金木犀のかほり
師
金木犀のかほりは花葬の香り
金木犀のかほり
ただただ、幸せの為に産まれてきた僕たちを、何故、神はわざわざ殺すのでしょうか。「人間とは人として生きる為に、時には倒れる位、何かをやりとげればならぬ時が必ずある」と、そんな言い訳を考えておかなければならない程に、弱い「モノ」なのに。人は悲しみ綴る前に、怒りを綴り、泣き疲れたのちに、やがて、また悲しみを、如何に悲しみに明け暮れてしまうのかを綴る。朝はもう無き日に陥り、立ち上がるには、僕は未熟であります。その「花」とて、やがて大地に戻り、自然の摂理の一部となって、生命の輪廻へと翻弄される。あまりに惨い仕打ちに僕はもう立っていられなくなり、切なに涙を零すということさえ、忘れております。もう、口を聞く事さえ出来ない程なのです。
嗚呼、勿体のないことでした。本当に―本当に―。
「花」は、九月から十月にかけて、秋が長々しい夜になるにつれて、星の空へ向かって生える木で、小さいオレンジ色の花を咲かせる。事の他、甘い香りを漂わせる常緑樹の類するものだとか。
その小花を見かける人々は、「秋の訪れを知らせてくれる風物詩」と言ふそうなのですが、僕に限り、僕は僕の愚かさを知らせてくれるので、自分の首を垂れ、顔を挙げられないのです。何度も言ふようで大変申し訳ないのですが、オレンジ色をいっぱいにつけたその木の花の行儀の良さと言ったら、日差しを受けると金色に輝いて見え、清らかなる眩しさで神々しいのです。その事が、その事実が、産まれて初めて「後悔」という名前を知る事になり、僕の首をさらに垂れさせたのです。
明治は一八六八年。世の中が開けて生活が便利になった頃、日本は急速に西洋化と近代化が進んだ。明治が始まる前は、長い鎖国の状態にあったが、一八五三年、黒船の来航により、世界を知る事になった日本は近代国家として貪欲になり始めた。郵便制度、初めての電灯、鉄道。子供達は小学校に通うようになり、大人は新聞を読むようになった。選挙も国会も始まった。一年が三六五日になり、一日が二十四時間に変わった。
急激な変化の中で自由民権運動等、政治的運動なるものがあった。新しい価値観を柔軟に受け入れ、日本古来のものと組み合わせた早い速度での大変革を遂げたのは、自国ながら、大変あっぱれではある。しかし、同時に変動の力に満ち溢れた日本の、言わば「青春時代」の独特の不安定さも持ち備えてしまった。
慌ただしく働いている人々を縫うように僕は小走りで路面電車を横断した。
埃で、少し喉が咽る。
横断しきると、ほっと一息をつく。「近代国家」への道のりを選んだ日本は急激に変化を遂げているが、未だもってなれない。新奇なものを取り入れる貪欲。柔軟な姿勢だとも思えるのだが、路面電車が巻き起こす、砂埃で、空気がまずくなったもだ、と僕は思ってしまう。
道行く足を早めた。
久しぶり、かの人を尋ねるところなのだ。
路面電車を背後に、道幅の窮屈な通りに入る。足早にコンクリートを歩いて行くと、足を絡めてくるように、足が少し遅くなる砂利道に変わった。
近代に侵されていない道に、そっと心が休まる。
幼き頃より、変わっていない様子に安堵しているのだと、自覚している。どうせなら、このまま、何も変わらずにあれば、とさえも思ってしまう。
そう言えば、東京のどこかに、セメント工場が建ったとか、噂では聞いていた。蒼い空は、どんよりした空になり。消えていってしまったとも聞いた。
僕は補正されていない砂利道をご機嫌で足を進めていると、西洋技術の、トラス構造で構成れている教会が見えてくる。
節点がボルトとか言ふ固定された骨組み構造、長大な木材をもちいずとも一室な大空間を設けることが可能なった。この事は、尊敬するものに値するだろう。しかしながら、僕はやはり、古来より木造主体の中国大陸からの仏教の伝来とともに工法、構造技術を取り入れ、長い期間をかけて独自に成熟させてきた、建築が好きだ。
いつの間にか、新たな素材として「レンガ」「石材」が取り入れられ、木材と併用、あるいは木材にとって代わり、これら新素材ならではの「アーチ構造」を用いた新たな建造物の出現には頭が上がらない。レンガ造や石造に対し耐震性の点で信頼が揺らぎ始めた明治時代後半には、鉄筋コンクリート造が徐々に導入されている。
最近では、新しい素材しての、「板ガラス」も素晴らしいものであると言う噂がたっている。これまで紙張りの障子が、ガラス嵌め込みの窓となり、新たな美意識とともに、「ステンドグラス」といった装飾も導入され、「タイル」「テラコッタ」といった装飾用陶器の存在も出現してきた。建築構造が「レンガ造」から「鉄筋コンクリート造」、タイル張り仕上げ造」へと移行する時期に化され、建築物の外壁を覆う事になっていった。
テラコッタは、西洋の伝統的建築における装飾を模倣的に再現するだけでなく、幾何学的デザインが取り入れられ、明治時代で建築が、パッと明るくなる。
立派なものだ―。
君の家へ、より近くなると、君の家の庭にあるオレンジ色の小花をいっぱいにつけた、「花」が外壁から身を乗り上げ、ごきげんよう、と話しかけてくれる様に見える。
僕が小花の美しさを感じて見とれていると、内壁の人の気配に気が付く。
「オレンジ色の小花、日差しを受けると名前の通りに金色に輝いて見えるのね」
太陽の光を沢山と浴びるとキラキラしている。独り言の様に見せかけ、君は「ここに」僕がいる事を悟るのです。
毎日聞いていた彼女の声は、相変わらず細く、何か、儚く、とても憂いていた。きっと、肌は陶器ように白いだろう。もう冬が間近に来ている秋が、そう告げる。
「もうすぐ冬がくるわ。秋が過ぎるのが何とも早いこと」
君ったら、切なげに、その声模様の様子に僕はいたたまれなくって、そっと、じれったく長々と伸びている道に目をやった。
この道の先は一体何があるのだろうか。
僕に用事があるのは、「ここ」であって、道の先になにかあると、期待する事はなかったが、今日は、何故だか、漠然と道の先を見つめてしまった。
元気がないのかしら。
もし、君の傍にいれたら、君の手がきっと、そっと僕の頬を撫ぜる様に言うはずだ。
そんな事は皆目出来るはずもない。けれど、目の前にいたら、きっと君はそうしてくれると。そうしたら、君の手は甘い香りの匂いがするに違いない。
そうだと、それは絶対だ。
僕の瞳がいつもより涼やか潤う。
―下を向いてはいけない―
自分に言い聞かせ、僕は空を見上げた。
すると、オレンジ色の小花が風に揺られ、大変な匂いを放って、ひらひらと舞い落ちてきた。
その落ちる様を凝視すると、足元の一面にオレンジ色の絨毯の様になっているのに気が付く。
「綺麗ね」
君の声に僕は力強さ感じて顔を挙げた。「樹の小花が地面でも咲かせているみたい。毎年、驚いてしまう…」
地面はオレンジ色。君は太陽の光の色。青い空。何やら、ステンドグラスを見ている様な感覚に陥ってしまい、そして、眩しくて目を細める。
君も太陽の光で金色になって輝いているよ。きっとだ。
そう言いたいのに、この喉はちっとも勇気を出してはくれない。 何時なったら言えるのだろうか。
考えがまとまらない。幾度となく、ここに来ているのに。
考えあぐねていると、君は陥てしまっている小花を拾っている様に感じた。君なら、そうするだろうと。手の平に小花を乗せる。指の間から、すらっと逃げだした、花を責めず、そうして、また落ちる。
君がそうやって、金木犀を愛でるものだから、君の手から金木犀のかほりがするのだろうと思ふ。
「君も太陽の光で金色になって輝いているよ…」
一番大切な人なのに。家族ではないと、世間で思われ、僕が貴方の死の知らせが遅いのはどうしようもない。
叶わないのです。だからこうして壁向こうで読経をただ、聞いているしか出来ない身分なのです。
今はもう、静かに横たわっているだろう、君だけれども。君の手から金木犀のかほりが、尚もするのだろう。
こんなに、こんなにも花が咲いている。もれなく君は金木犀のかほり。僕の心は、花火が浮く時へ捨て置きたい程まだ遠し。
次の未来では会えるだろうか。いや、そんなぬるい輪廻などいらない。今が欲しいのだ。
そうでしょう?
そして、庭に植えられている「花」は、切り倒されてしまった。
なのに、なのに、今は、もう、無いのに。香ほりが尚もするのだ。
「お嬢さん…」
金木犀のかほり 師 @moro_jkp
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