「畏るべし中国人」 夜間中学訪問記 V.1.1

@MasatoHiraguri

第1話 恐れるのではなく畏れる(敬い、かしこまること)

  2024年11月17日(日)、ある夜間中学(奈良県内には6校ある)の文化祭を訪問しました。

色々な展示物(刺繍・手芸・習字・作文)や、各種イベントが開催されていました(水餃子の作り方教室・タイ・アフガニスタン・コロンビアの料理に関するクイズ大会)が、私は中国人(3人)の作文に目(心)を惹かれました。

作文に書かれた内容(文章力・考え方・観点・情報の質・量)もさることながら、その底に流れる「中国人気質」というものに、あらためて感銘を受けたのです。

「あらためて」というのは、私が過去10数年の間に出会った中国人たちから「中国人のしっかりとした存在感」というものは、すでに何度も知悉し認識していた、ということです。

台湾の(大学が運営している)中国語学校時代、私が一番感銘を受けたのは、台湾の大学に留学していた中国の大学生(北京・浙江・精華・南京・モンゴル等)たちと、中国から来て台湾全土で公演をしていた歌劇(京劇)団員、そして日本の羽田空港で出会った中国人でした。

また、過去北米・南米・欧州・中南米で出遭った中華料理屋のオーナーやその息子・娘といった中国人たちにも、その考え方に感心し根性に感動したことが何度もありました。

台湾の中国語学校には、アメリカ・イギリス・フランス・イタリア・ロシア・中南米諸国・インドネシア・マレーシア・タイ・ベトナム・韓国、そして日本といった、世界中の国々からたくさんの若者(私のようなジジイも何人かいました)が来ていましたが、なんといっても「ガッツリ」と話すことができたのは、学校以外で出遭った中国人(たち)でした。「ガッツリ」とは、男でも女でも歯ごたえのある人間性を持っている、実のある話ができる、という意味です。

「恐るべし」というのは、中国人としてどうのこうの、という以前、人間としてのしっかりとした自我を持っているのが、私にとっては非情に魅力的であるということ。

魅力的といい、うかうかしているとこっちが追い抜かれてしまう。それくらい、日々前向きに進化し続けている・内なるファイティング・スピリットを持っている。そういう人間に接すると、自分もまた頑張ろうという気になれる。そんな、私を鼓舞してくれる人格を持つ人間とは、やはり「魅力的」と言えるでしょう。

(この歳になれば)きれい、金持ち・偉い肩書きを持っている、なんて属性はどうでもいいこと。また、「なあなあの関係」「おためごかし(表面は相手のためになるように見せかけて、実は自分の利益をはかること)」「上っ面だけの友好親善」なんてのも、時間の無駄。

美人・イケメン・マッチョマン・肩書き人間」ではなく、おかちメンコでも・お宅でも・乞食でもいいから「その人なりの(内面的)スタイルを持っている人間」と話をしてみたい。

そういう人間と話す(一緒にいる)と、自分自身の中で問題意識が煮詰まり・焦点が定まり、方向性が明確になってきて、その結果、自分の魂が浄化されるような(気がする)のです。

本やテレビやネットで知る中国人ではなく、実際に自分の目で見て・話して、これは本物だな、と思った人たち。そこに、私の思い出という財産があるのです。

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