最後のフロンティア
ハークネス
第1話
地響きが鳴り響く部屋の中、少女は窓から望む景色を見ていた。どこまでも続く草原、その向こうには街が見える。
時より揺れる部屋に少女は気にも留めない様子。それは当たり前のことだ、彼女が居るのは列車の一室なのだから。
列車は段々と速度を落としていく。もうすぐ目的の場所に到着しようとしている。窓から見えていた街だろうか。少女にとって、初めて行く場所だ。彼女の心には期待と不安が入り混じっていた。しかし、もう後に戻る事はできない、不安を振り解き期待だけを心に溜める。両手を使い両頬を軽く叩く。自身を奮い立たせる為だ。机に置いていたとんがり帽子を深く被り降りる準備に入る。網棚に置いてあるトランクを引っ張りだし開けて中身を確認する。忘れている物は無いか確認しまた閉める。
列車が駅に止まる。それを合図に人々が続々と部屋から出て廊下に溢れる。少女もその人の波に加わろうとする。波の行き先は車両の出入り口。どんどん人が降りてゆき、いよいよ少女の番となる。扉は鉄道職員によって開かれており、階段をゆっくり下りてゆき、ホームに出る。
もくもくと辺りに煙が漂う。その煙は化け物の吐いた息の様に人々に絡みついている。煙を勢いよく吐いていたのは大きな鉄の怪物。それは蒸気機関車。彼女をここまで乗せてきた存在。甲高い汽笛と共に蒸気が吹き荒れる。機関車や客車の周囲には人で溢れている。客車から降りる人やこれから乗る人、周囲を走り回る駅員、機関車の操作をしている機関士。目まぐるしく変わる駅内に少女は困惑する。彼女が居た故郷ではこんなにも人がいるなんて想像もできなかったからだ。
蒸気の風が少女の髪をなびかせる。その長くて茶色の髪が湿気を吸い、ガラス張りの天井越しから差し込む光によって煌めく。
目にかかる髪をかきあげる。天井に目をやる。
「今日は眩しいな」
柱に据え付けられた時計の短針と長針が12時を指す、と同時に鐘の音が駅構内に鳴り響く。少女は右手を帽子のつばを握り被り直す、左手にはトランク。少女は柱を見上げる。
時間を確認していると思われたが、そうではなかった。少女は早歩きで構内を歩き回る。時々柱や壁を見てどうやら何かを探しているようだ。
歩き回る事数分。少女はお目当ての場所を見つけた。行き先はトイレのようだ。長い時間列車に揺られているうちに用を足したくなったようだ。列車にはトイレはついておらず駅に着くまで我慢し、ようやく尿意を解放できる。そそくさとトイレの中にある個室に入る。
用を足して個室を後にする。トイレに設置されている洗面台に向い手を洗うが、その洗い方は人よりも入念にゴシゴシと手を擦る。
少女がなぜここまで洗うのかと言えば、少女の母親の影響が大きい。母親からいつも清潔に保っていれば病気にならなくて済むと教えられているからである。母親の言いつけを守っているのだ。
手を洗い終わるとポケットからハンカチを取り出し、手の水気を拭う。拭い終わるとハンカチをポケットに戻す。鏡を見て自分の身だしなみを確認する。リボンは曲がっていないか上着の襟は曲がっていないか、都会なのだから見た目がおかしかったら道行く人に笑われてしまう。背中も確認し、足元を見て靴紐も見る、解けてはいない。万全の状態になり、胸を張って鏡を見つめる。
「これで完璧!」
しかし、心の奥底には不安が詰まっていた。車内で振り切れたと思っていたがそう簡単にはいかないようだ。
「大丈夫よミラ。貴女なら出来る!」
彼女は堂々とした態度でトイレを後にする。
一度構内に戻り、そこから駅の出入り口へと向かう。駅を出る前には改札を通らなくてはならない。駅員が乗客の切符を確認をして次々に通している。少女は乗客の列に並ぶ。列が進み少女の番になる。
「切符を拝見」
駅員はニコニコと他の乗客と同じように少女に話しかける。
「切符ね」
少女はポケットから切符を取り出そうとする。と、ポケットから小物が溢れ出てしまう。少女と駅員は驚く。予備のボタンや車内販売で買ったお菓子の包み紙、そして食べかけのチョコバー。少女はかがみ、急いで小物を拾い集める。こんな所を見れて恥ずかしい。先が悪いと感じるのだった。
「大丈夫かい?」と話しかけてきたのは爽やかな笑顔のハンサムな男だ。男は落としてしまった小物を拾ってくれた。それを少女に返そうとする。
「ありがとう…ございます」少しどもりながらも感謝の言葉を優しくしてくれた男に返す。
男から小物が手渡される。幸先悪いと思っていたが都会には優しい人が居るのだと実感する。
小物をポケットに入れて、切符を駅員に手渡す。切符は切られて少女に渡される。これで息苦しくもあった駅構内から脱して駅の外へと抜けていく。
少女にとって初めて来る都会。今までいた故郷、彼女の住んでいた場所はいわゆる田舎と呼ばれる所で、広い畑にポツンと家が建って近所も遠く離れている。そこでの暮らしでは味わう事のできなかったモノがたくさんある。胸躍る少女が最初に感じたのはとある匂いだった。
馬糞の匂い。それもそのはず、駅に接する通りでだけでもたくさんの馬や馬車で賑わっていたのだ。この量がいるのだから馬糞の量も尋常なものではない。田舎で暮らしてきた少女にとっては、家畜から出た糞などを日常的に見ていたから慣れてはいたはずだが。この量には少し驚く。都会とはこういうモノなのかと思う。
そんな匂いは気にせず、眩しい光に照らされながら都会へと一歩を踏み出す。
駅の前には広場が広がっていた。待ち合わせには丁度良い場所だ。広場の中央には銅像が置かれている。この街を作った人物なのだろう。その銅像の前まで行き、そこで立っている。誰かを待っている。
ポケットから一つの写真を取り出す。写真には二人の男性が写っている。一人はミラの父親でミラと同じ茶色い髪で口ひげを蓄え優しく微笑み写真家の方を見ている。もう一人は見知らぬ人物、ミラはまだ会った事が無い。それを見ながら道行く人たちと見比べる。しかし、人は多いが写真の人物はいない。
ミラはポケットから年代物の懐中時計を取り出す。蓋を開き時間を確認する。これは少女の祖父からいつでも時間を見れるようにと貰ったものだ。
「まだ待ち合わせの時間ではないものね」
どうやら写真の人物とはここで待ち合わせをしている様子。しばらく銅像の台にもたれ掛かる。
彼女は考える、街を見て回ろうか。でも人を待っているし、下を向きながら顎に右手を置く。しばらくそのままで考え込む。待っている人が居るのだしこのまま居た方が良いに決まっている。でもこの街を見て回りたい。心の中で天秤にかける。
「時間はあるし、少しくらい良いよね」
彼女は決める。少しの誘惑には勝てなかった。少女はその場から歩きだし街へと向かう。
通りを歩きながら街並みを眺めている。周りは背の高い建物ばかり眺めていると思わずのけ反りそうになる。田舎ではこれほど高い建物はなかったのだ。高い建物と言ったら教会の鐘塔位なものだ。
道行く人たちは皆お洒落な恰好をしている。少女にとっては眩しい存在。自分の恰好がこの街に合っていないのではないかと不安にもなる。いや、そんなことは無い、母と共に地元の仕立て屋まで行って縫ってもらった服だ、ダサいはずは無い。再び自信を取り戻す。
建物の一階に入っている商店の陳列窓には、流行りの服が飾られている。とても綺麗で派手な服に少女は目を奪われる。彼女もこういう物を着てみたいと思うお年頃。ガラス越しに見つめる瞳は輝き、中々視線を外す事はない。口元は緩んでいる。通行人の何人かが少女を見ているが気にせず見続ける。
商店の扉が開き、取り付けられた鐘が鳴り響く。店内から初老の男性が顔を出す。この店の店主だろうか、蓄えられた口ひげを触りながらミラに話しかける。年を取った声だが、そこには優しさがこもっていた。
「お嬢さん。この服が気に入ったのかい?」
話しかけられて驚く彼女。まさか話しかけられるとは思わなかったのだ。それもわざわざ外に出て。
「え…ええ。可愛い服だと思いまして」
驚いて少し上擦った声で返事をする。やってしまった。初対面の人なのにちゃんんと受け答えできなかった。変な子と思われてしまっただろうか。そんなことが頭に浮かぶ。少し恥ずかしい。
「はは、そう気弱なくてもいいよお嬢さん。この服が気に入ったなら店内で来てみるかい?」
気さくな態度で少女に服を勧めてくる。男性は変だとは思っていない様子。
「そ、そんな。私、そんなにお金持ってないですし」
慌てて断る。本当は着てみたいが誘惑を押させる。タダで着させてもらうなんて図々しいにもほどがある。改めて丁寧に断ろうと口を開く前に男性が答える。
「なに、構わんよ。さあ入りたまえ」
店内に入るよう促される。そんなに言うのならと、またしても誘惑の方が勝ってしまった。
男性に導かれて店内に入る。ミラはきょろきょろと辺りを見渡す。内装は鮮やかで綺麗だ。壁にはいろんな服が飾ってある。中央にはガラス製のショーケースがあり、中には小物が置いてある。奥にはレジと試着室が設けられている。レジの側には椅子が置いてある。机には新聞紙とマグカップが置いてある、客が居ない時は新聞を読みながらコーヒーか何かを呑んでいるのだと簡単に想像ができる。
ミラは陳列窓と同じように目を輝かせている。店内にも可愛いものから流行りの物まで色んなのが飾ってある。少女にとってはたまらない光景。
男性は陳列窓から彼女が見つめていた服を持ってきた。
「ほれ、そこの試着室で着ると良い」
服を少女に渡す。
「ありがとうございます」
少女は服を貰う。男性は服を渡すと椅子に座り新聞を広げる。
ミラは思った。
「どうしてこんなに優しくしてくれるんですか?」
その疑問を男性に訪ねる。
「それはだね」
広げた新聞を畳み、固い唇を開きさっきのように優しい声ではあるが、かすかに寂しさを感じる。
「君よりも小さい孫が居てね。それはそれは可愛い孫でな。君を見てると孫を思い出してね」
この話を聞いてミラは故郷に住んでいる祖父の事を思い出す。いつも優しくしてくれる祖父とこの男性とを重ね合わせる。
「そうだったんですか。その、お孫さんは元気でいるんですか?」
思わずそんな事を聞いてしまった。
「それは…」
男性は言葉を詰まらせる。徐々に表情に暗い影を落とす。口元はまるで苦い虫を噛みしめるかのようになってゆく。
「数日前から行方不明なんだ」
「え…」
地面とハンガーがぶつかるカンとした音が店内に木霊する。予想外の返事に思わず手渡された服を落としてしまう。
「す、すいません。落としてしまって」
慌てて服を拾う。少し汚れてしまったがそれどころではない。
「いえ、気にしなくていいんだよ。お嬢さんに話す事じゃなかったな」
ミラは考える。こんなに優しい人なのにどうしてこのような不幸が訪れるのだろうか。彼の為に何かしてあげられないだろうか。でも自分は一人の少女でしかない、あまり大それたことはできない。それでも何かしてあげたい。
「私、あなたのお孫さん探します!」
胸に手をやり自身満々に答える。ミラ自身、上手く探せるか分からないがそう答えるしかなかった。それが自分にできる最大限の行為。
「え!?」
思いもしない事を言われたのでびっくりする男性。まさか会って間もない人物が、それも小さな少女が。
「お嬢さん、気持ちは嬉しいのだが。君一人でどうにかなる話じゃあるまい」
「いえ、大丈夫です。これでも私、魔女の端くれですから、魔法でお探しします」
「お嬢さんが魔女とは。それでどうゆう魔法を使うのかね」
「人探しの魔法を使うんですよ」
「人探しの魔法?」
男性は驚く。そんな便利な魔法があるのだと感心する。
「そうです。何か彼女の持ち物はありませんか?」
「ハンカチならあるが。これで探せるのか」
ミラの話を聞いて半信半疑ではあるものの、孫を探せるのならとレジの机の引き出しからハンカチを取り出す。
「これがそのハンカチだよ」
ミラはそれを受け取る。
「なるほど、これね」
仕上がりが綺麗で刺繡が入ったレースのハンカチ。これほどの上質な物、誰からか貰ったのか。両親かそれともこの男性か。どちらにしても家族から愛されているのは間違いない。
「これでどうするのかね」
男性は聞いてくる。
「まあ待ってください」
右手に持ったハンカチに左手の手のひらをかざす。
「親愛なる精霊たちよ。我にこの者の居場所を明らかにせよ」
手のひらから青白い光が生み出される。男性はそれをまじまじと見つめる。何秒か光放たれると徐々に消えてゆく。
「よし。これで良し」
「今のは一体?」
「これでその子を探す準備ができました。それでは探しに行きます」
そう言って意気揚々と店を出ようと扉のノブに手を掛けようとしていた時、とても大事な事を忘れていた。
「あ、まだ二人の名前を聞いていませんでしたね。私はミラ」
「私はオリバー。孫の名前はオリビアだ」
「オリビアちゃんね。ではオリバーさん、探してきますね」
扉を開けて店を後にする。店内には静寂が訪れる。
「あの子、大丈夫だろうか」
静かな店内にボソッと男性の言葉が響く。
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