僕は、もしかするとヒロインになるのかもしれない。

玄ノロク(くろのろく)

第1話

「よーし。今日はここまで! 部活や委員会があるやつは、あるやつで、がんばれ! そうでないやつも、ないやつで……何だ、その……がんばれ!」


 歯切れの悪さに定評のあるクラス担任の渋江しぶえ先生は、自慢のサラサラロングヘアーをひるがえし、お決まりのドヤ顔で教室から出て行く。

 なんで先生は、あれでいつも、あんな顔、出来るんだろう。

 僕は、人知れず苦笑いを浮かべ、クラスの連中が教室を出ていくタイミングを見計らいながら、ゆっくりと帰り支度を進める。

 慌てて教室を出ようものなら、部活や委員会へ向かう人だかりや、帰宅する集団にもまれ、陽キャたちの放課後お楽しみタイムに巻き込まれかねない。

 だから、僕は、クラスの全員が教室を出て、校内を安全に歩けるようになってから、家路につくのだ。


 30分が経過する頃には、先ほどまでガヤついていた教室は、すっかり静まり返り、校庭で練習をする運動部の声が鮮明に聞こえてくる。

 そろそろ頃合いだな。

 帰ろうと、リュックを机の上から持ち上げたその時、教室の後ろから、女子2人の声が聞こえてきた。


「……あ、あの。美馬みまさん」

「ん? 音谷おとやさん。どしたの?」

「⁈ わ、私の、名前……し、知ってるの?」

「もちろんだよ! クラスメートだもん」


 2人のうち1人は、振り向かなくてもわかる。

 明るくほんわかとしたクラスの人気者、美馬みま 穂乃果ほのかさんだ。

 もう1人は……美馬さんは、音谷さんの名前を口にしてたけど、本当か?

 チラっと振り向き、横目で覗くと、前髪でメガネの半分くらいを隠した小柄な女子が、美馬さんの前で、モジモジしている姿が目に映る。

 あれは、間違いなく、音谷おとや もえさんだ。

 それにしても、美馬さんに、ちゃんとクラスメート認定されてるとは、なんとも羨ましい。

 その見た目と雰囲気から、音谷さんも僕と同じ、こちら側の住人だとばかり思っていたのに……実際は、違っていたということか。

 なんか……ごめんなさい。

 僕は、一抹の寂しさを感じつつ、失礼な思い込みを反省した。


「クラスメート……むっふふ」

「で、どしたの?」


 音谷さんは、照れくさそうな笑みを浮かべながら、後ろ手に持っていた小さな包み紙を、美馬さんの前に差し出した。


「き、昨日。部活で、アメ作ったの。たくさんあるから、みんなに配ってて。美馬さんにも、あげる」

「わぁ! ありがとう! そういえば、音谷さん、この間もチョコくれたよね? あれ、美味しかったよ! クラスのみんなも、すごく喜んでた」

「それは、良かった…………失敗作、だったけど」


 音谷さんは、うつむき気味に顔を下げ、ボソリと呟いた。

 ん? なんか今、失敗作とか言ってなかったか?

 気のせいなら良いけど、もし、そうだったとしたら、なんか、やばくない? 普通、失敗作なんて、人にあげたりしないよね?

 音谷さん、美馬さんやクラスのみんなに、何か怨みでもあるのか?

 あの雰囲気からして、そんなふうには、見えないんだけどな。

 それよりも、クラスのみんなに配ったっていう、そのチョコ。僕、もらってないけど……配ってたのって、いつの話? 僕が教室にいなかった時かな? うん。きっとそうだ……そういうことにしておこう。

 僕は、胸の内に小さな痛みを感じつつ、そもそも僕には関係のない事だと言い聞かせ、リュックを背負った。


「音谷さんって、たしか、化学部だったよね?」


 音谷は、コクリと頷く。


「なんか化学部って、いつもお菓子作りしてない?」

「こ、これは実験だから。せっかく実験するなら、美味しい方が良いって、部長が……」

「ふーん。そうなんだ。なんか、楽しそうだね」


 そう言うと、美馬さんは、パクっとアメを口に放り込んだ。


「おいひい! これ、すっごく美味しいよ! ありがとね!」

「う、うん……」


 美馬さんは、にっこり微笑むと、音谷さんに手を振り、駆け足で教室を出て行った。

 音谷さんは、美馬さんの後を追うように廊下に出ると、その姿が見えなくなるまで小さく手を振っていたが、教室に戻ってくるなり、残りのアメを見つめながら、あの言葉を口にした。


「……失敗作」


 今度は、ハッキリと聞こえた。

 こいつ! やっぱり、何か企んでる! 断定は出来ないけど、そんな気がする! まさか、アメに毒でも仕込んだか⁉︎

 いやいや、僕としたことが。

 それは、あまりにも軽率な考えだ。万が一、そうだとしたら、わざわざ僕が見ている前で、犯行におよんだりしないだろう。


「ん? あぎゃ! ひ、人!」


 前言撤回。

 こいつ、僕の存在に、まったく気づいてなかったみたいだ。いくら存在感が薄いからって、さすがに、そんなことある?

 いや、待てよ。そういえば昔、テレビか何かで、こんなことを耳にしたことがある。

 目の前のことに集中するあまり、周りがいっさい目えなくなることがある、と。

 うん。きっと、それだ。


「……音谷さん」

「なな、なんで、私の名前を知ってる⁈ お前、まさか、ストーカーか⁈」


 音谷よ。なんか、美馬さんの時とは、えらい反応が違いやしませんか? とはいえ、僕もきっと、似たような反応するな。ごめん。


「いやいや、違うし。僕も同じクラスだし、名前くらい知ってるよ」

「へ? わ、私は知らないが? クラスメートだったのか。それは、ごめん」

「大丈夫。存在感薄いのは自覚してるから」

「で、お、お前の、名前、なんだっけ?」

角丸かくまる。角丸 碧人あおと

「……あぁ、そんな名前、聞いたことある……気がする」


 音谷さんは、気まずそうな顔で、僕からゆっくりと目をそらした。

 これは、本気で知らない可能あるぞ。僕って、そこまで存在感無いの? もはや、ユーレイか何かなんじゃない?

 ここまでくると、自分の存在すら疑いたくなるが、日々目立たないよう努めている僕にとっては、作戦成功と言っても過言ではないだろう。

 それよりも、さっきの音谷さんの発言だ。


「あ、あのさ。さっき、とか言ってなかった?」


 僕の言葉に、音谷さんの表情が明らかに変わると同時に、身体が小刻みに震えはじめた。


 黒だな。


「い、言ってない。べべ、別にお前には、関係ない」


 メガネの奥で泳ぎ回る目は、いっさい僕と視線を合わせようとしない。


「それは、まぁ。関係ないけどさ……毒とか盛ってたら」

「ど、毒⁈ そんなもの、入れてない! 証拠だ! やる!」


 音谷さんは、被せ気味にそう言い放つと、僕にアメの入った包み紙を突きつけ、うつむきながら教室を出て行った。

 僕は、包み紙を開き、アメを人差し指と親指で摘むと、照明の灯りに透かす。

 薄紅色の透明なアメの中に、異物は確認できない。

 続いて匂いを嗅ぐ……うん。甘い良い香りだ。

 あとは、口にしてみるしかない。

 美馬さんも食べたんだ。大丈夫。

 僕は、意を決してアメを口に入れた。


「……普通に、美味しい」


 僕は目をつむると、心の中で、音谷さんに全力で謝った。


「さてと、帰ろ……あ、あれ?」


 目を開けた僕は、瞬時に思考が停止。

 再び活動を開始するも、自分の身に何が起きているのか、まったく理解できない。


「なんで? なんで、もう廊下にいるんだ? え? だって今、教室を出ようとしてたはずだよね? 無意識のうちに、出てたってこと? はぁ、疲れてるのかな」


 ため息をつき、そんな自問自答をしていると、教室から驚くべき人物が飛び出してきた。


「お、おい!」

「いっ⁈」


 僕の瞳に映っていたのは……僕。


「は? え? ぼ、僕? 僕が2人⁈ うぇっ⁈」


 僕は、目の前の僕から、自身に視線を落とすと、さらに驚くべき事態を目の当たりにする。

 体の大きさに合っていないダブついたブレザーに、ヒラヒラのプリーツが可愛いスカート。明らかに今までよりサイズの小さな上履き。


 これ、うちの女子の制服だ。


 続けて、顔に手をやると、硬質な丸いモノに触れた。

 そう。これは……メガネだ。

 間違いない。この体は、音谷さんだ。

 僕は、僕に再び視線を戻し問う。


「あ、あの。君、もしかして……音谷、さん?」


 僕の質問に、僕が頷く。


「僕ら、入れ替わっちゃったってこと⁈ 嘘でしょ⁈ そうだ! これは夢だ! きっと夢だ! 覚めろ! 覚めろ!」


 音谷さんの顔や体を、ペタペタと触る僕に向かって、僕の姿をした音谷さんが、慌てて駆け寄る。


「こ、こら! 勝手に、いろんなとこ触るな! この、へ、変態!」

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