着衣の口論

『今日はめちゃくちゃ寒いな。彩希ちゃんよ、こんな日は、お母さんの言う通り外出せんと、おとなしく家で過ごした方がええで。今からでも引き返しいや』

 彩希が羽織るコートが気だるそうに言った。

『コートさん、あなたが仕事するのは、今日みたいに寒い日だけじゃないですか。今日くらいは頑張って仕事して下さいよ』

 コートの内側にいるセーターがコートに向かって高い声を発した。

『なんや、ちょっとムカつくな。普段、俺が仕事してないみたい言い方やないか』

 コートが声にドスをきかせた。

『だって、そうじゃないですか。コートさんはいつも、彩希さんの腕に抱えられてるだけで、仕事らしい仕事はしてないですよ。コートさんは気づいてないでしょうけど、僕らはそんな時でも彩希さんの体を冷やさないように頑張って仕事してるんです』

 セーターがコートに向かって言った。

『俺が彩希ちゃんの腕に抱えられている間、君らは俺がサボってるとでも思うてるわけか』

『サボってるというか、コートさんはいつも彩希さんに抱えられてるだけでボーッとしていますよね』

『それは心外やわ。君らはわかってないみたいやけど、俺が彩希ちゃんの腕の中におるんは、急に冷え込んだ時、すぐに彩希ちゃんの体を寒さから守るために待機してるためやで。そうやからボーッとできるわけないんや』

『ボーッとしてるようにしか見えないですけど』

『君らがしっかりしとったら、俺は彩希ちゃんの腕の中でゆっくり休んで、ボーッとできるんやろうけど、君らはそうやないからな。ちょっと冷えこんだだけで、君らほんまに全くの役立たずやから、俺はずっと緊張感もって待機しとかなあかんわけや。君らみたいなボンクラと仕事しとってボーッとできるわけないやろ。いつでもいける状態で待機してる精神的な苦痛は、君らにはわからんやろうけどめちゃくちゃ精神的にきついんやで。君ら偉そうに言う前にそこのとこ自覚しときや』

『コートさん、僕たちのことを全くの役立たずとかボンクラとかいうのは失礼じゃないですか。コートさんこそ、しっかりして下さいよ。今も寒風が僕のところまで、ドンドン入ってきてますよ。寒気を全くガード出来てないじゃないですか』


「あー寒い、寒い、フーゥ」

  彩希が体をすくめた。


『ほら、彩希さんがすごく寒そうにしていますよ』

『何、言うてんねん。俺はしっかりガードしてるわ。セーター、お前が彩希ちゃんの体をしっかり保温出来てないだけやろ』

『僕はしっかり保温もしてますし、寒風からもガードしているつもりです』

『しているつもりやと、ホンマ、つもりだけやな。君らは俺と違って、今日みたいな寒風にまともにさらされることないから、つもりっちゅう甘えた言葉が平気で出るんやな』

『コートさん、さっきから偉そうに言い過ぎですよ。あなたは出番が少ないから、楽じゃないですか。僕は秋からずっと彩希さんの体をあたためてきたんです。だから彩希さんもこの中で僕のことを一番信頼してくれています』

『彩希ちゃんがお前のことを一番信頼してるやと。自惚れんのも大概にせえよ。セーターよ、お前の代わりなんかなんぼでもおるんやで。そっちこそ偉そうにしとったら痛い目みるで』

『これから、コートさんと一緒に仕事するのは絶対に嫌です。彩希さんにお願いして、新しいコートに買い換えてもらいましょう。ちゃんと仕事する言葉遣いのきれいなコートにしてもらいます』

『お前にそんな権限ないわ。それに俺は彩希ちゃんの二十歳の誕生日に彩希ちゃんのお父さんがプレゼントしたコートやから、彩希ちゃんの中で特別な存在なんや。捨てられるのは、セーターお前の方やと思うで。今日かて、お前にするかもうひとつのセーターにするか彩希ちゃん、最後の最後までえらい悩んでたからな』

『彩希さんは、僕を選ぶことの方が多いんです。僕を捨てることなんて絶対にありません』

  セーターは興奮気味に言った。

『せいぜい、そう思うとけや。それにしても、セーターも酷いけどスカートよ、何で今日みたいな日にお前が出てくるんや。今日は絶対パンツやろ。お前、彩希ちゃんの下半身、冷やしすぎやで』

 コートは次にスカートに向かってクレームをつけた。

『そうよねー。あたしも今日は出番がないかなと思って油断してたんだけどさー、彩希さんのご指名なんだよね。だから、あたしも何とか頑張ってるんだけど、パンツ君ほど役に立ててないわ。そこはあたしだって、ちゃんと自覚してるわ』

『僕が彩希さんの体を一生懸命あたためても、下半身から冷やされると、こっちの負担が大きいんですけど』

 セーターまでスカートにクレームをつけた。

『ごめんなさいね、皆さんに迷惑かけてるのは、わかってるんだけど』

『カツン。コン、カツカツ、コン。カツ、カツン、コン』

『あなた達、もう少し仲良くしましょうよ。スカートさんも一生懸命なんだから、あまりイジメないであげてくださいよ』

 一番下から、ハイヒールが見上げて言った。

『そう言うハイヒールも何で今日、お前が出てくるんや。役立たずどころか、お前は足手まといになってるで』

 コートは続いてハイヒールにもクレームをつけた。

『ごめんなさいね、わたしも今日はさすがに出番がないと思ってたんだけど、わたしもスカートさんと同じく彩希さんのご指名なのよね。あっ、冷たーい』

『僕たちの負担のことを考えて、彩希さんにはパンツ君やブーツさんにしてほしかったですよ』

 セーターがぼやいた。

『コートさんもセーターさんもスカートさんも大変だと思いますけど、皆さん、気付いてないようだけど、下着さんも大変なんですよ。彩希さんの汗を吸いながら、体温を維持するために、黙々と頑張ってくれているんです。みんな各々に頑張ってるんですから、彩希さんの為にみんなで協力しましょうよ。あっ、冷たーい』

 水溜まりに浸かりハイヒールが濡れた。

『なに言うてんねん。下着なんか一番楽やろ。冷たい風にあたることもないし、彩希ちゃんの肌に直接触れられるし、ぬくぬくやないか』

『そんなことないです。下着さんは本当に大変なんですよ。彩希さんの体温を維持するために汗を吸ったりしてるんです。下着さんの苦労をわかってあげてください』

 ハイヒールが訴えるように言った。

『そうなんですか。僕たちから下着さんは見えなかったので知りませんでした。それよりハイヒールさんは、今大変そうですね』

 セーターがハイヒールを見下ろした。

『あと少しだからなんとか頑張るわ』

『みんな、僕が知らないだけで頑張ってるんですね』

 セーターがしみじみと言った。

『そうよ、みんな頑張ってるわよ。冷たーい』

 ハイヒールが悲鳴をあげた。

『コートさん、僕たちは少し考えを改めた方がいいんじゃないでしょうか』

『なんや、偉そうに』

『偉そうにするつもりはないですけど、コートさんも大変なんでしょうけど、大変なのはみんな同じだということを僕たちは理解した方がいいと思うんです。僕も自分だけが大変だと思ってましたけど、ハイヒールさんを見ていると、それは違う気がしてきました。だって僕はハイヒールさんみたいに冷たい水に濡れるわけじゃないですし、下着さんみたいに彩希さんの汗を吸わなくてもいいです。そしてコートさんみたいに寒風をまともに受けるわけでもないですから』

『なるほどな。確かに俺も冷たい水たまりに浸かることはないし、汗を吸うこともないわな。あんたみたいに長い期間仕事するわけでもないしな』

『僕たちがバラバラだと彩希さんに迷惑がかかってしまいます。だから僕たち着衣は協力しあわなければいけないと思うんです』

  セーターが反省気味に言った。

『そうですよ、みんなで彩希さんを助けてあげましょうよ。せっかく今日はこのメンバーが彩希さんに選ばれたわけですから、選ばれたメンバーで協力しあわないといけませんよ』

 ハイヒールは水に濡れて体が冷えすぎたのか、声が震えていた。

『僕は、これまで自分だけがキツイ仕事をしているとばかり思っていました。でも、それは間違ってることに気づきました』

『セーターさんも大変ですよね。それはみんな理解しています。でも、他のみんなも大変なんです』

『皆さんには各々の役割があって、そこで頑張ってるわけですから、そこを理解しないといけませんでした。コートさん、スカートさん、ハイヒールさん、下着さん、本当にスミマセンでした』

 セーターがみんなに詫びた。

『こっちこそ言い過ぎたな。申し訳ない。そうやな、みんなで協力せんことには彩希ちゃんの役にたつこと出来ひんわな。セーターよ、仲直りしてお互い頑張ろうや。寒風が来たら俺がガードするから、その間は少し俺の中で楽にしとけや』

『コートさん、今日は特に寒さが厳しいです。これから大変だと思いますが、よろしくお願いします。いつも寒風にさらされながら、僕たちを守ってくれて本当に有難うございます』

『かまへんで。俺なんかよりハイヒールの方がキツいと思うしな。路面が凍ってるし、水溜まりもあるし、ハイヒール大丈夫か』

『何とか大丈夫です。もうすぐ彩希さんは真人さんとの待合せ場所に到着します。そこからは真人さんの車で移動でしょうから楽になると思います。コートさんのお気遣いに感謝です』

『ハイヒールさん、ホント大変ですね。車ではゆっくりあたたまって下さい。コートさんも車では、後部座席でゆっくり休憩しておいて下さいね。彩希さんは今日は一日中デートするつもりでしょうから、日が暮れてからはコートさんに助けてもらわないと、僕たちだけでは彩希さんに風邪を引かせてしまいます』

『セーター、有難うな。お言葉に甘えて、車では休憩させてもらうわ。そのかわり、そのあとはガッチリ寒風をガードするで』

『みんな仲良くなってよかったね。出来たらみんなで休憩したいね』

 スカートがうれしそうに言った。

『みんなで休憩するためには、彩希さんと真人さんがデートで盛り上がることが必要ね』

 ハイヒールがニコニコしながら言った。

『彩希さんと真人さんが盛り上がれば、みんなで休憩出来るの』

 スカートがきいた。

『そうねー、そうなるかもね』

 ハイヒールがニヤリと笑みを浮かべた。

『その時は黙々と頑張ってくれてる下着さんも休憩出来るの』

『そこは真人さんの口説き方次第かな。彩希さんの今日の下着はデート用のお気に入りだから、チャンスは十分にあると思うわ。下着さん、そうよね。あなたたちは彩希さんのデート用のお気に入りよね』

『ハイ、そうです』

 下着のこもった声がもれた。

『いいね、いいね、俺はその時、休憩せずに真人と彩希ちゃんの様子をのぞきに行くわ』

『コートさん、ダメよ。その時は二人の邪魔しないで、みんなで休憩しましょ。仲良くね』


「真人、お待たせ、今日は寒いね」

「おう、彩希。今日は特におしゃれでかわいいよ。彩希がこんなにかわいいから、俺、今日はめちゃくちゃ張り切っちゃうよ」


『真人くんの様子見てたら、今日はみんなで休憩出来そうな予感がするわ』

『そうですね、スカートさんとハイヒールさんのおかげかもしれないですね。真人さん、さっきからスカートさんとハイヒールさんばっかり見てますもん。僕とコートさんには見向きもしませんよ』

『まっ、俺たちはそういう役回りってことやな』

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