4 羽の折れた烏

 セダンは川沿いのホテルの地下駐車場に滑り込んで、タイヤを軋ませて停止すると、開いていたエレベーターに乗るように指示された。

「わたしたちもグランホテルに行かなければならないの」

「奇遇やね」

「バカか」

 彼女はエレベーターが階上を目指している数字を見ていた。

「わたしたちの追いかけているものは同じということだ」

 エレベーターが停まると、扉が開いて、血生臭いホールに出た。慌てて戻ると、彼女と案内人に「何をしてるんだ」という顔をされた。

 左から銃弾がかすめた。

「撃たないでくれ〜」

「響くん?」

 飛び出した彼女は抜刀した姿で廊下の突き当たりまで駆け抜けた。鬼たちの屍が泥のように絨毯に染み込んでいた。僕は銃撃がやんだのを聞いてそっとホールへと出た。

「誰、あれは」

 浜中少尉の視線の向こうには抜刀した彼女が腰溜めに構えていた。

「スイートの入口よ」

「他から入れないですか」

「ないわよ」

 エレベーターホールをまっすぐ行くと、大阪の夜景が見えた。壁はコンクリートのようだ。壊せないのかと尋ねると、ホテルごと壊すことになると答えられた。しかし壁の向こうにも数匹の鬼の気配がある。

 僕は壁に沿い、足を運んだ。

 右の拳を壁に突き入れた。

 寸止めだ。

 上段を蹴ると、左の肘を壁際に叩きつけた。すかさず身を低くして足払いで薙ぎ払った。

「何してるの?」

「演武」


 スイートルームは吐き気のする泥の山に埋もれていた。キッチンもリビングも爪で削られ、拳銃を持った数人は引き裂かれていた。

 僕は別室を覗いた。ホテルは一つしか部屋がないと思っていたが、ここはいくつもあるので驚いた。

「何人泊まるねん」

「つまらないこと言わない」

 ハンドサインで急襲したが、浜中少尉は見知らぬ相手と鉢合わせのように拳銃を構えた。僕は懐に飛び込んで拳銃を持つ相手を壁に押しつけて、屈強な彼を盾にして進んだ。

「下衆い」と浜中少尉。

 ガラスが割れ、人が飛び降りるのが見えた。瞬間、刀を床に捨てた彼女は目に見えない弓に矢を継がえて狙いを定めた。無防備すぎる。矢を放つ寸前、天井が破れ三匹の蜘蛛女が降りてきた。僕は頭上の一匹を外へと蹴り出して、二匹は拳で叩き伏せた。光を帯びた矢はビルの谷間を今まさに抜けようとしていた黒い翼をつらぬいた。青白い引火に照らされた彼女は悲しそうに見えた。

「落ちたんか」

 僕は呟いた。

 しかし派手にやられたな。

 お世辞にも痩せているとも言えない老人がベッドの上で仰向けになって死んでいる。まるで歯はプラモデルのようだ。死ぬ間際に何を見たのかわからないが、幸せな人生を送れたようには思えない。

「脇坂幸司よ。我々が守ろうとしていた人ね」

「誰やねん」と僕。

「シンプルに言えば裏の世界の実力者ね。にしては哀れだけど」

「僕は落ちた鬼を探してくるわ。捕まえたらきび団子増やしてな」

 僕は彼女の脇を抜けた。

「お嬢様……」

 低い声が聞こえて、彼の背中越しにソファから起き上がる彼女が見えた。もう若くもないだろうが、ハリウッドのスパイ映画の主人公のようにスーツが似合っていた。

「わたしも行く」


 僕は川沿いを吹き抜ける風にさすがに肩をすくめた。川底の土をさらう船が波に揺れていた。

「わたしたちはこの世とあの世を隔てる壁を守っているの」

「あなたは?」

「二宮礼子」

 日本にはこの世とあの世を区別する緩衝地帯があると言われ、二宮家を含めた守護領主は平安以来、そこを領地として維持しているのだと伝えられている。

「へえ」と僕。

「あんたさ」礼子は指で目頭を押さえつつ「もしかして壁越しに部屋にいる敵を倒したとか」

「気配が見えたからね」

「信じたくないけど、そういうこともできるのね。脇坂は領地の印を売ろうとしていた。この世とあの世を近づける奴に売れば大変なことになる。だからわたしたちは阻止しようとした。でも」

「売れたように見えないけど」

 浜中少尉が言うと、

「奪われたわね。烏間に」

「カラスマ?」

「烏間家も守護領主よ。奴は売買の話を聞いて印を盗んだ。このことは守護領主たちは共有してる」

「売り買いできるんなら買えばいいのに。ちなみにいくら?」

「値段なんてつかないわ。すべてを治めることができれば、永遠の命と富と権力を手にできるはず」

「買う奴なんていないのに売ろうとしていた。要するに脇坂さんは命を手に入れようとしていたんか」

 僕は背の低い船が通る川向いを見ながら橋まで歩いた。

「間もなく術が解けるんだ。死ぬはずのない付喪の術がな。術も永遠じゃない。いつか尽きる。魂を食らえなくなる。わたしたちは吸血鬼のようなもんだ。人の魂を食らい生き続けているが、食えなくなれば老いて死ぬしかないだろう」

 川下へと走る船が怪しい。川底の泥を積んだように見えるが、ヒシヒシと軋むような空気が伝わる。

「烏間に誘き出されたのよ」浜中少尉は拳銃を抜いた。「初めから買い手なんていない」

 僕は船と並走した後、橋へと曲がると欄干を越えようとした。

 飛んだとき、

「ダメ」

 礼子にダッフルコートのフードを掴まれて止められた。

「何するねん」

 橋をくぐり抜けたところで船が爆発した。炎と煙が立ちこめ、船は護岸へと擦り付けられた。

「ごめん。大丈夫?」

 身を呈して止めた礼子が星空を邪魔するように覗き込んだ。

「気にしない気にしない。あんなもんに引っかかる奴が悪いわ」

「退いてくれ」

「ごめん」

 浜中少尉はインカムで支援を要請した。僕はダッフルコートのフードをかぶると紐でくくった。

「見つけた」と僕。「アホが」

 

 僕は川沿いのプラネタリウムがある建物の玄関前広場にいた。罠かもしれないが、二宮の仲間も集結しているようだし、何とかなるはずだ。

「何とかできないわよ」浜中少尉は呟いた。「ホテル、船、解体現場への対処してるんだから」

「ほな。離れとき。歪みに巻き込まれるかもしれん」

「死なないでね。特別きび団子を申請してあげるから」

 浜中少尉は後ずさるように僕から離れた。芯のある眼に気づいた僕は親指を立てて片頬を上げた。

「バカ」と言われた。

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