閑話:とある第2王子殿下の物語①

「ふぅっー」


 息をつく。未だ片付かない、書類の山。兄上はどうしたら、あれだけの量の仕事を処理できていたんだろうか、と。思わず首を捻ってしまう。


「ウィリー、手が止まっていますわよ」

「はいはい」

「返事は一回、それから適当な返事はダメだって言っているでしょう?」


 クスッと笑うのは、マーガレット・アンデレ。宰相閣下の愛娘にして、錬金術師。世界樹の守護者パーティーの一人、僕の婚約者だった。

 僕は、書類に確認をしてサインを記す。


 ウィリアム・ユグドラシル・ウィンチェスター。

 王位継承権、第二位。それが僕の立ち位置だった。


「……兄上は良いなぁ」


 思わず、呟いてしまう。と、カチャリと陶磁器の鳴る音が響いた。マーガレット――僕は、愛称の「メグ」と呼ぶけれど。そのメグが、紅茶を淹れてくれたのだ。

 口につける。うん、薬草の香りが漂う。まだまだ、仕事をしろってことらしい。


「……貴方は王家の宝剣と、許嫁を簒奪したじゃない」

「メグ、言い方がひどい」


 僕はぶすっと頬を膨らます。宝剣ウィンチェスターを託したのは兄上だ。


 ――剣の使い方はからっきしだ。ウィルが使ったら良いよ。ただ、「宝剣」って、ひどい誤字だな。伝承の過程で歪んだのか。ウィリー……こいつは、とんだ宝剣違いだぞ?


 そう、ちゃっかりと魔術研究をしているのは、兄上らしい。


 そして双子の兄弟と幼馴染みであるメグ。彼女はアンデレ宰相の一人娘だ。父王と宰相が親友同士であることから、親同士は1と宰相娘が将来の許嫁を口約束していた。


 僕の横恋慕を、真剣な表情で聞いてくれたのが、櫻だった。


 人の恋路を、ああやって真剣に聞く子を僕は知らない。貴族なら、打算が働く。世継ぎ問題をはらむから、正室が無理でも側室を狙う令嬢が多い。そんな女性ばかり、見てきただけに、櫻は異質に見えた。


 そして素直に話してみたら何のことはない。僕らは、言葉が足りなすぎたのだ――。




 こんこん。

 かつての旅路を回想するには、時間が短すぎたらしい。メグの紅茶を堪能する余裕すらないのか、とため息一つ。入室を許可すれば、執事が困惑した顔で入ってきた。


「殿下、その……ウィンストン侯爵が面会をご希望されています」


 僕は、メグと顔を見合わせる。

 如何に、第二王子と言えど。先触れなく、面会などあり得ない。軽視しすぎだ。僕は論外と言わんばかりに、手で払うハンドサインを――止めたのは、メグだった。


「……会うだけ、会ってあげたら」


 世界樹の守護者、勇者パーティーの軍師様。マーガレット・アンデレは、悪い笑顔を浮かべていたのだった。






■■■





「第2王子殿下、お時間をいただきます。ご多忙のなか、急遽の面会に応じていただき、非常に恐縮でございます」


 恐縮だと思うのなら、最初から先触れを出せ。そう言いたいのをぐっと堪える。ここで叩き潰すのは、軍師殿の本意ではないからだ。


「恐れながら、殿下。人払いをお願いできませんでしょうか?」


 人払いといってもメグしかいない。僕は、二人に目配せをする。メグは肩をすくめて、部屋を出て行く。ドアは開けたままで。


「……なんと無礼なっ」


 ウィンストン侯爵は、鼻息を荒くする。人払いを願った手前、侍従もいない。仕方なく、侯爵がドアを閉めた。


 コツコツ。

 足音が響いたが、侯爵は気付かなかった。魔力検知も低レベル。小者と断じて、問題ない。


(ウィンストン侯爵、か)


 兄上なら「面倒くさい」と言いながらも、貴族簿の氏名を集積書庫ビッグデータから検索するのだろうが、僕にそんな芸当はできない。ただ、メグが残してくれた走り書きのメモから、ウィンストン侯爵の現状が書かれていた。旧召喚推進派、商会ギルド名誉顧問、聖女真教の信徒……これは、また厄介な。頭痛がする。


 俺はウィンストン侯爵に気付かれないよう、小さく息をつく。


 召喚を推進した世界樹ユグドラシル正教会は機能不全に陥っている。まぁ、勇者パーティーの所業なのだが。教会と言う場合、正教会を指す。世界樹の領域を不当に、魔の森と化すため、怨人えんじんを生んだ。違法の魔術素材の栽培と採集。それが正教会が為してきたことだった。


 一方の聖女真教は、聖女、サクラ・サカキバラの崇拝を綱要としている。一見、聞こえは良いが、紐解けばおぞましい。聖女は信徒共通の妻。信徒と聖女は、世界樹を支える大儀のため、世界を浄化する――いわば、信徒以外の人権を認めないという狂信者カルト集団だった。

 もちろん、櫻の意志なんか無い。それがまた、おぞましい。


「殿下、恐れながら申し上げます」


 それなら、とっとと申し上げてくれ。僕は、メグとティーパーティーの続きをしたいんだ。


「今こそ、立つべきです」

「は?」


 人間、予想もしない言葉を前にすると、目が点になる。


「我らは、殿下こそが王位継承に相応しいと考えております」

「バカ、なの?」


 ごめん、本音が漏れてしまった。


「殿下、我らは本気です。第一王子というだけで、政の才が亡き者が、王冠を戴けば、混乱は必至。宝剣ウィンチェスターを引き継いだ殿下こそが、ウィンチェスター王家に相応し――」

「これの、ことか?」


 僕は壁に立てかけてあった宝剣をとる。




 ――∂$〓‰◆≠ ∂

 剣が喚く。


 うるさいよ。

 ただ、不味いからって文句は聞かないからね。

 僕は、そう心の中で呟く。



「おぉ、それが宝剣。まさしく殿下が、次期ウィンチェスター王である、あか――し?」


 僕は、宝剣――いや、正式名称で呼ぶべきだろう。鳳剣ほうけんを抜く。

 かつて、異界より献上された宝剣である。


 王者の瑞兆ずいちょう、その証し。その吉報を伝えると言われる、おおとりを封じた妖剣である。抜剣には膨大な魔力を要する。


 銘はサウンドレス。すなわち、音無おとなし。諸行無常の響きすら無し。価値も無し。存在も無し。意味も無し。すべてが、無意味。刀身にはそんな呪文が、古代魔術言語で彫られていた。


 この剣に封じ込められた鳳は、燃費が悪い。300年、空腹だった鳳剣を抜いたのが、兄上だったから良かった。僕の魔力じゃ、きっと干からび朽ちた未来しかなかった。


 故にサウンドレス。音もなく、魔力を吸い続ける。ある程度、魔力抵抗ファイアーウォールができれば、防げる代物だった。


 ある程度、魔力を満たした鳳剣は、僕の魔力でも満足してくれた。こいつ曰く、兄上より僕の魔力の方が「うまい」らしい。魔術が使えない僕は、さして支障はない。むしろ、食わせた魔力でお返しをくれるから、良しとしよう。


 だた、補足をさせてほしい。

 次期ウィンチェスター王は兄上だ。僕に為政者としての才覚はないこと、痛感している。僕は剣を振るう。せいぜい、軍務卿が妥当。宰相はメグ。世界樹と福祉は櫻。理想的な配置だと思う。


「……あら、私はいらなかった感じね」


 姿を見せたのは、メグだった。


「にゃんでぇっ?」

 ウィンストン侯爵は呂律が回らないまま、メグを見る。そりゃ、そうだ。魔力循環不全以上に、魔力枯渇状態は生命の危機。だが、そなな自分の状況はさておき、メグがココにいることが不思議でならないらしい。


「あら、殿下のことを私が一人にするわけないですわ。単純に外に出て光学迷彩のマントを着用。もう一度入室しただけのことよ」


 物の見え方は、光の照射で決まるという。世界樹――樫の木お爺様からの、譲渡品。世界樹の葉を編み込むことで、光を歪ませる効果を発見したのは、兄上とメグである。もっとも、この知識は櫻からの受け売りだが。


 ウィンストン侯爵との会談前に聞こえた足音はメグのものだった。多少の魔力検知、武人なら【氣】で見破れる。それなのに……昨今の貴族の軟弱振りは本当に課題だと思う。


「あなたが聖女真教の信徒である以上、こうを持ち歩いていることは、把握済みですから」


 ふふっとメグが微笑む。

 信徒の勧誘の際、微量の魔力香を染みこませた符で催眠状態を作り、呪言でトランスさせる。これまでも、妻子がありながら聖女真教に入信した民が少なからずいた。兄上の情報収集により、疑念は確定に至り、閣僚で共有するに至っている。


 まだ世論を扇動するには至っていないが、世界樹の守護者――勇者パーティーの聖女を偶像崇拝する教団の台頭はよろしくない。


 薬草入りの紅茶は、不足の事態に備える、呪術避け。さらに、香の符対策で、窓を開けて堂々と換気。これ可視できない状態でのメグの対応である。お見事としか言いようがなかった。


 と、メグが楽しそうに笑い声をあげる。これは淑女というより、魔女の高笑いと言った方が良いかもしれない。


「ところで、ウィンストン侯爵?」


 その言葉が合図とばかり、執事が恭しくノックし入室してきた。お盆にはケーキ皿。ティータイムにはどぎつい、各種丸薬の数々が載せられている。


「催眠によるマインドコントロールって、別に聖女真教だけの専売特許というワケじゃなくて、古の錬金術では割とスタンダードなの。ちょっと、試してみたいと思わない? 宗教的には密室での香もミステリアスな演出ができてステキですけど。でもね……私が調合したお薬は、その非じゃなくてよ?」


 ――なぁ、ウィル。

 兄さんの声が脳裏に響く。


 ――お前、あの実験狂のドコが良いんだ?


 そうだね、集中すると、兄さんと一緒で、実験にのめり込んじゃうけど。彼女が3歳年上ってこともあるけれど、意外に二人っきりの時は優しいし、ちゃんと女の子なんだよ?

 僕に害意がある人には、過剰だけどね。







「ウィンストン侯爵はどれが、お好みかしら?」

 メグが淑女の笑みを浮かべたのだった。







■■■







「どう思う?」


 そう言いながら、ティータイムを再開した。今日の執務は終わりにして、紅茶を楽しむ。純粋に、美味しい紅茶はやっぱり癒やされる。今回はメイドが淹れてくれた、茶会用の紅茶である。


「ウィルはやっぱり、薬草入りが良いんじゃない?」

「いや、そういう話じゃなくて――」

「分かってるわよ」


 クスクス、メグは笑う。


「やっぱり、魔術素材の密売も……聖女真教がかんでるわね、これ。ウィンストン侯爵はこのまま泳がせておこうかしら」


 洗脳済みのウィンストン侯爵が床に転がり、泡を吹いているというシュールさ。気にしたら負けである。ボクは紅茶を堪能することに、意識を傾ける。


 悩ましい。教会と一部貴族が、異界あっちと繋がっているのは周知の事実。ただ、世界樹ユグドラシル正教会が機能停止している以上、聖女真教が暗躍している可能性が濃厚。このまま聖女を担がれたままだと、民衆の矛先が聖女にご執心の第1王子に向けられる可能性は高い。


「聖女真教のキーパーソンは、枢機卿イスカリオテ・ダダイよね。でも、それ以上の情報はない……と。一回、アステリアと櫻には帰還してもらわないといけないかな?」

「どうやって?」


 一ヶ月前に、異世界転送トランズミットを行ったばかりだ。安易な魔術行使で均衡を崩さないため、現状は兄上の魔術がモアベター。それ以外の方法はない。


「使節団を転送するレベルは、ね。一応、転送トランズミットステーションは作ったから、私単体なら行けるわよ」

「なに、それ?」


 勇者パーティーは、びっくり箱のような面子で構成されている。なお、兄上から言わせると、僕の剣術も非常識らしいが、岩石や装甲車くらい、鍛錬を積めば切れる。現に櫻だって――。


「……ということで、政務が落ち着いたら、私、行ってくるね?」

「僕は?」


「アステリアが不在の間の、政務を託されたんでしょ?」

「……そうだけど、さ」

「もう、バカなんだから。捨てられた仔猫みたいな顔をしないの」





 ふぁさっ、と。

 僕はメグに髪を撫でられた。








 勇者パーティーの軍師、マーガレット・アンデレは、僕にだけ甘い。

 紅茶やクッキーでは味わえない、甘い口付けを受けながら。

 双子の兄、そして兄が寵愛ちょうあいする人のことを思い巡らす。

 僕ら王族には、確かに求められる責務があるけれど。






 ――好きって感情キモチは誤魔化せないでしょ?

 櫻。その言葉はね、そのまま君にお返しするよ。





 兄上は、君を絶対に幸せにすると、世界樹に誓ったから。

 聖女真教であれ、誰であれ。

 邪魔するヤツらは、許さない。







  だから、櫻。













 君の、好きって気持ち。

 絶対に誤魔化さないで――。
















【第1章 世界樹の聖女、もとの世界に帰還します 了】

 第2章 世界樹の聖女、子育てをはじめました へ続く。

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