遭遇

 能天気な声は、いつもは彼を楽しませてくれていた。つい今朝方も、猫舌なくせに熱い白湯を飲んで悶絶していたはずなのだ。それを見て笑う彼とその同僚達に、今にも泣きそうな声で抗議していたはずなのだ。彼の扱う操術は市井の子供達に好かれ、毎夕欠かさず子供達と遊んでいた。恐らく今日も遊んできたはずである。

 そんな人間が、今、死の恐怖と共に背後に立ち現れたのだ。想像を具現化する魔法の世界にあって存在する、既に現出されている形に想像を加える現実の世界は、妙な現実味と緊迫感を与える。まさしく今、マンセスが感じている恐怖は、そこから派生したものだった。


「おっ…ほんとにいた」


 意外という感情を見事に表情に出した同僚の顔を背中越しでも、マンセスは感じ取ることができた。それほどまでに親しみ、共に過ごしてきた仲であった。

 恐る必要など、本来ならば全くない。彼と、彼を追って来た者の間には、確実に信頼と呼べるものが存在していた。しかし、マンセスの本能は警告を発し続けている。彼はその警告に従ってここまで逃げて来たのだ。この根拠に乏しい恐怖から来る警告は、一体何を彼に伝えようとしたのだろうか。その一切の答えは彼の中にあるはずであるのに、雨に打たれ続ける彼は、一向に答えを見つけ出せずにいた。

 マンセスの背後に立ち尽くす者も、図らずも、考える必要のないはずの事に思慮の限りをつくしていた。一体どの言葉を投げ掛ければ良いのか、一向に知れなかった。しなくてはならない事があるから、こうして同僚を追って来たのであるから、自身に課された事を実行すれば済む話であった。しかしそうしようとする考えを、心の底にある、生来から持つ何かが押さえつけている様であった。

 静寂も闇夜に消えかけた頃、ようやく彼の口から言葉が発せられた。思慮の末選んだ言葉であるはずなのに、その言葉には、この場に合わない軽薄さが含まれていた。


「逃げないのか」

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