36◇解決策

 エーレンフェルス侯は仮面舞踏会には出席せずに報告を待つと言った。もし王太子が暗殺されたとすると、一番に疑われるという自覚があるのだろう。


 ディオニスはエーレンフェルス邸から戻ると、いつも通り学校に通うことにした。

 そうしていないと気が狂いそうだった。変わりのない日常に救いを見出した。


 王都からいったん引き上げる時、ライエ名誉教授は手ぶらで帰るディオニスに不審な様子だった。


「アンを見捨てるのですか?」


 厳しい言葉を投げつけてくる。傲慢だったディオニスが変わったのだと信じたのに、そうではなかったのかという失望が見えた。


 アンを見捨てることだけは絶対にない。けれど、侯爵との取引の内容を教えるわけには行かなかった。

 ライエ名誉教授は計画を暴露し、止めに入るだろうから。


 確かな証拠もないのに、取引を持ち掛けられたというだけで侯爵を失脚させるのは無理だ。余計にアンを危険にさらしてしまう。


「そうではありませんが、もっと対策を練らないと駄目だということがわかっただけです。助けたいなら慎重に行かないと、こっちが潰されて終わってしまいます」

「それはそうなのですが……。アンが今、どんな気持ちでいるのか考えると身につまされます」


 アンの味方はディオニスとライエ名誉教授だけなのだ。あとは戦力外のザーラくらいか。


 それでも、一人ではない。

 アンの心を護るには、あの砂糖だけではもう足りない。

 全身全霊を賭けるだけだ。


「一度戻って、すべてはそれからです」


 ディオニスも、アンを心配するライエ名誉教授に本当のことを言えないのは苦しかった。


 これまではずっと、いくらでも胸の内に苦しさを抱えて生きていたのに。

 誰かに気持ちを吐き出すくせなんてなかった。


 近頃は、それをどうやって抱え込めたのかを思い出せない。

 これは成長なのか、退化なのか、どちらなのだろう――。



     ◇



 それから毎日、学院から戻るとアンのいた部屋で過ごした。

 何もせず、ただぼうっとする。

 こんなにも何もしない日々はこれまでになかった。


 時間が経ってくれるなという思いと、早く過ぎ去ってくれという思いが交錯する。

 毎日、眠れているのかよくわからなかった。




 そんなディオニスの状態に気づくのはやはりコーネルだった。

 朝、校内を歩いていたら急に腕をつかまれた。


「ディオニス!」


 いつになくコーネルの表情が険しい。

 腕が痛かった。どうして痛いのかといえば、ディオニスが倒れ掛かっていて、それをコーネルが腕をつかんで止めているからだ。


「大丈夫か?」


 足元がおろそかになっていたようだ。いつもなら、他人から自分がどう見られているか気になっていたのに、今はどうでもいい。

 振り払おうとしたが、コーネルは案外力が強かった。


「大・丈・夫・か?」


 耳元で大きな声を出された。

 何も大丈夫ではない。大丈夫なことなんてひとつもない。


「大丈夫なわけないだろ」


 ボソッと返すと、コーネルはうなずいた。


「わかった。保健室だな」

「そうじゃない。保健室なんて行っても解決しない」


 それから、コーネルにも解決できない。だから放してほしい。

 それなのに、コーネルはしつこい。


「よし、悩みがあるなら聞こう」


 この間のお返しのつもりなのだろう。とても話せる内容ではないのだが。


「要らない。放せ」


 それでも解けない。

 ――わかった。コーネルの力が強いのではなく、ディオニスが弱ってヘロヘロになっているから解けないのだ。


 あと三日。こんなことではいけないのに。

 愕然としていると、木の下に引きずっていかれた。そこに力づくで座らされる。


「ここなら誰にも聞かれないから」


 真剣な目でじっとディオニスを見てくる。それでも黙っていると、コーネルは勝手に推測して気づかわしげにつぶやいた。


「ああ、あれか。恋人に捨てられたのか……」

「違う」

「じゃあ、順調?」

「…………」

「ディオニスって正直だね」


 順調だと言っておけばいいのに、とても言えない。


「話しても解決しないなんて思わないで、話すことで解決するって考えたら?」


 解決するわけがない。悩みの内容を知らないからそんなことが言えるのだ。

 王太子を暗殺しなくてはならなくなったという相談をしたら、コーネルは腰を抜かしてしまう。腰を抜かしたコーネルを見たら、ディオニスも少しくらいは笑えるかもしれない。

 こんな話、どうせ信じないだろう。


「実は――」

「うんうん」

「彼女の親に反対されていて」

「それは大変だ」


 大仰に驚いて見せるが、コーネルが想像しているものは多分まったく別物だ。

 娘が可愛いから、悪い虫を追い払おうとしているわけではないのだ。あんな存在が人の親だなんて、到底思えない。


 唇を噛み締めて頭痛をごまかそうとしたが上手く行かなかった。


「娘との仲を許してほしかったら……」

「条件出されたんだ?」

「ああ。王太子殿下を暗殺してこいって」


 やはりコーネルは目を丸くした。

 それを見て、ディオニスは苦笑する。これが普通の反応だと。


「――なんて、そんなわけあるか。何か言わないとお前がしつこいから、ただの作り話だ」


 すると、コーネルは声を立てて笑った。


「そっかぁ。じゃあその悩みの解決策として言うけど」

「うん」

「するしかないんじゃない?」

「何を……」

「暗殺」


 ニコッと笑って物騒な解決策を与えてくれた。

 まったくもって参考にならないが、久しぶりに人とちゃんと話をして少しくらいは気が楽になったかもしれない。


 いい加減に支度を始めないといけない。決行は三日後だ。

 どうすべきかは結局定まらないが、ディオニスが姿を見せなければアンが責め立てられる。だから、行くしかない。


 王太子といえどもまったくの他人だから、どうしてもアンのことを優先してしまう。

 それでも、人を殺すくらいなら死にたい。


 そんなふうに思える自分は、案外善良な人間だったらしい。

 こんな時にそれを知った。

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