33◇エーレンフェルス

 エーレンフェルス邸は、王都の一等地に聳え立っていた。タウンハウスとしては大きい方だろう。

 門前から中の噴水が見えた。水飛沫が計算されたように規則正しく虹を描いている。


 格子の向こう側に黒い制服を着た厳つい番兵がいるが、これも自動人形のようだ。


「私はシュペングラーという者だ。エーレンフェルス侯にお会いしたい。取り次いでくれ」

「お約束のないお客様はお断りさせて頂いております」


 抑揚のない声で返された。


「では、アンネリーゼ嬢に会わせてくださるかしら?」


 と、ライエ名誉教授が告げる。


「お嬢様は誰にもお会いになりません」


 やはりアンはここにいるのだ。ディオニスは拳を強く握りしめた。

 この人形の仏頂面に火の玉をぶつけてやりたい衝動に耐えつつ、ディオニスはさらに言った。


「所有する自動人形を壊されるよりは、エーレンフェルス侯も私に会いたいはずだ。一度訊いてみるといい」


 人形に恐怖心はないから、こんな脅しに意味はないのだが、なるべく故障を回避するように設計されてはいる。だから、ディオニスが本気であることが伝われば回避する方法を選ぶかもしれない。

 設計が書き換えられていないことを祈りつつ答えを待つ。


「しばしお待ちください」


 番兵の人形は硬質な声で言い、奥へと消えた。


「駄目なら押し入りますけどね」


 ディオニスがつぶやくと、ライエ名誉教授は嘆息した。


「あなたが捕まってどうするのですか。冷静におなりなさい」

「入れてくれなかったらそれしかないですよ」


 上を見上げると、いくつもの連なった窓が見える。あの部屋のどこかにアンがいるのだろうか。


 ――アンは、何もかも自分で決めて出ていった。

 ディオニスをこれ以上巻き込まないようにという苦渋の決断だったとしても、それでアンが苦しむのならその選択は誤りだ。何ひとつ嬉しくない。

 それどころか、自分が責められる以上に嫌な思いをしている。


 アンも多分、自分のことならば耐えられるが、ディオニスに何かあったら苦しいと考えたのだろう。同じ思いをディオニスがするのだとわかっていない。


 屋敷を睨みながら待っていると、番兵が戻ってきた。言葉を発するよりも先に門の格子が開かれる。


「お入りください。主がお会いになるそうです」


 ディオニスはライエ名誉教授と顔を見合わせた。そして深く息を吸い、止める。

 魔王の居城に挑むのだから、絶対に気は抜けない。


 番兵は屋敷の中まで入ってくることはなく、中を案内したのは家令の姿をした自動人形だ。


「どうぞこちらへ」


 応接室へ案内される。

 屋敷のインテリアは重厚で品格を重んじているようだった。三人目だという侯爵夫人にもそれを決定する権力がないのかもしれない。どこを取っても男性的だと思える。


「旦那様、お連れ致しました」


 家令の自動人形が恭しく告げる。中から、ガラスを爪で引っ搔いたような不協和音ほど肌を粟立たせる声がした。


「入れ」


 自動人形の声に抑揚はないが、それに優るとも劣らない。


「失礼致します」


 ディオニスは心臓が縮む思いだった。ここへ来て、貴族である〈ディオニス・シュペングラー伯〉は鳴りを潜め、路地裏で腹を空かせていた〈ただの子供のディオニス〉が舞い戻ってきたような心境だった。


 それはとても無力で脆い、ちっぽけな存在だ。


 その動揺を精一杯の虚勢で包み、ディオニスは広い室内に置かれたソファーに座っている侯爵と対峙する。


 痩身のエーレンフェルス侯は五十代だと思われるが、まだ黒々とした髪を後ろに撫でつけ、正装を少しも崩すことなく着こなしている。やや痩けた頬にある影が厳しさを表しているように見えた。


 侯爵はディオニスではなく隣のライエ名誉教授にまず目を向けた。


「これはこれは。どの面を下げて我が屋敷に来られたものかな。あなたを信じて大事な娘を預けたというのに、あなたは私の信用をことごとく裏切ったのだ」


 ライエ名誉教授は、さすがの胆力でその視線を受け止めていた。


「あれほどの傷をすぐに治せるとお思いでしたか? 今、我々は彼女を癒す方法を模索中でしたのに。力づくで連れ帰ってしまわれたのはそちら様でしょう?」


 すると、侯爵は彼女の言葉を鼻で笑った。


「我々、か」

「そうです。こちらの彼は並外れた魔力の持ち主ですから、力を借りることにしたのです」

「背中の傷跡が直ったところで、女としてキズモノにされたのでは使えん。伯爵の養い子ごときにくれてやるために生かしておいたわけではない」


 これが父親の言うことだろうか。

 話には聞いていても、目の当たりにすると吐き気がする。シュペングラーの父でさえまだ優しかったと思えた。


 目の前の侯爵には、力では負けないだろう。けれど、制圧できないのはその圧倒的な存在感だ。理屈ではなく、この人には勝てないと思わせる恐ろしさがある。

 侯爵はそこでようやくディオニスに焦点を合わせた。はねを縫い留められた蝶の気分だった。


「それで、何をしにここへ来た?」

「……アンに会わせてください」


 率直に答えた。けれど冷たく失笑される。


「そこの老婆の助けがなければここへ来られなかったか? それで一人前のふりをしている青二才が何をほざくか」


 『老婆』発言に、ライエ名誉教授のこめかみに青筋が浮いていた。今、プツリと行かれたくない。


「ライエ名誉教授、ここからは二人だけで話します。しばらく外でお待ちください」


 侯爵のこの挑発には多分意味があるのだとディオニスには思えたのだ。


 けれど、ライエ名誉教授はディオニスのことを心配してくれているようにも見えた。去り際、小声で囁く。


「十分にお気をつけて」


 この人物を相手に少しも気を抜けるところなどない。

 それでも、もっと気をつけろと。


 ディオニスはライエ名誉教授が部屋を出ていってから、この室内で侯爵と二人きりになる。

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