魔王軍僧侶

第1話 転生

　四肢に繋がれた鎖が擦れあう音だけが、静謐な岩石に響きわたっている。鉄格子の向こう側には薄暗い通路が延々と続いている。

　何で牢獄なんかに？

　奏人が目を覚ました時に最初に感じたのは腐乱した臭気だった。それが、自分から出ていることに時間はかからなかった。服は破れ落ちて、ハエが集まってくる。水分補給として、岩石の間をつたうくすんだ水に舌を伸ばす。

　奏人はこれまでの記憶を振り返る。場所は学校の屋上、ひとりで佇んでいる、足はがくがくと震えている。次の瞬間には、もう頭蓋骨が地面に衝突していた。自殺だった。原因はクラスのいじめだろうか。

　詳しく思い出そうとしても、頭がそれを拒む。今どこかで幽閉されている。それだけが唯一の真実で、最悪の現実だった。

　ああ、楽な道を選んで死んで、結局地獄に辿りつくんだもんなぁ。

「笑うしかないな」

　乾いた笑い声を上げる。かすれた声が出た。そして、咳も。

　死にたくない。

　一度自ら命を絶った身としては身勝手すぎる望みだが、どうしようもなく思ってしまった。

　腕を引きちぎれんばかりに振り回して手錠が劣化していないか確かめる。壁をひっかいて、穴を掘ろうと試みる。堅牢さを前に、己の貧弱さを改めて痛感する。

　じゃあ次は、じゃあ次は、じゃあ、次は？

　万策尽きてしまった頃には、ふつふつと怒りが沸き起こってくる。壁は思いっきり殴りつけて、ちっぽけな音が出る。ついでに、ジャラジャラとした音も。

「ねえ、生きているの」

　突如目の前に顕現した、その小さな少女は心配そうに話しかけてくる。大きさは手の平に乗るくらいで、白い無地のワンピースのようなものを身にまとっている。

　天使のようだった。

「ああ」

　その二文字に目にいっぱいの涙をためてくれた。なんでそこまで思ってくれるのかは分からない。しかし、それでも、少しだけ心が救われた。

「君は誰」

　その言葉で彼女のさっきまでの笑顔は消え失せた。今度は違う意味の涙を見せる。

「いや、その、ただ死んですぐにここに飛ばされたからよく分からなくて」

　彼女の顔がさらに歪む。墓穴を掘るだけだった。

「あなたは勇者パーティーの僧侶スペルク様じゃないですか。仲間を庇って、魔王の攻撃を一身に受けて、魔王城に幽閉されて、もう私にいつもみたいに名前も呼んでくれないんですね」

「記憶が錯綜していてよく憶えていないだ。きっとその魔王の攻撃の後遺症かなにかだと思う。だから、詳しく経緯を説明してくれないか」

　ただ目の前の少女を悲しませたくない。その一心だった。やっていることはあまりに非道で卑劣なことに違いない。だけど、それでも。

　嘘を吐き続ける決心をした。魔王城から脱出して、この子を救いだして、そして姿を消そう。ほんの一瞬だけでも幸せな夢を見て欲しい。

　きっとスペルクとかいう奴は魔王と戦えるくらい立派で、優しい男だったんだろう。この少女がこれほど尽くすんだ。そうに違いない。

「はいっ、一から説明します。きっとここからスペルク様なら脱出できます。私、ミカエラはどこまでもスペルク様に付いていきます」

　顔いっぱいに笑顔を浮かべて、ミカエラは返事をする。それは紛れもなくスペルクへ向けた信頼の証だった。

　せめて、この身体の前の持ち主スペルクには恥じない振る舞いをしなきゃな。

「ああ、ありがとう。このスペルクに付いてきてくれて」

　ミカエラに笑顔を返す。それから色々と策略を話し合う。魔王城を脱出するまでの短い関係がこれから始まる。

　第二の人生の儚い、されどどこか幸せな時間は過ぎていく。死んだ僧侶の身に起こった最期の奇跡の物語がこれから綴られる。