第2話 side:H 逃げた花嫁と目の前の花嫁と

『久嗣は、昼乃ひるのの子と結婚するのよ?それが私の子である久嗣の使命よ』


母から耳にタコができるくらい聞かされ続けてきたこと。

昼乃、とはお隣に住む春見昼乃はるみひるのさんという母の幼馴染の人だ。

既に50歳に手が届きそうだと言うのに、不思議なくらいに年齢を重ねない人で、いまだにその姿は30歳にも満たないように見える。

僕はいつもその人を『昼乃さん』と呼んでいた。

昼乃さんはとても優しい人で、家業を継いだ忙しい母に変わって僕の面倒をよく見てくれた。僕が料理が得意な理由は昼乃さんが色々と教えてくれたおかげだ。

そんな昼乃さんに子供が生まれたのは僕が9歳になった頃。

とても可愛い男女の双子で、女の子は春見あさと言い、通称あーちゃん。

男の子は春見ゆうと言い、通称ゆうくん。僕は二人をそう呼んでいた。

その頃から、母はとにかく冒頭の台詞を常に僕に言い聞かせるようになった。

僕は割と順調に育った方でーー昼乃さんの育て方の賜物じゃないだろうかーーいわゆる反抗期もなく、加えて双子のことも好きだったし、『それでもいいかな』と思っていたので、母に反発することもなかった。

昼乃さんの方も『久嗣くんなら安心』と母の提案に乗り気だったし、育ての親同然の昼乃さんにそう言われると嬉しかった。

それどころか、家族ぐるみでの付き合いなので『嫁姑問題もなく平和だね』なんてことを幼いながらに考えていたのだ。

なので、学生時代は『本気にならない程度』のお付き合いを心がけていたし、大学を卒業してからはそういうことも控えてきた。

一応弁明しておくと、浮気心があったわけではない。

ただ双子とは9歳という差があったし、母からも『女心がわからないようじゃ昼乃の子と結婚させられない。節度を持って男女関係を知りなさい』とお達しがあったのだーー今考えると、どうも僕が付き合ってきた子には母の息がかかっていたようにも思える。どの人も僕を好きだと言う割に追い縋るわけでもなくサッパリとした美しい人ばかりだったのでーー。

まあ、そんなわけでそれなりに、男女のことも学びつつ、僕は過ごしてきた。

双子の姉である、あーちゃんが16歳になった頃には、正式に婚約の段取りが進められ、18歳を迎え高校を卒業した時点で結婚式の手筈が整えられた。


そして、今日。

穏やかな春の日に、あーちゃんと僕は結婚式の日を迎えたーー筈だった。


壁ドンもとい、壁ドゴオオオオン!!くらいの勢いでゆうくんを捉えて見下ろす。

見下ろした花嫁姿はびっくりするほど可愛い。そういえば男の子の割に身長低いのが悩みだったな。可愛いから気にしなくて良いのに、なんて明後日なことを考えるくらいには混乱していた。


あーちゃんは?

僕の花嫁は?

あれ?ゆうくんが花嫁だっけ?

可愛いし別にいいかな?可愛いし・・・。いやいやいやいや!


意味のわからない自問自答を繰り返す。

ゆうくんが青い顔で僕を窺うように「あさが逃げた」と告げてきたのは、流石にショックだったのだ。

逃げた!?なんで!?実は嫌われてた?ほんの少し前まで『久嗣の妻は私だからね!』と言っていたのは夢幻だったのだろうか?

笑顔は崩さなかったけれど、本当にショックだった。


何せ一生に一度の結婚式だ。


しかも結婚式当日にこれは・・・いや、もう本当にどうしようか。

混乱しながらも、ゆうくんをもう一度見下ろす。僕を見上げる目は随分と怯えていてーー我に返った。

この子が悪いわけではないし、追い詰めても意味はない。

ふう、と心を落ち着けるために息をひとつ吐き出す。

しかし・・・この双子のことならなんでわかると思ってたのに。

僕は、僕と母は、いつの間にかあーちゃんを追い詰めてたのかもしれない。

僕の見た目は自分でも、良いと思う。背丈もそれなりにある。

自慢ではなく、そこは父母の良いところばかりを受け継いだので感謝だ。

それに加えて器用な方なので、小さい頃からなんでもできる方だった。

自身の学業をそつなくこなしながら双子の勉強もみていたし、ゆうくんが僕が卒業した大学に合格したのも僕の指導があった故だと思う。

勿論、ゆうくん自身の努力も大いにある。

家を燃やしかける勢いの料理を作るーー実際、何度かボヤをおこしたのだーーあーちゃんには料理を教えた。

今年のバレンタインのザッハトルテ、すごく上手に仕上がっていて、手放しに誉めたのを思い出す。

これだけでなく、生まれた時から双子には密接に関わってきた。だから僕は双子のことならば『なんでもわかる』と思い込んでいたのだ。

・・・僕はいつから見誤っていたんだろうか。烏滸がましかったのだろう。


「ごめ、あの、俺もさっき・・・あさのこと、聞いて・・・」


目に涙を浮かべながら、ゆうくんが謝ってくる。


「いや、うん・・・僕も、ごめんね?ゆうくんが悪いわけじゃないのにね」


きっと、いきなり逃げた姉の代わりを無理にさせられたに違いない。

件の昼乃さんはそりゃあ優しい人なのだが、我が子に関してはよくわからない押しの強さを出すところがあった。

予行練習の代役の時だってそうだ。あの時もゆうくんが現れて吃驚した。

男の子に花嫁衣装なんて・・・屈辱だったかもしれない。しかも二度だ。

ああ、しかも今回は誓いのキスまであった。

予行練習のときは、それは飛ばされていたけれど、今回はあったのだ。

そうだ、キスしてしまった。ゆうくんと。柔らかかったな・・・可愛かった・・・て、いや、いやいやいや!?僕はやはりショックの真っ只中のようだ。

ああ、でも、そこは謝らないとなぁ・・・。


「えーと・・・ゆうくん、ごめんね。その、嫌だったよね」

「いや、悪いのは、あさで、それにうちの親の無茶振りを引き受けたのは俺だから」

「ああ、いや・・・キスしちゃったから」

「あっ・・・」


ゆうくんは赤くなって俯く。

まあ、それはなぁ・・・よく知ってる隣のお兄さんに、人の前しかも唇にキスされたらねぇ・・・。しかし、可愛いなあ。


「ごめんね、あの場は仕方なくて」


俯いたゆうくんの肩に手を置くと、ビクッと震えて体を硬くする。

あー・・・これ、大丈夫かな。トラウマになってなきゃいいのだけど・・・。

僕はゆうくんの腕をゆっくりと引いて、肩を抱いた。相変わらず細い。

そのまま背中を撫でながらあーちゃんのことを考える。

・・・そういえば、あーちゃんはどこに行ったんだろう。

ここに春見家が揃っているところを見るに、身の安全は保証されていると予測はできた。

僕にとっては、生まれた頃から見てきた子だし、大事な子には違いない。

この結婚が嫌で去ったとしても、僕がその居所が分からないとしても、元気に過ごしてもらいたい。

それに、あーちゃんのあの性格からして、そのうちひょこっと帰ってきそうな気はする。それまで健やかに、幸福であれば、今回のことは怒らないでいてあげよう。

まあ、それなりに僕はショックだったけれども。それよりも、今、だ。

今目の前にいるゆうくんの方がメンタル的には参っているのではないだろうか?

大丈夫?と声をかけると、


「あの、大丈夫、俺は。…初めてだったけど」


そう答えた。

初めて・・・ひぇ、あれがファーストキス?!

ちょっとちょっと・・・!

あまりにも可哀想じゃないだろうか?!


「うわぁ・・・責任重大だね僕!?」


初めてがあれって。

天井を仰ぎ見てため息を吐くと、ゆうくんが気を遣って「大丈夫だから」と繰り返す。健気だなぁ・・・。可愛いなあ・・・。


「あのさ、それよりも・・・嗣にぃ。その今後ってどうする、の・・・?」

「え?」


質問されて僕が首を傾げると、ゆうくんが遠慮がちに言葉を続けた。


「この後って披露宴するんだろ?代役したからそこは大丈夫だと思う。ヘマしたらカバーしてもらいたいけど。けど、その後ってどうすればいい?新婚旅行とか、その、生活とか・・・。俺、何も聞いてないってのもあるけど、知らなくてさ・・・」


そう申し訳なさそうに、実に申し訳なさそうにゆうくんが眉を顰める。

いやいや、君は悪くないんだけどなぁ・・・。

そうか。問題は山積みってわけだ。

新婚旅行か・・・。結婚式の後僕は有給や通常の休みと合わせて10日ほど時間を空けている。旅行は国内が良いと言っていたあーちゃんの希望で、3泊4日で大分県の湯布院を予定していたのだ。・・・もしかして、この頃からあーちゃんは決めていたのかもしれない。何せ始めはハワイに予定していたのを、いきなり国内に変えたのだ。

まあ、でもこれはゆうくんとのんびり行くのも悪くはないと思う。まあ、あくまでゆうくんが嫌でなくて予定が空いていればだけれど。

しかしその後は、大いに問題だ。

僕も一応社会人、世間体というものがある。さすがに結婚しました!即離婚します!はこの日本において信用を失う行為だろう。それがいくら母が切り盛りをする会社の系列にいるとはいえ、だ。まるで七光を利用させてくれないしなぁ。

どうするか。

どうしたら良いか。

思考を巡らす。・・・後から考えると、この時、僕は冷静に考えたつもりでもテンパっていたのだと思える。


「あーちゃんのかわりに、ゆうくん。僕の奥さん役、できる・・・?」


そんなとんでもない提案を、僕はしたのだからーー。

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