一円の価値しかない4分の3オンス

秋乃晃

別れは出会いの切欠

 オレがこの世界におけるとかいうであるところの“アンタンチカ・バザール”に招待されたのは、今から――ええと、ああ、一年ぐらい前の話になる。


 王国一の繁華街の酒場でオレと出会い、青白い唇にトゲみたいな指を添えつつ「一見いちげんさんはお断りだからよ」と、この最前席を用意してくれたヴァルヴァロッサは、昨日、すれ違いざまに背中を刺されて死んだらしい。地下にある会場に続くクソ長い階段を下りているときに、使い魔が教えてくれた。


 満月の夜に開催されるアンタンチカココはそういう『知らず知らずのうちにどっかで誰かさんの恨みを買っている』ヤツしか来ないような場所だから、ヴァルヴァロッサの死をオレ以外はだぁれも悼んではいない。むしろ、ヴァルヴァロッサは第一回から参加している古参だったというから、が減ったとして、歯茎を出して笑うヤツがいるだろう。オレも今回のバザールが終わったら、すっかり忘れてしまうに違いない。


「よお、リサージェントのダンナ」


 目元を仮面で隠していても、立派な口ひげで誰だかわかる。コロネだ。オレの右隣の席のヤツ。左隣に座っていたのが、ヴァルヴァロッサだった。今回からは空席になる。


「その呼び方はやめろと何度言ったらわかるんだ」

「へへっ」


 リサージェント。この世界におけるの呼び名だ。領主――おっと、失礼――地方領主のクアントと、かつて人間と魔族との陣取り合戦が行われていた頃には“聖女サマ”として旗を振って戦場をしていたセリーナとの間に産まれた待望のお世継ぎがオレの『外の人』であるコンコルドくん。姉たちは、王国軍で立派にお役目を果たしている。


 コンコルドくんはすくすくと育っていたが、月日の経過はご老人のボケを悪化させていった。十八歳の誕生日に、コンコルドくんは自宅の三階から突き落とされる。実の父親のクアントは、コンコルドくんが自身の『暗殺計画の首謀者』だと思い込んでいたからだ。ちょっと考えてみりゃあわかることだが、暗殺なんかしなくとも、クアントが死ねば自動的に次期領主として認められるのだし、コンコルドくんにはメリットがない。この事件によって、コンコルドくんの人格は、ごく普通の大学生として生きていたオレの魂に上書きされた。


 オレは、バイトに向かっている途中だった気がする。目を覚ましたら、目の前におめめにきらっきらの星の入った女神サマのキレイなお顔があって、女神サマは「あなたは! に選ばれましたん! ぱちぱちぱちー!」とやたらハイテンションに手を叩いた。そこで、リサージェントとはなんぞやというレクリエーションを受けて、チートスキルの【交換】を授与される。


「この【交換】というのはハイパーマキシマム便利スキルで! あちらの世界のガラクタと、あなたの元いた世界の任意のアイテムとをチェンージ! できちゃうのですよん! あなや! ノット、等価交換! なんでもありよりのありおりはべりいまそがり! がってん!」


 てなわけで、コンコルドくんとして第二の人生を歩み出したオレは、チートスキルを使いまくって、瞬く間に有名人となった。アンタンチカに参加しているリサージェントといえばオレしかいない。


「そうだそうだ。今回の目玉商品、知ってます?」


 明らかに気を悪くしているのが伝わったか、コロネが話を変えてきた。オレの【交換】があれば、コロネを菓子パンのコロネに変えちまえるからな。女神サマは「こちらのガラクタは、世界の狭間でどろんどろんになるので! 元いた世界には影響なっしんぐとぅまっち!」と言っていた。コロネがここで消えても、誰も気にしちゃくれない。


「魔族のオス……?」


 コロネの使い魔が、アンタンチカの“お品書き”を持って、ふよふよと飛んできた。オレの使い魔は何をサボっているんだ。代わりはいくらでもいるんだぞ。


「はいな。正確には『魔王』とめかけの人間とのハーフ」

「なんだと!?」


 興味はある。


 コンコルドくんが産まれる前に、例の陣取り合戦は人間側の勝利に終わっていた。魔族の主将であった『魔王』は、現在の王様であるマックイーンによって首を落とされ、死んでいる。


 領地を削り取られた魔族たちの中では『魔王』の子どもとともに、領地を取り戻すための戦いを仕掛けてくる者がいた。今年に入っても毎月のようにどこかで戦いが起こっているが、これでも少なくなってきたほうらしい。


「一説によると、魔族の肉は『舌がとろけてほっぺたが落ちる』ほど美味しいのだとか。味わってみたいものですなあ」

「……人間とのハーフを食うのはどうなんだ?」

「はい。同族を喰らう行為は、重罪とされていますね。実際美味しくないともいいます。ですから、奴隷でしょうな。これ以上の戦いは無駄であると、魔族に知らしめるための、見せしめ」


 どこの誰が仕入れてきたのだか知らないが、開始価格は一千万ランドとあった。即決価格が一億ランドか。王国の一等地に三家族が住めそうな豪華な屋敷を建てられるぐらいの金額だ。


「ふぅん」


 オレの【交換】があれば金額は関係ない。こちらの世界のヤツらに、元の世界のアイテムの価値なんてわかりゃしないからな。他のリサージェントが文句を言ってこない限り、オレは、


「この一円玉には、一億ランドの価値がある! エントリーナンバー634番を、即決価格で落札したいのだが、よろしいかな!」


 大金持ちだ。


 まあ、他のリサージェントがとやかく言ってきたところでそいつを【交換】すれば問題なし。ははは。というか、この世界の他のリサージェントに会ったことがないな。わざわざリサージェントっていう言葉があるぐらいなのだから、過去にはいたのだろうが。


「い、いまなんと?」


 まだオークションは始まっていないし、参加者は集まりきっていない。だが、燕尾服をお召しのアンタンチカの主人マスターは、すでに舞台上に立っている。オレの宣言を、聞き返してきた。


「だから、今回の目玉商品を買ってやると言っているんだ。出品者の、お望み通りの値段でな」


 来場客がどよめいている。開始前から落札されるケースは、ヴァルヴァロッサの話では年に一回あるかないかだったかな。ないことはないのなら、オレも認められるはずだ。


「ええと、実際の商品を目にしなくてもいいのですか?」

「大丈夫だ。問題ない」


 アンタンチカでニセモノが出品されることはまずない。この主人のモノクルが、真贋を見分ける。出品者と打ち合わせして、常に適正価格でステージ上に上がるので、その『魔王』の子は本当に『魔王』と人間のハーフなのだろう。その点は、信用していい。もし信用できない参加者がいるのであれば、とっくのとうに“アンタンチカ・バザール”は終わっている。


「他に、634番の購入希望者は!」


 主人が会場全体に問いかけた。一億ランドをぽんと出せる人間は、まっ、いないだろうな。会場を見渡すが、誰もオレと目を合わせようとしない。純粋な魔族だったら食材としての購入価値はあっただろう。魔族の肉を提供するレストランは、ないわけではない。


「ならば、落札ということで……」


 誰も手を挙げなかったので、オレは一円玉を親指ではじいた。主人があわわ、という顔をして、ぱちんと両手を合わせ、キャッチする。


「オレの自宅に送ってくれ」

「あ、はい、配送手数料が」

「もう一枚ほしいか?」


 ふたたびのどよめき。ちょっとやりすぎたか。いくらなんでも二億ランドは、……そうだな。やりすぎだ。


「おつりを用意するのが面倒か。いくらかかる?」

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