その意味

 その人はいつもふらっと現れて、同じセリフを言う。

「何か弾いて。」

その人がもう既に自在に弾ける事を知っている。でも、その言葉を心待ちにしている自分がいる。

「ラ・カンパネラでもどうですか。」

鐘の音の様な導入部から、次々に激しさを増していく難曲。最後まで自分の指がついていけるかどうか怪しいが。彼女はどうやら一曲では不満らしい。催促されるが、あと一曲ですよと釘を刺す。

 さて何を弾こうかと思案していると、窓から1条の光が部屋の中に差し込む。

「では、月光を。」

彼女は頷く。儚く美しく、神秘的な曲。──彼女のように。月の光をあびて輝く美しい髪、神秘さを増す横顔。皆、彼女の事を冷淡だと言う。それは彼女の一面にしか過ぎない。本当は誰よりも熱く、燃え盛る火のような激情が渦巻いていることを私は知っている。

「今日は満月?とても月が明るい。」

月明かりに照らされて、幻想的に見える彼女がぽつりと呟く。

「ええ、月が綺麗ですね。」

 私の思わず口をついたこの言葉の別の意味を、彼女が知っているかどうかわからない。

 彼女は空を仰ぎながら答える。

「そう…、とても月が綺麗。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る