いていた。
「今回の契約書では、請求先が事務所にではなく、あなた個人になっているんです。この意味が分かりますか?」
「わ、わかりません……」
「あなたは事務所から信用されてなかったんですよ。ネット含めた報道全てが正しいなんて言う気はありませんが、普段からよっぽど信用されない生活を送っていたんでしょうね」
「な、なんだと……てめぇ、さっきから言わせておけば……」
抵抗する気なのか、ゆうとの口調が荒くなる。ただ、笑ってしまいそうなほどに、彼の声に覇気はなかった。実際、目の前の女性は、ゆうとの虚勢に鼻で笑っている。
軽蔑した目を向け、見下しているのを隠そうともしていなかった。
「だって、そうでしょう? 周りを見てごらんなさいな?」
ゆうとをバカにするように、女性が歌うような口調で話す。
「こっちには、役員や顧問弁護士がしっかりと揃っている。それに対し、あなたは一人だけ」
彼女の言葉にゆうとは俯いてしまう。
本来であれば、ゆうと側の事務所が不祥事の件で謝罪に行き、その後は弁護士を通じたやり取りになる。しかし、この場に現れたのはゆうとだけ。事務所側は、事故で遅れていると連絡があった。そして今回の話は、先に進めて欲しいとも。
タイミングが良すぎる上に、普通じゃありないことだった。あまりにも失礼すぎる内容なのだが、とある理由から、この企業は了承していた。
そしてこの意味が分からないほど、ゆうとはバカじゃなかった。
「えーん、えーん、世間からバッシングされ、事務所からも見捨てられ、誰も助けてくれない。あの松田ゆうとなのにー、可哀そうー」
わざとらしく、ハンカチで涙を拭うそぶりを見せる女性。
あからさまな挑発だったが、今のゆうとはそれどころじゃなかった。尋常じゃないほどの汗が流れ、恐怖・動揺といった感情からフラフラになっていたからだ。
「ご、ごめんなさい……」
だから、今の彼が言えるのは謝罪の言葉だけだった。
「はぁ? 許すわけないでしょ。アンタの行動で、こっちがどれだけ迷惑したと思ってるんだよ」
「も、もうしませんから……」
「なんて都合のいい……チッ!」
苛立たし気に舌打ちをする女性は、机を蹴り上げる。すると、ゆうとから「ヒッ」と間抜けな声が漏れる。
「も、もうしません……お願い……お願いですからぁ! お願いしますぅ……!」
ゆうととしても必死だったのだろう。その場で土下座を始めた。
よくよく見れば、床がグシャグシャになっている。汗だけじゃない。鼻水、涙までも零していた。それは、この違約金を支払うだけの財産がないことに怯えているからか。それとも、この先の人生を何としてでも挽回しようと考えているからか。
「お願いします、お願いします、これ以上、僕の人生を壊さないでください……」
必死なゆうとに充てられたのか、弁護士バッチをつけた男性が、女性に話しかける。
「内田さんもそこまでにしては? 相手は未成年なんですよ。法律的にも、彼からは違約金を満額取れないのは分かってますよね?」
そして次に、弁護士の男性はゆうとの肩を叩く。
「君はまだ若い。その年なら、まだまだ人生はやり直せれる。今回の件だけどね、君への将来の投資の意味も込めて、目を瞑ろう──」
「ほ、本当ですか……!」
「──目を瞑ろうなんて言うと思った? ざんねーん! そんなに大人は優しくありませーん!」
かすかに希望を宿したゆうとの表情が、一瞬で絶望に染まった瞬間だった。
放心しているゆうとに、男性はとどめを刺しに行く。
「日高正人。この名前に聞き覚えがあるよな?」
「え、え、え……?」
男性の名前に、ゆうとは聞き覚えがなかった。そんな彼の反応に、弁護士の男性はギリッと奥歯を鳴らす。
「本気で言ってんのかお前! 思い出せよ! そのスカスカな脳みそでも、覚えて──離せ、離せよ! コイツが諸悪の根源なんだから俺が──」
ゆうとに掴みかかろうとする弁護士の男性を、周囲の人間が慌てて取り押さえた。
抵抗こそしない弁護士の男性だが、獣のように荒々しく息を吐きながら、ゆうとを睨みつける。それほど、彼に恨みがあるのだろう。
「……ひっ! し、知りません……そんな……あ」
かすかに声を零すゆうと。
限界まで追い詰められていたからだろうか。ゆうとの脳みそは限界を超えてフル回転していた。だからこそ、思い出すことができた。
「…………志摩実彩子の彼氏」
やはり、過去は追いついてきた。
罪の重さに比例して、必ず逃がさないのだ。
「あ、あ、あぁあああああああああ!」
地獄のような声が、ゆうとから零れる。
どこにも救いがないと悟ったからだろう。
「ち、違います……俺は、悪くない……悪くない」
限界がきたのか、ゆうとは、みっともなくえんえんと泣きじゃくり始めた。
そんな彼を苛立たし気に見下ろす弁護士の男性は必死になって冷静に話す。
「安心しろよ、全部が嘘ってわけじゃねぇから。流石に未成年相手に、違約金満額は取れねぇから。ったく、法律も未成年に甘すぎだろ……」
相手側が損害賠償を満額支払えない場合でも、何かしら形でお金は支払わないといけない。そして弁護士の男性は財産の差し押さえを狙っていた。
その場合、生活ができなくなるような差し押さえは禁止されているが、逆に言えば、生活に関係ないもの──バイクや貴金属といったものは差し押さえられる。加えて、現金も一定の金額を残して、差し押さえることができる。
「そういうわけだから続きの話をしようじゃないか」
※
それからは早かった。
ゆうとの家にある物の大半は差し押さえられ、仕事で稼いだお金だって持っていかれた。
「俺はなんでこんなに不幸なんだ……」
家でひっそりと膝を抱えるゆうとが、生気の抜けた声を零す。
「親にも愛されてない……」
親に電話をしても助けてもらえなかったのだ。
セフレに連絡しても、日向に連絡しても、誰も助けてもらえなかった。
「なんて可哀そうなんだ……」
底辺まで落ちた自分に酔っていたゆうとはポロポロと涙を零す。
「本当なら今頃3Pして……ハーレム作って……俺の王国が……」
財産も女も失ったゆうとだが、まだ終わらなかった。
最後の裁きが待っていた。
インターホンの音と共に、ドアがノックされる。
「すいませーん。警察の者ですけども──」
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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次話は明日に投稿します!
返信できていませんが、コメント等、いつも本当にありがとうございます!
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