第10話 神に愛されている転生者 ①
霊魂は人しかなれず、妖鬼はそれ以外の存在しかなれない。
だが、神魔は人も妖鬼も至ることのできる。
リツなんかは、典型的な人から龍神に至った神魔だ。
地方の民話を昔図書館で呼んだことがあるのだが、人間って結構気軽に龍になるよね。
まぁ、リツのようにそのまま神として祀られる例は稀だけど。
何がいいたいかと言えば、リツは人が神になった存在であるからして。
人として付き合いやすい部分もあれば、神として付き合いにくい部分もあるのだ。
その日、俺がいつものように事務所で暇をしていると――
チリン。
鈴の音が、なった。
事務所の一角にある神棚から吊るされている、小さな鈴だ。
その瞬間、事務所の空気が一変する。
音が消えたのだ。
外から聞こえてくる喧騒も、鳥の鳴き声も。
何もかもが、ス――と立ち消える。
言うなれば、水の中だ。
音も光も届かない水の中で、けれどもどこか安心するような、恐ろしいような。
生命の始まりと終わりを感じさせるまどろみの中に、身を投じるような。
そんな気配が、事務所を包む。
一瞬だけ、俺は瞬きをした。
その一瞬で、彼女はそこにいた。
少しだけ緑がかった白の髪。
美しい水流を思わせる透き通った髪は腰のあたりまで伸びていた。
幼い顔立ちに、背丈も低い。
だというのに、子供とも大人ともとれない、どこか妖艶にすら思える笑みと瞳。
真っ白な着物を身にまとった少女は、
カタン。
下駄の音を響かせて、俺の部屋に降り立った。
「――リツ」
神魔、リツ。
彼女こそが、俺に霊魂の除霊を頼んだこのあたりを縄張りとする神。
俺との関係を一言で表すなら、契約関係……か。
そんなリツが、開口一番――
「あいたかったわ、サトル!」
満面の笑みを浮かべて、俺に飛びついてきた。
それはもう、すごいもので。
ぱっと飛び上がると、そのまま宙を舞ってデスク越しの俺に飛びついてきたのだ。
自由に現れることができるのだから、最初から飛びついてきてもいいだろうに。
毎回、わざわざ雰囲気を出してから現れて、即飛びついてくる。
まぁ、本人? 本神……本柱? としては重要なルーチンなのだろう。
「サトル、サトル、ねぇサトル。サトルはどう? 私に会いたかった?」
「リツが来てくれるなら、いつでも俺は歓迎するよ」
「もう、相変わらず口が上手いんだから」
ぎゅう、と一分ほど俺に抱きついて、人懐っこい笑みを浮かべる。
ただその笑みは、他の人からしたら随分と恐ろしく見えるのだとか。
捕食者が餌を前にした時の笑み、だとか。
ペットを可愛がるような笑み、だとか。
散々な評価である。
とはいえ。
「……あは、今はまだ仕事中だったのね?」
「まぁ、殆どやることもないけどね」
「じゃあ、仕事中なのだし、こう呼ばないといけないわね」
そう言って、気がつくとリツは俺の隣に立っていた。
一瞬、意識がリツから完全にそれたかと思ったら、隣にいるのだ。
ホラー映画の超常存在は気軽にワープするものだけど、リツもそんな感じである。
そんなリツは、今度はどことなく嗜虐的な笑みをうかべて。
「――れーばいしさん?」
こちらを挑発するように、そういった。
「ねぇ、ねぇ、れーばいしさん。私ね、お茶が飲みたいの? 出してくださらないかしら」
「そうだな……時間もちょうどいいし、休憩ってことで。少しまっててくれ」
「うふふ、嬉しいわ」
どこか、こちらを上目遣いに見つめてくる。
先ほどまでのリツが恋に恋する乙女だとしたら。
今度は、大人をからかう悪い子供だ。
リツの印象は、一瞬にして変化していく。
その後俺が紅茶を入れて持っていくと――
「今日は宗屋さんから美味しい紅茶をもらったんだ。それでもいいかな」
「まぁ、嬉しい。うふふ、西洋の紅茶も私は好きよ?」
両手を重ねて、貴族のご令嬢のように優雅に微笑んで見せる。
ちなみに宗屋さんとは、俺によくしてくれているこの街の有力者で、起業の手助けをしてくれたりこの事務所を譲ってくれたりした人物だ。
「いい香りね、サトルも一緒にいただきましょう?」
「ああ、そうしよう。お菓子はいつものでいいよな」
「れーばいしさんは、私の好みをなーんでも、知ってるのね」
話すたびに、ころころとその雰囲気が変わって。
俺の呼び名も、安定していない。
それら全ては、リツの一つの側面に過ぎないからだ。
どれもがリツであり、どれもがリツの一部でしかない。
リツを本質的に理解することは難しい。
少なくとも、今のリツが何を考えているのか。
類推することは容易ではなかった。
だからこそ、
「ねぇ、ねぇれーばいしさん?」
「なんだ? 紅茶は美味しかったか?」
「ええ、とっても。それでね、サトル――」
その瞬間。
部屋の空気が、時間が止まったかのように凍りつき。
「――あなたは私の、何? 私はあなたの、何?」
俺の体を、半透明の蠢くようななにか――龍の”尾”で絡め取り。
その頭に薄く光る角を生やして。
突如として、射抜くような視線と嗜虐的な笑みを浮かべてきても。
それもまた、一つのリツなのだ。
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