第6話:言葉、名前

太陽が沈み始め、夕闇が僕たちを包み始めた頃。僕とエルシアは砂浜に座っていた。彼女は海の波を眺めながら、静かに口を開いた。


「ねえ、あなた……話す言葉はどうするの?」


「どうするって?」


僕は首を傾げた。エルシアの質問の意図がよく分からなかったのだ。


「あなた、今は私とこうして話せているけど、ほかの人や精霊たちとどうするの?この島にはほとんど人はいないけど、いつか他の場所へ行くなら言葉は必要よ」


「確かに……そうだな」


言葉を覚える――それは僕が今まで考えていなかったことだった。


会話という行為はエルシアに会うまでやってこなかった。


今このように意思疎通が出来ているのは、言葉を超越して思念を直接伝えることの出来る『魂の言語』による会話が行われているからだそうだ。


エルシア曰く、使える者が意志を伝えることは可能であるが、使えない者は受け取ることしか出来ず、それが天啓や悪魔の囁きなどと言われているパターンもあるらしい。


僕がそんな魂の言語を使えるのは生まれ持っての能力だろうと言われた。

---


「じゃあ、教えてあげるわ。人間たちが最も一般的に使っている言葉を」


エルシアはそう言うと、波打ち際から小さな貝殻を拾い上げた。それを砂の上で使いながら、簡単な記号を描き始める。


「これは『こんにちは』という意味よ」


砂の上には、簡単な曲線と直線が組み合わさった文字が描かれていた。


「なるほど……これは?」


「『ありがとう』よ。挨拶や礼儀の基本ね」


彼女が次々と描く文字に興味を抱きながら、僕は頭の中でそれを何度も繰り返した。



---


「発音も重要よ。いい?」


エルシアが優雅な声で言葉を発音すると、その響きが耳に心地よく響いた。僕はそれを真似して口に出してみる。


「コ……ンニチハ……」


「そう、それよ。でももう少し滑らかに言えるといいわね」


何度か繰り返すうちに、エルシアが満足そうに頷く。



---


次に彼女は、いくつかの日常的な言葉を教えてくれた。簡単な挨拶や自分の名前を伝える方法、方向を尋ねる言葉などだ。


「それで、この言葉を繋げて文章を作るのよ」


エルシアが砂に書いた文字を読み上げながら、僕はそれを記憶していく。


「言葉って……面白いな」


「そうでしょ?でも普通はもっと時間がかかるのよ。焦らず覚えればいいわ」


彼女はそう言ったが、僕は既に頭の中で言葉の仕組みを整理し始めていた。



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「ねえ、エルシア。これで合ってる?」


僕は教えられた単語を繋げ、自分なりに文章を作ってみた。


「『私の名前はまだないけれど、よろしくお願いします』……こんな感じかな?」


エルシアは驚いたように目を見開いた。


「そんなに早く……?本当に今覚えたばかりなの?」


「うん、でも言葉の仕組みはなんとなく分かったよ。あとはもっと練習すればいいんだよね?」


僕の言葉に、彼女はしばらく呆然とした後、微かに笑った。



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「あなた……普通の人間なら基本的な物でも書けるようになるまで数週間はかかるわ」


「そうなのか?でも、ありがとう。君が分かりやすく教えてくれたおかげだよ」


エルシアはその言葉に少し照れくさそうに目を逸らしたが、すぐに真剣な表情に戻った。


「これからも必要な言葉を教えてあげる。でも、ちゃんと練習しなさいよ?私は厳しいわよ」


「分かったよ。君が先生なんだから、頑張る」



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銀色の狐が楽しそうに尾を揺らし、小鳥が肩に降りてきた。彼らも僕の学びを応援してくれているようだった。


小鳥は何かやる事があるのか、現れたり消えたりを繰り返している。

もちろんエルシアには紹介済だ。


「言葉を覚えれば、もっとたくさんのことができるようになるな」


僕はそう呟きながら、エルシアの次の指導に期待を寄せた。



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エルシアが感心している間、ふと思い出したように口を開いた。


「それにしても、あなたが言葉を覚えたのはいいけど、名前がないのはどうするの?」


「名前……?」


僕は少し戸惑いながらエルシアを見返す。


「そうよ。この世界では名前は重要なものよ。特にあなたのような存在には特に、それにふさわしい名前が必要だわ」


「確かに……でも、どうやって決めればいいんだろう?」


僕が悩む様子を見て、エルシアは微笑んだ。


「古代言語から探してみるのはどうかしら?意味のある名前にすることで、あなたの力にふさわしいものが見つかるかもしれないわ」



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「古代言語?」


「ええ。この世界を形作った人々が使っていた古い言葉よ。深い意味を持つ言葉が多いわ。ちょうどここに、その手の記録がある本があるの」


エルシアは建物の中から古びた分厚い本を持ってきて、僕に渡した。


「これを読んでみなさい。きっと何かいい言葉が見つかるわ」



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僕はその本を開き、びっしりと書かれた古い文字を眺めた。最初は戸惑ったものの、すぐに読み方のコツを掴み始める。


「これって……『ズンバール』?意味は……『跳ねる者』?」


「それはないわね」


エルシアの冷静なツッコミに、思わず笑ってしまった。


「確かに跳ねる者って、僕には似合わないな。次に行こう」


次のページをめくる。



---


「『ゴルバッシュ』……『叩き潰す者』……いや、これもちょっと物騒すぎるだろ」


「その名前だと、どこかの乱暴者みたいじゃない」


エルシアが呆れたように肩をすくめる。


「じゃあ、これは?『サンバーニャ』……『踊る光』?」


「あなた、踊ったりするの?」


「いや、全然……」



---


さらにページをめくりながら、僕は真剣に探し続ける。


「『ルンプラーク』……『淫らな穴』……ダメだな」


「もはや名前でも何でもないわね。次!」


エルシアの素早い反応に思わず笑ってしまう。



---


しばらくそんなやり取りを繰り返した後、一つの単語が目に留まった。


「……『リオヴェルス』?」


「リオヴェルス?どういう意味?」


エルシアが興味を示して顔を近づけてくる。


「ここに書いてある……『星の航路』だって。星を辿る道……なんだか素敵な意味だな」


僕はその言葉を何度も口にしてみた。



---


「リオヴェルス……響きもいいし、意味も僕に合ってる気がする」


「それなら、それに決めたら?『星の航路』なんて、まさにあなたの存在そのものを表しているようだわ」


エルシアの言葉に僕は力強く頷いた。


「よし、決めた!僕の名前はリオヴェルスだ!」



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銀色の狐が軽く尾を振り、小鳥が肩で小さく鳴いた。彼らもこの名前を歓迎してくれているようだった。


「これで、ようやく名前ができたのね。リオヴェルス……いい名前よ。その名に恥じないように頑張りなさい」


「ありがとう、エルシア。君が助けてくれなかったら、こんな素敵な名前には辿り着けなかったよ」


僕は初めて得た名前を心に刻みながら、彼女に感謝した。


---

僕とよく一緒にいる小鳥と狐にも名前をつけることにした。

名前が欲しいかと尋ねると、元気な声で返事をしてくれたため考えているところだ。


まずは狐から。


「ルミ……だな」


「ルミ?」


エルシアが怪訝そうな顔をする。


「うん、ルミ。月光で虹色に輝くこの毛並みを見たら、それがぴったりだと思ったんだ」


狐は僕の言葉に反応して、大きく尻尾を振った。そして、小さく鳴いて僕を見上げる。その姿は、どこか嬉しそうだった。


「……まあ、いい名前じゃないかしら。シンプルだし、覚えやすいわね」


「そうでしょ?ルミ。これからもよろしくね。」


僕がそう声をかけると、ルミは僕の足元に寄り添い、満足そうに目を閉じた。


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鳥の姿を見て、僕は考え込んだ。その輝く太陽のような羽と長い尾が軽やかに揺れている。


「この鳥の名前は……コウにしよう。太陽の光のような羽と元気な性格にぴったりだと思う」


「コウ……いい名前ね」


エルシアが微笑み、ルミも短く鳴いて同意を示した。コウが楽しげに囀りながら空を舞う姿を見た感じコウ自身も喜んでいるようでよかった。





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