貧乏大学生の恋事情は③年上女子大生の初めて

綿串天兵

飛躍して?メインステージ

 夏休み明けの翌週末、今日は大学祭の初日。大学生や高校生、家族連れ、色々な人が歩いている。高校の時とは大違いだ。


 俺は、なんだか無気力ってのを感じながら空を見上げた。ほぼ快晴、ところどころ、結構な速さで雲が移動している。

 そんな微妙な俺の気分とは全く関係なく、時折、強い風が吹く。南東からの風で、やや湿っぽい。


 行先は講堂。大学祭のメインステージは色々な部が順番に使うから、あそこに上がれるのは一部の部員だけ。

 ほとんどのジャズ研メンバーは、講堂の中で演奏をする。


「あ、清水きよみずくん、時間通り、さすがだね。じゃあ、受付頼むよ」

「はい、わかりました」


 ワンドリンク付きとはいえ、この演奏レベルでお金を取っていいものなのかな。いや、ドリンク代としては適正価格だから、まあ、いいと言えばいいのか。


 案の定、あまり客は来ない。俺は隣に座っている先輩に話しかけた。


「先輩、毎年、こんな感じなんですか?」

「私は二回目だけど、まあ、こんなもん」

「そうですか」


 ん? 俺が自分から質問するなんて……菜可乃なかののおかげかな。


「ところで、清水きよみずくん、ワークキャップは取らないの? ファッションかな」

「いえ、髪の毛が中途半端に長いので、それを押さえるためです」

「なるほど」


 受付も悪くない。何しろ、普段、あまり聴くことができない他の部員の演奏が聴けるから。俺は必要以上に音楽は聴かないが、生演奏はやっぱりいい。


 多少のミスもご愛敬、もっとも客は少ないが……。バンドが入れ替わるたびにお客も入れ替わる。きっと演奏しているメンバーの友人や知人なんだろう。


 大学では菜可乃なかのと普通に接している。変わったことと言えば、一緒に昼飯を食べなくなったことぐらい。

 講義の時は、相変わらず隣に座っているし、時々、きわどいボディタッチもしてくる。


 しばらくして、俺の所属するバンド演奏の時間が近づいてきた。さすが先輩たち、タイムテーブル通りに進んでいる。


二海ふたみ、来たよ!」

菜可乃なかの、ありがとう。誰も来てくれなかったらどうしようかと思っていた」

「君たち、本当に別れたのか? 全然、そんな風に見えないんだが」

「高塚さん、こんにちは。あ、そちらの方は?」


 高塚さんの横には茶髪の女性が立っていた。


「この子は私の同級生で、軽音部。まあ、音楽つながりということで引っ張って来た」

「ありがとうございます……というか、後ろにいる方々もですか?」


 茶髪女子大生の後ろには、三十人ほどの男性たちがいた。


「この子のファンクラブだ」

「そ、そうですか。大勢でお越しいただき、ありがとうございます」


 ちょ、ちょっと、こんなたくさんのお客さんの前で演奏するのか?

 高校生の時にはもっとたくさんの人前で演奏したことがあるが、今回は知らない人、しかも先輩の方々だ。


 俺は比較的耐性がある方だが、他のメンバーはどうなんだろう。空手の大会を何度も経験してきた俺でさえ、心臓がバクバク、もう、口の中が乾き始めている。


 案の定、演奏中のバンドにミスが目立ち始めた。ドラムのテンポが安定しなくなり、フロントメンバーの演奏も走りがちだ。

 それを先輩たちが抑えているという感じ。さすが、先輩たちは場慣れしている。



  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 そろそろ前のバンド演奏が終わるため、俺たちは楽器の準備に取り掛かった。テナーサックスのケースを開け、まずはリードを咥えて湿らせる。

 そしてマウスピースに取り付けた。


 できれば十五分ぐらい吹いてから本番に挑みたいところだが、まあ、しょうがない。う、緊張するな、もう。空手の大会の時のことを思い出そう。


 他のメンバーを見渡してみた。ウッドベースの先輩はいつもの感じ。ピアノ、ドラムは大学一回生、表情を確認すると、予想外に落ち着いていた。


 そうか、ピアノはコンクール出場、ドラムは吹奏楽部出身、演奏会で場慣れしているのか。しかも、ピアノは全部、譜面が起こしてある。俺だけだ、緊張しているの。


清水きよみずくん、リラックス、リラックス」

「はい、先輩」


 大丈夫、空手の演武に比べれば。うん、余裕……なはず。


 講堂は一応、暗くしているが、結構、お客さんの顔が見える。菜可乃なかのが投げキッスをしたので、「今時、投げキッスかよ」と思いつつ、ウインクで返した。

 そういえば、姉貴はウインクができない。


 そんなこんなで俺たちの演奏は始まった。まずはテーマ部分……う、自分でもわかるぐらい走りそうになっている。

 他のメンバーの演奏をよく聴け、テーマはちょっと後ろにずれるぐらいがちょうどいい。


 しかし、ドラム、相変わらず叩き方が硬いというか、妙に正確な三分の一スイングだよな。もうちょっともったりしてほしい。ピアノも同じ。


 そして、まずは俺のアドリブ、ワンコーラス。抑えて抑えて、渋みを意識してフレーズを組み立てていく。大丈夫、ピアノとベースの音に乗っかっていけばいい。


 思ったのと違う音が出てしまったら、とりあえず半音ずらし、「俺は、通過音として、あえてこの音を選んだ」と自分に言い聞かせる。無難にアドリブをこなしたら、次はピアノのアドリブ。


――パラッ


 紙の落ちる音が聞こえた。そして、ピアノの演奏が止まった。振り返ると、慌てて譜面を拾う女子学生が目に入った。エアコンのいたずらか。まずい……。


――ボンッボボボンッ


 ウッドベースの音量が上がり、そのままウッドベースのアドリブに入った。さすが先輩。しかし、ドラムは音量を落とさない。

 俺は、ドラムに向かって音量を下げるよう、小さく手で合図したが伝わらない。


 お客さんがいる以上、あまり大きな動作はできない。


 しかも、予定では、この後、ベースとドラムのフォーバース。どうするんだ?


 ウッドベースのアドリブということで、俺は中央から少しずれたところで先輩の演奏を見ていた。

 そして先輩はウッドベースを弾きながら、俺とドラムの男子学生に視線を交互に送って来た。


 了解。


 ウッドベースのアドリブ演奏が終わる少し前で、俺は中央に戻り、指を四本立てて、お客さんにも、そしてドラムの男子学生にも見えるように動かした。

 これならパフォーマンスに見える……はず。


 そして、ウッドベースのアドリブが終わるところに食いつくように、ちょっと前のめり気味に派手なフレーズを演奏開始。

 四小節が終わる直前にオーバーアクションでサックスをドラムに向かって振った。


――スタンタ、タタンタ


 よかった、無事、伝わった。テナーサックスとドラムでのフォーバース、最後まで行けそうだ。ピアノの方をチラっと見ると、既に譜面はエレピの譜面台に乗っている。


 現在、演奏の進行を正確に把握しているのは、先輩と俺だけだろう。そうだ……。

 最後のドラム四小節の時に、右手の人差し指をこめかみに当ててメンバーを見た。「頭に戻る」の合図、つまり、テーマに戻るということ。


 先輩がニコリと笑った。小柄で、ウッドベースのネック、よく届くよなっていつも思う。可愛い……どうしてこの大学は、アニメみたいに可愛い女性ばかりいるんだろう?


 そして、最後のテーマを吹き切り、エンディング、無事、一曲、やりきった。一応だろうけど、拍手をして頂いた。


 そんなわけで二曲目。この曲はピアノをフィーチャリング……主役ってやつ。ドラムのカウントを待たずに演奏が始まった。

 打ち合わせと違う。しかも、いつもに増して演奏が硬い。


 きっと、さっきのミスで緊張しているんだ。


 先輩は、ドラムに向かって手を広げて「待て」の合図をし、ピアノ演奏の前半が終わるところで、「一、二、三、四」と指でカウントを見せた。


 タイミングよくいい感じでウッドベースとドラムが入ったものの、ちょっとテンポが微妙にピアノと合っていない。

 この場合、どっちに合わせたらいいんだろうか? ……と待っていたら、自然にテンポはまとまってきた。


 テンポは、だ。ノリはバラバラ。俺は予定通り、ピアノに合わせてオブリガードを演奏し、ラストのテーマ演奏、無事とは言い難いが、二曲目も終わり、拍手を頂いた。


 三曲目、最後の曲だけど、これ、どうなるんだろう? なんか、二人の緊張が伝わってきて、左手の小指が震える。

 サックスは左手の小指で四つのキーを担当する。参ったな。


 菜可乃なかのは目の前に座っているので、顔が良く見える。菜可乃なかのは俺が緊張していることに気が付いている。

 しきりに手に何か文字を書くしぐさをして飲み込む動作をしていた。


 たぶん、「人」という字を手に書いて飲み込めということだろうな。俺がやっている訳じゃないが、少し、気持ちが落ち着いてきた。


 ラストは、「バンタロープ・アイランド」という曲で、ノリがいい曲。ジャズとはちょっと違う気はするが、アップテンポで結構、気に入っている。


 まずはピアノから入る……が、ミスがちょこちょこ。でもさすが、この曲を知らない人なら、ミスとは気が付かないレベル。これはエイトビートだから、なじみもいい。


 しかしエイトビートが逆にまずいのか、ドラムのテンポがだんだん上がって来た。そして、ピアノが追い付かない。俺はチラっと先輩の顔を見た。


 テーマ部分が終わり、インタールード……テーマとテーマの間に入れる小節のことだが、先輩はニヤっと笑い、左手を大きく動かした。

 リズムも何もかも無視して。ピアノとドラムが止まった。


 そして俺は……まずは、俺がもっとも得意としているフレーズを、全開で演奏した。もう、ジャズの音色はまったく無視して。


――ブォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ


 俺の肺活量は五リットルある。この曲ならばワンコーラス分、まるっとロングトーンができる。

 お客さんの顔を見ると、いつ終わるのか、まだか? と、緊張が高まっていくのがわかる。


 後ろでは、先輩がウッドベースを弾いて、「ひいて」ではなく「はじいて」遊びまくっている。もう、ボンボンという音ではなく、ベキベキ鳴っている。


 そして、その音のせいか、頭の中で何かがはじけた。恐らく、酸素が足りなくなったんだろう。

 俺の、本来の演奏スタイルに戻ってしまった。先輩のベースを聴きながら、話しかけるように、時には押し返すように二人で暴れまくった。


 これは楽しい。そして先輩が首を軽く縦に振り、アドリブ終了のサインを送って来たので、二人でタイミングよく演奏を止めた。


 講堂が静まった。先輩は、ピアノに向かって指でカウントを見せた。そして無事、曲はテーマに戻り、最後、ピタっと止めるのも決まって拍手喝采だった。


 しかし、ジャズの演奏としては最悪、先輩が助けてくれなかったらどうなっていたことやら。俺的にも、やっちまった感で満ち溢れている。


 もうヘトヘト。体力的なものじゃなくて、メンタル的に。そそくさとテナーサックスを片付け、講堂の外で菜可乃なかのたちを待った。



  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆



二海ふたみ、よかったよ。二海ふたみって、あんなに激しい演奏するんだね! ジャズって大迫力」

菜可乃なかの、あれ、実はジャズじゃないんだ。すまん」

「いいのいいの。落ち込まないで」


 菜可乃なかのは俺の頭を撫でた。


菜可乃なかの清水きよみずくん、君たち、本当に別れたのか?」

「はい、別れました。今なら二海ふたみ、フリーですよ、先輩」

「い、いや、私は別にそういう意味で言っているわけでは――」


「ねえ、君、さっきの演奏、完全にアドリブ?」


 言葉をかぶせてきたのは、茶髪女子大生。


「はい、そうです」

「君のサックス、ジャズ向きの音じゃないよね」

「ええ、まあ……」

「元々、何をやっていたの?」

「ちょっとファンキーというか、アバンギャルドっぽいのをやっていました」


 茶髪女子大生はポケットからスマホを取り出し、なにやら検索し始めたようだ。


「ちょっと、これ、聴いてくれる?」


「あ、これ、QCサクセションですね」

「知っているの?」


「この曲なら。『家に向いて歩こう』ですよね?」

「そう」

「俺、ギターも弾くんですが、この曲、震災の時に知りまして」

「そうだったね。あれ、最悪」


 手のひらを上に向けて、呆れた表情をしている。どういう意味なんだろう?


「ギターを買った時にネットで検索したら、こっちの方が気に入っちゃって」

「実は、メインステージでこの曲を演奏する。君、参加してみない?」


 この曲は確か……キーはBフラット、テナーサックスだとCになる。それほど難しいフレーズじゃないからいけそうだ。

 でも、軽音やっている連中って再現度にこだわるよな。


「もし、雰囲気だけ同じ感じのフレーズで良ければ」

「もちろん、OK。ありがとう。じゃあ、二時にメインステージに来て」

「わかりました」


 おお、なんと、大学一回生にしてメインステージで演奏? なんだかすごいことになって来たぞ。




   ----------------




あとがき

数ある小説の中から読んで頂き、ありがとうございます。


「フォーバース」とは、アドリブ演奏を四小節ずつ、各楽器で順番に演奏することです。


トランペットやサックスなど、フロントメンバーが複数いる場合、フロントメンバーだけで回すこともあります。


一番スリリングなのは、四小節で回し、途中で二小節、一小節と縮めていく回し方です。もし、音楽演奏をされるのであれば、ぜひお試しを。



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それではまた!

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