第1話「貴族屋敷に棲む少女、アルメリア」
「ちょっと!アルメリア!どうして屋根裏部屋から出たの!」
「あの……、食事を、お腹が空いて」
「あんたが余計な事をすると、私達の仕事が増えるんだからね!部屋に戻って!」
「ああ臭い、近くに寄るのも嫌になるわ!今日は忙しいってのに!」
アルメリアは使用人達の心無い声に反論する事もできない。自分はこの広い屋敷の中では何もできず、だからといって外の世界で生きる事すら難しいのだから。
それでも、15才の年頃の少女にとっては、先程の『臭い』と言われた事が心に突き刺さっている。
自分は身体を洗う為の湯どころか、水すらも手に入れるのに苦労するのだから。
せめて外の川で身体を洗おうと表へ向かった。
「おなか、空いたなぁ……」
アルメリア・アングラータは貴族令嬢である。いや、正確には貴族屋敷に住んでいるというだけの少女というべきであった。
父親は魔法が盛んなグランロッシュ王国の侯爵ではあるが、アルメリアに魔法力がほとんど無い事から、公には娘としては認められていないのだ。
母親は平民で、とある出会いで侯爵の子を身ごもってしまい、家を追われた後は侯爵を頼って屋敷に住まわせてもらっていたのだが、自分を産んだ時に
この国では魔法が重視されており、出生時に国民全員が魔力鑑定を受けるのだが、アルメリアには一般人ギリギリの魔法力しか無かった。
高位貴族はほぼ全員が魔力を持っている上に、魔力の高さがこの国では権力に結びつきやすかったので、家から『魔力無し』が産まれたなどとわかったら権威に傷が付くと、父である侯爵はアルメリアを娘と認めるわけにはいかなかったのだ。
アルメリアが顧みられる事が無かったのを助長したのは、姉のヴェロニカの存在も大きかった。父親譲りの金髪碧眼、見事なスタイルと洗練された所作、生まれた頃から貴族令嬢として育てられた彼女は、魔法学園に通う前からこの国の王子との婚約が決まっていたのだから。
当然、使用人達はヴェロニカのお世話をしたがる。彼女が婚約した王子はまだ立太子こそしていないが、有力視されており、お付きの侍女にでもなれば、ゆくゆくは王妃のそれも狙えたからだ。
なのでアルメリアの世話をしようとする者は誰もいない、さすがに赤子のやごく小さい頃は乳母や家庭教師がついていたのだが、アルメリアが成長してからは暇を出されてしまい、アルメリアはこの広い屋敷で一人ぼっちになっていた。
川へ行くついでに、何か食べ物をもらおうと半地下室となっている厨房に寄ってみたが、普段よりも遥かに忙しそうにしており、断念するしかなかった。
「今日は何か催しものでもあるのかしら?だったら仕方ないわね……」
食事の用意すらまばらにしかされないアルメリアは空腹を我慢しながら、よたよたと表に出るしかなかった。
この屋敷での自分の立場はものすごく中途半端だった、貴族令嬢として扱われるでもなく、使用人として働かされるわけでもなく、何かをしろと言われるわけでもなかったのだから。
自分は何の為に生きているのだろう、ただ生きているだけの人生に何の意味があるのだろう、そう思い悩んでも答えは出ない。
ふと、庭園の方を見ると、義姉のヴェロニカの姿が見えた。ああ、今日はお茶会の日だったのか。
大勢の人々に囲まれる彼女の今日の衣装は春を感じさせる薄緑色のドレス、あえて金属のアクセサリーではなく布の髪飾りでまとめ、リボンとともに軽く編み込んだ髪はゆるふわに揺れて春風を思わせる。
洗練された所作で周囲の人と会話をし、屈託なく笑って見せるその姿は、まぎれもなく完全無欠の貴族令嬢だった。
対する私は、とアルメリアは己の姿を見ても鬱屈した思いしか浮かんでこなかった。使用人からのお下がりの衣服はドレスとは程遠く、水洗いしかできないのでくたびれてしまっている。
伸び放題の髪は色もほぼ黒に近い茶色で、目も茶色なので父親や姉とはまるで似ていない。栄養の足りていない身体はやせっぽちだし、成長期とはいえ背も低い。
幼い頃は家庭教師がついており、基礎的な勉強は施されていたが、そこまでだった。次第に扱いが雑になってゆき、10を過ぎた頃には屋敷内で放置子のようになってしまっていたのだから。
貴族令嬢の嗜みである刺繍も、針や糸がなかなか手に入らないので、自分の衣服を修繕するの針仕事で手一杯だった。
時間だけは山程あったので屋敷内の図書室の本を読んでいたが、一度自分の部屋に本を持ち帰っていた事をこっぴどく叱られてからは持ち出しを禁止されてしまった。
そもそも屋敷内で何かが無くなると、まずアルメリアが疑われるのだ。
仕方がないので記憶力が良かったアルメリアは、忍び込んだその場で本を大急ぎで読んで文字だけを丸暗記し、部屋に帰ってからそれを思い出して理解するという特技を編み出した。
しかしそれは「いつも何もせず、部屋でぼーっとしている」という悪評の元になるだけだったのだが、こればかりはどうしようもなかった。
よろよろと敷地内を流れる小川にたどり着き、服をたくし上げて身体を洗っていく、水はまだ冷たいので手足は痛いほどだったが、いつもの事なので我慢するしかない。
アルメリアはぼんやりと義姉と自分は何が違うのだろう、と思い浮かべていた。違うのは母親だけ、としか言いようがなかったが、それでも一応貴族屋敷の中で生活しているからにはその違いは天と地ほどにも大きかった。
姉に対して妬み、嫉み、僻み、羨望、もろもろの思いが浮かばないでもなかったが、それは全て母親が平民、という厳然たる事実で現実の前にはどうしようもなかった。
身体を洗うついでに服も洗おうか、と思ったが、着替えを持って来ていなかった事に気づく。いいや、このまま水に入って身体ごと洗ってしまえ、と水の中に身体を沈めていった。
水から上がった時に服をしぼり、多少乾かせば部屋に戻れる、と思ったのだ。
が、それが間違いだった。空腹の身に冷たい水はすごい勢いで体力を奪い、力を失った足は一瞬の油断でバランスを崩し深みにはまってしまった。
もがく手足に濡れた衣服は絡みつき、その動きを邪魔する。
アルメリアは水の中に沈みながら、ああ、自分は死ぬのだな、と他人事のように思った。これで楽になれる、多少の息苦しさはあるが、あの貴族屋敷の中よりマシだ、恐怖は無かった。
ふと、目が覚めるとアルメリアは屋根裏の自室だった。ぼんやりと天井を見上げながら夢だったのかと思ったが、髪はまだ少々湿っていた。誰かに助けてもらえたのだろうか。色々思い返してみても、水に入って以降の事は思い出せない。
そして、アルメリアは、ついでに余計な事まで思い出してしまった。
あ、私、前世で忍者だった。
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