第10話「アルメリアの一日」


侯爵令嬢ヴェロニカの毎日は多忙だ。

貴族令嬢としての家庭教師による様々な習い事は当然として、婚約者であるエルドリック王子は未だ立太子はしていないものの確実視されている事からも、将来王太子妃になった時の事まで含めて学んでいる。

その教育内容は多岐にわたっており、外交の一端を担う事から社会情勢・政治に関する様々な知識まで詰め込まれるというエリート教育そのものだ。


「(とはいえ、それら全てを学んだ上で、実際は王子様の横ですましていないといけない、というのも中々ね……)」

この時代は女性の発言権が弱く、口出しなどもってのほかだったからだ。さんざん学ばせておいてそれを活かす事もできないのなら何の為に学ぶのか思ってしまう。

これに加えて、春からは王立魔法学園に入学しなければならず、魔法の勉強まで予習させられていた。

とはいえ本格的なものではなく、体内を巡る魔力の制御方法の習得、基礎的な魔法知識などの座学ではある。

それら全てを終えた頃には日も大きく傾いており、ヴェロニカは庭園の四阿にて遅い午後の紅茶でようやく一息をついていた。


それだけならまだ良いのだが、今日はエルドリック王子まで来ている。

最近良くアングラータ家に来るようになったのは自分の存在もあっての事らしいので、アルメリアはエルドリックの前には姿を表さず、遠くから木陰で姉のティータイムを見守っていた。

同僚のメイド達はロイヤルラブロマンスを間近で見ているようなものなので、浮き立つ心を抑えきれない様子で見ているようだが、アルメリアの目には姉が疲れているようにしか見えない。

「よって、この税率を野放しにしていたら民の間で不公平感が出てしまうと思うのだが、君はどう思う?」

「確かにこの税制では一部の商人が富むばかりで、その差はどんどんと開いてしまうでしょうね。何らかの方法で一般の人にも還元しないといけないかも知れませんわね」


「お姉様 ああ今日も健気ね お姉様」

よし一句決まった、とアルメリアは俳句にもなっていない何かを呟き、これだけ多忙で、様々な事を学んだ上に婚約者とはいえ王子の相手までしているヴェロニカに素直に称賛の眼差しを向けていた。

しかし婚約者の聡明さに満足しながら紅茶を一口飲んでいる王子に対しては剣呑な目を向けていた。

彼はその見た目に違わず曲がった所の無い性格なのだそうだが、だからといって姉とのティータイムにまで自分の仕事を持ち込んで意見を聞く事はないだろう。

姉に対する思いやりが少々足りない婚約者を見て、アルメリアはいざとなったら始末しないといけないかしら……、と思った。その首筋にひやりとした物が押し当てられる。

「!?」

アルメリアが驚いて動けずにいると、背後から飄々とした声がかけられた。

「はいそこまで、おかしな動きをしたら斬らなくといけなくなるんだよねぇ」

声をかけてきたのは、王子護衛担当の近衛騎士、クリストファーだった。アルメリアが振り返って目を合わせると、顔は笑っていても目は笑っていない。

「あ、あの、何かの間違いでは?私、何もしてませんわよ?」

「へぇ? よく言うよね。さっき殿下に対して殺気を飛ばしてたでしょ?」

それを聞いてアルメリアは背筋が寒くなる思いだった。たしかに一瞬だけ王子に対して殺気は抱いたが、まさかその一瞬を感じ取られるとは思わなかったのだ。しかもその一瞬で自分の背後を取られていたのだから。この騎士がその気になれば自分の生命は無かった。


「困るんだよねぇ、反逆罪に問われても知らないよ?」

「ですから、私は陰ながらお嬢様を見守っていただけですので」

「お嬢様って、君、ヴェロニカちゃんの妹でしょ?」

「義理の、ですわ。身の程をわきまえているだけですの」

そう言うと、クリストファーはふぅんと一瞬、憐れむかのような眼差しを向けたが、すぐに面白いものを見つけたかのような表情になる。クリストファーは剣をしまうと、アルメリアに顔を近づけてきた。

アルメリアの方は異性に対してそういえば慣れていなかったので、つい後ずさる。

「やっぱり君、面白いね。この間から何か違うっていうか。何があったの?殿下を殺そうとしたりとかさぁ、随分過激になったよね?」

「いえですから、私は素手ですよ? 武器なんて持ってませんし。魔法も使えませんから」

「魔法が使えなくても、東方の国では魔法に似た技術があったりするんだよ、ねぇ?」

「は?そんな国、聞いた事もございませんが?」

アルメリアは自分の使える『魔式』に感づかれては厄介だと思い、咄嗟に取り繕う。さすがに前世を思い出したなんて事までは思い至らないだろうが。


「まぁいいや、その気になったら手合わせしてみたいな。ちなみに俺の好みは自分より強い子だから」

そんな本音の吐露は要らん、とアルメリアは内心思ったが、とりあえず今はこの場を切り抜けるのが先決だ。

「そんな日はきっと来ないと思いますわ。何しろ私はただの冥途ですから」

アルメリアは踵を返して退散するが、その後姿をクリストファーは興味深そうに見守っていた。

「歩き方からして違うなぁ?無意識に体幹をブラさないように歩いてるし。やっぱりあの子、面白そうだ」



さて、アルメリアは昼間メイドとして働いていたが、夜も遅くなった頃、アングラータ家の一部で動きがあった。

何人もの使用人達が床を軋ませないようにしながら歩を進めている。

彼ら彼女らは大きな鍵のついた扉を前に立つと、二人はお互いに目配せをして入室する。

大きな机を囲んで座る中央にいたのはアルメリアだった。

頭上には『第5回 今日もヴェロニカお嬢様はマジ尊い会』という横断幕が垂れ下がっている。

正直この名前は無いよな……、と思いつつ皆は居住まいを正した。

「揃いましたわね、それでは今夜も始めましょうか」

この会はそもそもアルメリアが姉の事について色々と使用人達に聞く為の集まりだった。

最初は女子会のようなノリだったのが、熱が入っていくにつれて徐々に人も集まり、徐々に雰囲気も怪しくなっていったしまったものだ。

とはいえその内容はというと、その日のヴェロニカについて色々と語り合い、「尊い……」「良いよね……」と言い合うだけの物なのだが。

何故かアルメリアがこの会の会長となっているが、そもそもこの人が一番ヴェロニカ様の事詳しく無いよな……、とは誰も言えなかった。

「さて、今日はどのような事があったのかしら?」

「はい会長!今日はかなり希少な出来事がありました!」

手を上げたメイドは邸内では最も年少なだけに、すっかりこの会の雰囲気に染まってしまっていた。

「今日のお嬢様なのですが、エルドリック殿下がお帰りになった後にですね、珍しくしばらくその場に残られまして、胸元から取り出したペンダントをずっと見てらっしゃったんですよね」

「別にそれは、殿下からの贈り物ではないの?」

「いえそれが、先輩に聞いた所、あれは肌身離さず身につけていらっしゃるものなのですが、殿下と婚約する前から持っているはずだと」

「へぇ、どのような物なのかしら?」

「ずっと身につけてらっしゃるので、きちんと見た人いないんじゃないかって話なんですよ。殿下が帰られた後に、というのが意味深ですよね」

「贈った人が誰かは気になる所ね、今後要注意だわそれは、次は、誰かいないかしら?」

「あ、はい!では私が!」

こんな感じでアルメリアはヴェロニカに対する情報を色々と集めていった。もっともそれは特に意味があっての事ではなく、敬愛する姉に関する事に関しては何でも知りたい、というだけのものではあったのだが。


「さて皆様、本日もこれで終わりにしたく思います。最後にいつものを。皆様は何ぞや?」

「「「我らはヴェロニカ様を敬愛する者なり!」」」

「我らは信徒にして使徒にして信奉者なり、されば汝らは?」

「「「我らはヴェロニカ様を敬愛し、崇めて止まず!」」」

「我らはヴェロニカ様の為に生き、ヴェロニカ様の為に働き、ヴェロニカ様をお護りする者なり、されば汝らは?」

「「「我らは死ねと命じられれば我が首を落とし、ヴェロニカ様に危機あらば我が身を投げ出す者なり!」」」

「されば我ら、ヴェロニカ様に仇なす者、魔族魔獣の群れと相対した時は?」

「「「剣を持ちて敵の首を落とし、盾を持って牙を防ぎ、槍を持って敵を貫き、弓を持ってその目を射る者なり!」」

「されど我ら、その命が尽き果てし時は?」

「「「天国への門を蹴り飛ばして閉じ、地獄への道を自ら断つものなり!」」」

「我らは永遠にヴェロニカ様に仕え、永遠にヴェロニカ様に付き従う者なり!なれば我らの忠義は不滅である!」


「「「「いつか来る日の為に!」」」」


よくわからない宣言を終えると、皆は音もなく部屋を去っていった。

こうしてアルメリアが影の民を参考にして作ったアングラータ家の闇はどんどん深まってゆき、少しずつ少しずつ勢力を広めていった。

こんな事を何度も繰り返していくうちに、皆はどんどんその気になって結束は深まり、鉄の掟で結ばれた秘密結社が出現する事となる。

そしてその構成員はアングラータ家のみに留まらず、近隣の貴族家の侍女・メイド・従僕といった使用人達までもお誘い合わせの上で加わり、ついには貴族の裏社会を構成する組織となるのはしばらく後の事であった。

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