第15話 自己責任論が社会を分断する

日本社会では、何か問題が起きると、個人にその責任を押し付ける「自己責任論」が頻繁に語られる。失業、貧困、病気、さらには災害の被害までもが、当事者の努力不足や準備不足のせいだとされることがある。この風潮は、問題の背景にある構造的な要因を見逃し、社会全体の協力を阻む大きな要因となっている。


たとえば、非正規雇用や低賃金に苦しむ若者が「努力が足りない」と言われることがある。しかし、雇用環境の悪化や終身雇用制度の崩壊といった背景を無視して、個人の能力や行動だけで解決すべきだとするのは短絡的だ。特に、不景気や産業構造の変化によって生まれる職業選択の制限は、個人ではどうにもならない問題だ。


また、障害者や病気を抱える人に対しても、自己責任論が向けられることがある。「もっと早く病院に行っていれば」「自分で何とかするべき」といった言葉は、当事者をさらに追い詰めるだけでなく、社会全体の連帯感を弱める。このような言葉は、支援を必要とする人々を孤立させ、結果として社会全体に悪影響を及ぼす。


さらに、自然災害の被害者に対しても、「防災対策を怠ったのが悪い」と責められることがある。確かに個人でできる備えもあるが、それ以上に重要なのは、国や自治体がどれだけ効果的な防災計画や支援体制を整えているかだ。災害は誰にでも起こり得る問題であり、自己責任論だけでは本質的な解決には至らない。


では、なぜこのように自己責任論が根強いのか。その背景には、「自己責任」という言葉が持つ一種の正義感や、自分には関係のない問題だと切り離す心理があるのかもしれない。問題を個人の責任に帰結させることで、自分がその問題から距離を置ける安心感を得ようとする。しかし、その結果として、問題の解決に必要な社会全体の協力が失われてしまう。


この自己責任論が生む最大の問題は、「助け合いの精神」を損なうことだ。個人の努力だけでは解決できない課題が多い現代において、社会全体で支え合う仕組みが必要不可欠だ。しかし、自己責任論が蔓延すると、他人を助ける意識が薄れ、孤立した人々が増えていく。これが、社会の分断を加速させる原因となる。


では、どうすればこの自己責任論を克服できるのか。一つの方法は、「共感」を育てることだ。他人の立場や状況を理解しようとする姿勢が、個人の責任だけではなく、社会全体の課題として問題に向き合うきっかけを作る。たとえば、障害者や貧困層の経験を共有する場を作り、彼らの声を直接聞くことで、偏見や誤解を減らすことができるだろう。


また、社会構造や政策の改善に向けた議論を進めることも重要だ。貧困や失業といった問題が個人の責任に還元されるのではなく、制度的な改革や支援が必要だという視点を共有することで、自己責任論を相対化することができる。


私たちは誰もが、いつか支援を必要とする立場になる可能性がある。「自己責任」という言葉に逃げるのではなく、支え合い、助け合う社会を作ることが、私たち自身の未来を守ることに繋がるのではないだろうか。責任を押し付けるのではなく、共に解決する方法を考える。それが、分断ではなく連帯を生む道だと私は信じている。

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