第3話 報じられない真実、湾曲された現実

メディアは「社会の監視役」として、真実を伝えることを使命としている。しかし現代の日本では、そのメディアが伝える情報に対して疑問を抱かざるを得ない場面が増えている。報じられるニュースの多くが偏りや意図を感じさせ、逆に重要な事実が隠されたり歪められたりしている現状があるからだ。


たとえば、政治スキャンダルや大企業の不祥事が明るみに出たとき、メディアはそれをどのように報じるかを慎重に選ぶ。一部の報道では、権力者やスポンサーへの配慮が見え隠れし、真実がぼかされてしまうことも少なくない。表面的には「中立」を装っていても、報じる情報や言葉の選び方に偏りがあることがしばしばだ。


一方で、本当に知るべき問題が報道されないケースもある。特に、地方の小さな事件や社会的弱者に関する問題は、全国ニュースではほとんど取り上げられない。それは、視聴率やクリック数を重視する現在のメディアが、「人々の関心を引かない」と判断するためだ。しかし、それが社会に与える影響を考えると、本当に伝えるべき情報が埋もれている状況は看過できない。


こうした現状を象徴するのが、SNSでの情報の氾濫だ。テレビや新聞で報じられない情報がSNS上では拡散される一方、その多くが事実を確認しないまま広まり、間違った認識やデマを生み出している。誰もが発信者になれる時代だからこそ、情報の取捨選択がより重要になっている。


では、なぜメディアは真実を十分に伝えられないのか。ひとつの理由は、報道の背後にある利益構造だ。スポンサー企業や政府との関係が、報道の内容に影響を及ぼすことは想像に難くない。また、報道機関自体が権力に依存することで、批判的な報道を避ける傾向が生まれる。これは特定の問題が「なかったこと」にされる一因でもある。


しかし、メディアの問題だけを責めても解決にはならない。私たち受け手の側にも責任がある。情報を受け取る際に、その真偽を確かめたり、他の情報源と比較したりする意識を持つことが大切だ。批判的な視点を持つことで、私たちは情報の「消費者」ではなく、情報の「選別者」となることができる。


今の社会では、目の前にある情報だけを信じるのは危険だ。報じられていない真実や、湾曲された現実の裏側に目を向ける力が必要とされている。それは決して簡単なことではないが、私たちが社会の一員として生きる以上、避けて通るべきではない課題だろう。


真実にたどり着くには、自らの手で情報を掘り下げ、考え続けるしかない。報じられない真実を知るために、そして湾曲された現実の中で道を見失わないために、私たちはどんな時も「疑問」を持ち続けるべきだ。

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