第二章 イッツ・リアリティ ②

 慎太は昼休みになると校内を散策さんさくすることがあった。それは、学校を舞台にした小説を書くときに、よりリアリティを持たせるための取材で、中学の時から度々たびたびやっていたことだ、今日も母親の手作りの弁当を自分の席で食べ終わった後、教室を出た。


 しかし、今日はあちこちと散策するのではなく、真っすぐに体育館裏に向かっていた。


 体育館には、古い漫画にあるように、あるいはもはや都市伝説のように、不良たちが集まって煙草たばこを吸っていたり、喧嘩やいじめが行われているイメージがあるが、慎太は今までにそのような場面に出くわしたことはない。


 ただ、今日は違っていた。


 丁度、周囲から死角になるところで、女子生徒が壁に背中を預け、正面に立つ男性教員が女子生徒の、ブラウスの胸元のボタンに手を掛けていた。


「「あ」」


 慎太と男性教員の目が合った。イケメンで名前の挙がる男性教員だ。年齢は二十後半だったか。

 慎太は、考え事をしながら歩いていたため、いつのまにか周囲から隠れるように立っていた女子生徒が見えるところまで近づいていたのだ。また、イケメン教員も目の前の女子生徒に集中していたため、慎太の接近に気が付いていなかった。

「違うんだ!」

 イケメン教員が慌てた声を上げると同時に、女子生徒が胸元を押さえながら脱兎だっとのごとく逃げ出した。


 慎太は一瞬目が合ったが、かわいいと噂には名前が上がる子だった気がした。ただ、その名前は思い出せなかった。


「別にそういういかがわしい関係ではないんだ、まだ。いや、そうじゃなくて……ふ、服装を注意していたんだ!」

 あわてた教員に対し、特にあわてた様子のない慎太。

 ただ、掛ける言葉には困っていた。

 しばらく逡巡しゅんじゅんし、

「まあ、無理矢理じゃなければ……あと在学中に子供が出来なきゃいいんじゃないですか?」

 と、コメントした。


「いや、だから違うんだ!」

 違うならそんなに慌てなくてもいいのになと、慎太は思っていた。

「追及する気も、他言たごんする気もないですよ」

(小説のネタにはするかもだけど)

 慎太の内心は別として、その言葉にイケメン教員も落ち着き、その場を去っていった。


 隠れた逢瀬おうせを行っていた二人にとって他人に見られたことは大事件だろうが、慎太にはどうでもよかった。

(ある意味、ここにいた目的としては一緒かもしれないけどね)

 慎太は、人気のない静かなところで考え事がしたくて、ここに来たのだ。


 昨夜のことを、冷静になって考えたかった。


 夢というのは記憶の整理であると、慎太は何かの本で読んだことがあった。

(だとしたら、昨日の夜の高橋くんは何故金髪だったのだろうか?)

慎太の記憶では、彼は黒髪であり、金髪の彼は見たことがない。夢が記憶の整理であったとして、時間軸は入り乱れ、自身の中にある他のイメージも混ざり合うため、その断片が夢として見たことのないクラスメイトの姿となったとしても、おかしくはない。そもそも慎太自身はカニ怪人になっているのだから、そこに違和感を持たないくせに、最近会っていないクラスメイトの金髪になった姿を夢に見たとしても、気にすることではないかもしれない。


 ただ、ここ最近見ていた『夢』については、妙な違和感、現実感から、普通の夢ではないような気はしていたのだ。だからこそ慎太は洸に話をした。しかし、洸に話した通り、あの時の心を満たす高揚感から、夢だろうが何だろうがどうでもいいと思って、違和感等の感覚を思考のすみに追いやっていたのだ。


 しかし、再び強い違和感を抱えてしまった慎太は行動に移した。

 携帯端末で、インターネット上の情報を検索した。

 夏休みには、この地域で怪談じみた事件が起きており、それはSNS上で情報が投稿されていた。だから今回も情報が見つかるかもしれない。


 すると案の定、カニ怪人を見たとの投稿が見つかった。


 昨日の原付に二人乗りしていたうちのどちらかが投稿したのだろう。ちなみに片方の夏休み明けから来ていないクラスメイトの高橋は今日も休みだった。

 何にしろ、これで確定である。

「夢じゃないんだなあ、あれ」

 じゃあ、何なのさ。

 そう自分に問いかけても、分かるわけがなかった。


 自分がカニ怪人になっているなんて、一体どういうことなのか?

 あのニコイチ火の玉は一体何なのか?

 あのニコイチ火の玉に意識があった以上、あれも誰かだということなのだろうか?


 考えても分かるわけがないのだが、それでもまだ恐怖心や、不安感というものはそれほど強く抱いてはいなかった。


「また、今日もあの夢を見ることが出来るかな?」

 夢ではないと分かったのだから、その表現は正しくはないのだが、じゃあ何なのかが分からない以上、今はそう表現することしか出来なかった。

 しかし、たとえ夢でなくても、同じ体験をしたいと希望するほどに、あの時の充実感、解放感、高揚感はまだ魅力的であった。



 — * — * — * —



 下校時間になると、多くの生徒は足早あしばやに教室を出ていく。


 さっさと家に帰りたい生徒。

 部活に急ぐ生徒。

 学校後の時間を仲間と楽しみたい生徒。


 慎太は、荷物も入れずに、ぼうっとしながら、そんな教室の様子を眺めていた。

 窓際の席だから、そのまま外を見ることもできる。

 ちらほらと校舎外にも生徒の姿が現れ始める。


 教室の喧騒が外に拡散し、あちらこちらから内容のよく分からないながら、人の声が聞こえてくる。


 校内の散策もそうだが、慎太にとってはこれも小説のための観察であった。

 ただ単純に、視覚聴覚をはじめとした五感を、あるいは何となく感じる空気感というものをゆっくり味わうこと自体が好きでもあった。

(なんか、落ち着くなあ)

 そんな慎太の様子を、一部の生徒が気持ち悪い奴だと認識していることを彼も知っていたが、そんなことは気にしなかった。


 気が付けば一人になっていたので、自分も帰ろうかと腰を上げると、クラス担任が教室に入ってきた。

「あら、まだいたの?」

 その女性教員は、教卓に忘れていった筆箱を手に取ると、世間話程度に慎太に声を掛けた。

 一部生徒に人気がある程度には整った顔立ちである大人の女性に声を掛けられるのは、慎太にとっては担任であれ少し緊張する。


 だからか、思わず場つなぎ的に口を滑らせてしまった。


「あ、昨日、高橋くんに会いました」

「えっ、彼は何をしているの!?」

 すっかり姿を見せていないクラスの生徒のことを、担任が心配しないことはないだろうが、この女性教員は、むしろ職務に熱心な方であったため、かなりの反応を示した。

 言うべきではなかったかと少し反省したが、担任の勢いに慎太も言わないわけにいかない状況になってしまった。

「たまたまなんですけど、夜に原付で二人乗りをしているのを見ました。中学校の近くです。他校の生徒と一緒でしたけど、たぶん同じ出身中学の子です。あと、髪の毛も金髪になっていました」

「そうか、夏休み中に友達の影響を受けちゃったのかな。ありがとう。親御おやごさんに連絡してもダメだったから……あっと、今の一言は忘れてね。でもありがとう」

「は、はい」

 担任は慎太に笑顔を見せた後、やるべきことを見出したかのように、足早に教室を去っていった。

 少しではあるが久しぶりの動悸どうきを感じつつその姿を見送った後、慎太も荷物をまとめて教室を出た。


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