第121話 全肯定のお嬢様
「なるほど、そういう事でしたか。しかし急に笑顔と言われても難しいですね。何か嬉しかった事を考えないと…………あっ、そうだ。今更になりますが、エディナさんが無事で良かったです。……本当に、本当に嬉しく思いますよ」
舟板を渡した女性の安否は気になっていた。唯一の生存者が『四精』と聞いていたので、あの人がそうだと嬉しいと思っていたが……もしも別人だったら? と思うと、四精の顔を確認する事が怖かった。
こうして彼女の生存が確かめられた事には、自然と笑みが零れてしまうというものだった。
「っ……」
エディナさんは初めて僕から目を逸らした。結果として要望通りにニコーッとしたはずだが、なぜか息を呑んで視線を下に向けてしまった。まさか今更ながらにアロハシャツを問題視しているのだろうか?
「…………」
しばらくしてエディナさんは顔を上げたが、僕に茫洋とした目を向けるだけで無言だった。そのぼんやりとした瞳から思考を読み取るのは難しい。
使用人の皆さんも沈黙を守っている事から、応接室には物音一つしない静寂が訪れていた。……これは困ったな、エディナさんの考えが全く分からない。
ここまで呼び出しを受けたのに『笑いなさい』と言われただけでアクションが止まっている。
本人確認が済んだ後には『大儀でしたわ!』『生爪ですわ!』などの反応が返ってくると思っていたのに、全くの無反応は流石に想定外だ。
エディナさんの筆頭従者なら状況を理解しているのでは? と視線を向けると、僕と目が合ったチーフさんは小さな頷きを返した。
さも当然のように頷かれてしまったが、もちろんチーフさんの意図は全く分からない。長年連れ添った奥さんでもないので当然だ。
しかし、場の雰囲気的に帰宅が許される空気ではない。なにしろ召喚されたにも関わらず会話らしい会話を交わしていないのだ。
…………いや、待てよ?
会話、そう会話だ。一般的には男性が女性をリードするものとなれば、僕から話を振って場を盛り上げるべきなのかも知れない。
呼び出された側が話題を提供するのはモヤらないでもないが、エディナさんは明らかに受動的なので攻勢以外の選択肢はない。
方針を決めたら後は進むだけ。初対面の寡黙な女性を楽しませる自信はないが、たとえ拙くとも出来る限りの努力はしてみるとしよう。
「――――ええ、そうなんです。攫われる系ヒロインと言えばいいのか、僕の読んでいるシリーズ物では頻繁にヒロインが攫われるんですよ。最初の内は『この人は危機管理能力が無いのかな?』とモヤモヤしてしまうんですが、気が付けば『今度はどうやって攫われるのかな?』とワクワクしながら読んでいるという不思議です。……そういえば、そろそろ新巻が発売している時期かも知れません。前巻ではヒロインの叔母が攫われるという斜め上の展開でしてね。順当に行けば新巻では叔父が攫われるのではないかと予想しています。それから――」
僕はひたすら一人で喋り続けていた。
その内容は多岐に渡っている。旅行の話から愛読書の話まで、僕のボキャブラリーは尽きる事を知らない。
相変わらずエディナさんは一言も発しないが、よく耳を澄ませば『その通りですわ!』『貴方が正しいですわ!』と相槌が聞こえる気がするので問題は無い。そう、心のエディナさんは常に全肯定してくれるのだ……!
それにエディナさんは喋らなくとも、よくよく観察すれば無反応という訳ではない。目の虹彩に変化があったり呼吸に変化があったりで、僕の話に細やかな反応を見せている。基本的に他者との交流は好きなので僅かな反応でも楽しいものだった。
「…………あっと、もうこんな時間ですか。エディナさん、そろそろ夕飯の時間なのでお暇させてもらいますね」
気が付けば三時間ほど喋っていたので外が暗くなりつつある。ついつい興が乗ってしまったが、流石にもうお開きの時間だ。
ちなみに部屋の端に控えていた使用人一同は居ない。僕は気遣いが出来る人間なので、立ちっぱなしで疲れが見え始めた皆さんに退室を促したのだ。
専属従者であるチャラ従者さんまで『お疲れーっす!』と退室したのは予想外だったが、チーフさんは当然のように居残ったので二人きりになる事はなかった。初対面の異性と二人きりはマナー違反で非常識だったので一安心だ。
「――――コール様。夕食ならこの屋敷で摂られてはどうでしょう? いえ、いっその事こちらに住まわれては如何ですか?」
「い、いえ、せっかくですが……」
食事の誘いはともかく住むとは? と思ったが、あえて触れずに流しておいた。チーフさんは価値観が狂ってるので仕方ない。
「では、次の訪問日はいつにしますか? またご希望の日時にお迎えに上がります」
決して逃がさないとばかりにぐいぐい迫るチーフさん。あたかも再訪を約束していたかのようだが、もちろんそんな話は一度もしていない。
エディナさんは何も言ってないのに勝手に話を進めるという豪腕な所業。もはやチーフさんが家主のような様相である。
これはお嬢様が気分を害しているのでは? と不安に思ってチラリと見ると、エディナさんは文句を言うでもなく僕を見ていた。……心なしか好返事を待っているように見えるが、ひょっとすると僕のトークを気に入ってもらえたのだろうか?
再訪を求められる事は、僕を必要とされる事は嬉しい。だが、歯医者の予約感覚で次回を約束する訳にはいかなかった。
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